51 すれ違い
メイテール家の長兄であり、現在は負傷し病床にある領主の代理として全てを取り仕切る屈強な貴族の男は、オージンと名乗った。
挨拶代わりにマーリカの手にキスをしようとしたごつい手をキラに容赦なく叩かれたオージンは、笑顔を崩さぬまま代わりに握手を求める。断るものでもなかったのでマーリカが応えると、ブンブンと上下に振られてフラフラになってしまった。さすがは武人、力強い。
オージンといいユーリスといい非常に体格がいいのは、メイテールの血統だろう。キラが中性である精霊の血を濃く受け継ぐが為に彼らと比較すると華奢に見える事実には、血を分け与えてくれた精霊に感謝したいマーリカだった。マーリカにとっては、筋肉隆々よりも美しいものの方が、眼福度が高いのである。
最初の厳つい印象から一変、何故か目元を緩ませているオージンが、マーリカの手を離すとオージン自身を指差す。
「マーリカ嬢。俺のことは、是非お兄さ」
何かを言いかけていた逞しく凛々しい顔面を、キラが思い切り手のひらで掴んだ。実の兄とはいえ、領主代理にとんでもない所業だと思ったが、考えてみたらムーンシュタイナー卿もいつも襟首を掴まれて引きずられていた。そういうものなのだろう、とマーリカは納得する。
オージンも特に怒る様子も見受けられないので、キラのこの対応はこの兄弟の間では普通なのかもしれなかった。
オージンが両手を上げて目で苦笑してみせると、キラは冷たく睨みながら手を離した。その手を服で拭っているのを見て、オージンがやや悲しそうな顔になる。
「では、領主の執務室で改めて話をしたいが、その前に荷物だけ置いてきたらどうだ?」
キラとマーリカの手には、そこそこの荷物がある。
「分かりました。来客用の部屋は空いてますか?」
キラが問うと、控えていた年配執事にオージンが目配せをする。
執事が、申し訳なさそうにキラとマーリカを見た。
「それが、先程全ての部屋が重傷者で埋まってしまいまして……」
「そうか、もう全ての部屋が……。うん、それならば別の部屋を考えねばな」
メイテール家三男の帰還は、ユーリスにより事前に知らされていた。その為、長期に渡り主人不在だったキラの自室は、現在は綺麗に整えられているそうだ。
だが、魔物との戦渦の最中、来客用の部屋が必要とは誰も想定していなかった。そこで重傷者に明け渡していたところ、全ての部屋が埋まってしまったらしい。痛ましい、とマーリカは胸が苦しくなった。こうしている間にも、兵たちは戦い傷つき死んでいっているのだ。
これは自分の部屋どころの話ではない。そう思ったマーリカが「作業を行なう頑丈な部屋に簡易的な寝床さえあればいいです」と言った瞬間、キラのこめかみにビキイッ! と青筋が立つ。キラとマーリカを交互に眺めていたオージンは、何かを納得したかの様に手をポンと叩くと、大仰に頷いた。
一体何を納得したのか勿論マーリカには想像もつかないが、キラがオージンを睨んだところを見ると、あまりいいことではない様だ。
キラはオージンに冷たい一瞥をくれると、マーリカに向き直り両肩を掴んだ。
「お嬢は目を離すと何をするか分かったもんじゃないので、俺の部屋にある続きの部屋にどうぞ」
「おいキラ。いくら続きの部屋でも、未婚の令嬢を男の部屋になど」
「お嬢をひとりにする方が危険なんです」
キラはきっぱりと言い切る。人を魔物の様に言わないでほしいが、言われるだけのことをこれまでしてきた記憶があるので、マーリカはこくりと了承した。オージンは「いいのか?」といった表情だったが、他に妙案がないのも事実。渋々といった体で頷く。
オージンとはそこで一旦別れ、執事に連れられてキラの部屋へと向かった。
通路に飾られた調度品のひとつひとつに、これまで出会ったことのないくらいの重みを感じる。
どれも、決して「シヴァに割ってもらおう」などと通路に軽々しく飾っていいものではなさそうだ。ムーンシュタイナー家とは、格が違う。間違って倒さない様に、とマーリカはなるべく通路の中心を通ることにした。
執事が、通路の先にある豪奢な扉の前で止まる。重そうな暗めの色の木の扉は、よく磨かれているのだろう。扉の表面に彫られた花の模様は発光している様につややかだ。ムーンシュタイナー領とは大違いだ、とつい緊張してしまう。
執事の手によってゆっくりと開かれた扉の先には、想像していたよりも広い空間が広がっていた。
手前の部屋に、大きな天蓋付きの寝台が置かれている。露台と寝台の奥に、扉があった。あれが先程言っていた、続きの部屋だろう。
「お嬢、これは貸して」
荷物を置いたキラが、マーリカが胸に抱えたままの魔魚の核が入った瓶に手を伸ばしてきた。
「え、駄目よ」
畏まった言い方をするのも忘れ、マーリカは瓶を腕の中に包んでくるりと背を向ける。
「お嬢」
困った顔をされても、これだけは渡せなかった。
「これは、私が持ってるから」
「駄目」
キラが回り込んで来たので、再び背中を向ける。
二人でくるくるしている間に、執事が一礼して出て行った。
キラが、ふう、と呆れた様な息を吐く。
「お嬢、どうしたんです。意地になっちゃって」
「べ、別に、私が管理したいと思っただけよ。だってこれは、ムーンシュタイナー領の魔魚でしょう?」
「なんですかその屁理屈」
「……」
キラがずい、と一歩前に出てきたので、マーリカは後退った。どう説得すればいいか分からなくなり、顔を伏せる。
「……お嬢、俺を見て」
どんな感情で言っているのか。少なくとも怒ってはいなそうな声色だったが、楽しそうな声色でもない。
また、呆れられているのか。
ここでも役に立てないのなら、無理を言って来た意味がなくなる。
マーリカは、声を振り絞って伝えた。目は合わせられなかった。
「……お願い、です。キーラム様」
マーリカのここでの存在意義は、これしかないのだ。過保護が染み付いてしまったキラに渡したら、キラが不在の時は取り上げられてしまうかもしれないから。
先程自分ひとりでやると宣言はしたものの、キラの了承は聞いていない。大抵そういう時は実力行使で邪魔されることを、マーリカはこれまでの三年間で学んでいた。そうでもしないとマーリカを止められないと認識されていることには、マーリカは気付いていない。
キラの手が、マーリカに伸ばされる。
「……お嬢、俺、それ嫌です」
何がだろうか。マーリカが答えずに顔を伏せたままでいると、キラがまた一歩近付いてきた。
取られたら嫌だ。マーリカは更に一歩下がろうとしたが、寝台に足が当たってしまいひっくり返ってしまう。
「きゃっ」
すかさずキラの手が瓶に向かって伸びてきたので、マーリカは横に転がりながら避けようとし――。
失敗した。
「……お嬢、キラって呼んで」
「だ、だめ」
キラが両手をマーリカの横に付き、逃さないとばかりに寝台に片足を乗せる。
「お嬢、また変なことを勝手に考えてるでしょ」
ゆっくりと肘を付くと、体重は乗せられていないものの、圧が凄い。じっと見つめられているのが、視線を逸しているのに伝わってくる。
前だったら、ただドキドキして嬉しかった。だが、今は違う。ドキドキはするが、それ以上に「これ以上近付いては駄目」という焦りの気持ちがマーリカを襲う。
「そ、そんなこと」
「あのね、お嬢」
キラが、涼やかな目を若干細めながら、マーリカの鼻の頭に自分の鼻をちょんと付ける。キラの息が吹き掛かる距離に思わず目を見てしまったマーリカは、完全にキラの青い瞳に囚われてしまった。もう、どうするのが正解か分からない。
「俺、お嬢を手放す気はないですよ」
「な、何を言って」
「ここで踏ん張れば、俺は条件を満たせる。これだけ努力してきたものを、お嬢のへんてこな考えに邪魔される訳にはいかないんです」
「は……っ!?」
へんてことは、あまりにもあまりではないか。さすがのマーリカもカッとなると、キラに言い返し始める。
「へんてこじゃないわ!」
「へんてこはへんてこです。じゃあ言ってみて下さいよ。一体何を昨日から考え込んでひとりで納得してるのか」
「……っ!」
キラの顔は影になっていたが、青い目は怒りからかキラキラと輝き、綺麗だな、とこんな時なのに思ってしまった。
「お嬢、絶対勘違いしてるでしょ」
「か、勘違いなんてしてないわ! キラがここで頑張ってメイテール領を救えば、公爵家にされたことも帳消しに出来るからと思って! そうしたら、もううちみたいな水没した領にいなくてもって、それで私はっ!」
泣きたくなりたかったが、必死で堪えた。ここで涙を見せるのは、卑怯だと思えたからだ。
キラがスッと短く息を吸った。
「――それが勘違いだって言ってるんだ!」
至近距離でのキラの大声に、マーリカはビクッとする。
泣きそうな目をしたキラが、切なそうな声を絞り出した。
「お嬢、俺が討伐隊の司令官を引き受けた一番の理由は――」
キラが息を止めた次の瞬間。
「キーラム様! 一大事です!」
ドンドンドン! と扉が激しく叩かれ、二人の話は中断されてしまった。




