49 隣に相応しい人
初日の移動を終えたマーリカとキラは、宿屋でふた部屋借りると、各々身体を休めていた。
長時間馬に跨ったマーリカの身体は強張っていた為、早々に休むべく布団に入っている。だが、移動中に聞いたキラの過去の話があまりにも衝撃的だったからか、目が冴えてしまっていた。
隣の部屋で、キラは今一体何を思っているのか。キラがいるであろう壁をぼんやり見つめると、小さな溜息を吐いた。
キラがムーンシュタイナー領にやってきた理由は、単純明快だった。
王都では貴族が就ける職の道を断たれ、自領メイテールでは自分たちを追い詰めた公爵令息が孕ませた令嬢を押し付けられそうになったからだ。貴族籍を返し平民に混じり市井で暮らすとはいえ、知り合いにいつ会うともしれない王都やメイテール領で自活することは難しいと考えたのだろう。
だから、公爵が目を付けなさそうな場所を探した。宿舎学校でキラに起きた災難を知る学友たちの地元も、候補から外したに違いない。そうして消去法で選ばれたのが、ムーンシュタイナー領だったのだ。
当初、キラの話を聞き終わったら、ムーンシュタイナー卿が聞いてごらんと言っていたことを尋ねるつもりでいた。
だが、マーリカは聞けなかった。心の中で、引っかかってしまったからだ。
キラの隣にずっといたのは、アリアだった。キラの人生をこんなにも狂わしたのは、公爵令息が原因なのは確かだ。だが、それは結果であり、根底に「アリアを守りたい」という気持ちがあったからだろう。
幼い頃からの、キラの唯一の理解者。元々彼女は婚約者のユーリスを好いていたから、キラに対してそれ以上の気持ちはなかっただろう。でも、マーリカは思ってしまったのだ。
だけど、逆はどうなのか、と――。
血縁であり、次兄の婚約者でもある人物だ。だからアリアに公爵令息の食指が伸ばされた時、キラは当然の如く彼女を守る行動に出た。それは分かる。キラは口も態度も悪いが、決して薄情な人間ではない。むしろ、一度受けた恩は必ずや返そうとする義理堅い性格の持ち主だとマーリカは思っていた。
アリアがメイテール領に戻った時、キラは王都に残った。数々の嫌がらせにもめげず、卒業まで頑張った。勿論、屈したくないという矜持もあったのだろう。
だがマーリカには、これが「アリアの所為ではない」と言外に本人に伝える為の行為に思えてしまったのだ。
アリアはユーリスの妻だ。お腹には、ユーリスの子供もいる。だから今になってキラとアリアの間に何かあるとは思わない。だけど、もしかしたら無理矢理な婚姻話から逃げたことすらも、「アリアの所為ではない」と暗に主張する為だったとしたら。
マーリカは、いつもキラに迷惑を掛けてばかりだ。マーリカの不足を補うのが従者の役割のひとつと言ってしまえばそれまでだが、何ひとつ満足に出来ないマーリカは、キラの負荷となってやしないか。
守られてばかりの令嬢では領地を守れないと、これまで懸命に頑張ってきた。だが、その行為も結局はキラにいらぬ苦労を与えている。キラにマーリカのお守りという余計な仕事を与えているのは、マーリカの発想によるものばかりだ。
現在のキラは、マーリカのことを憎からず思ってくれている気はする。だが、過去のキラがアリアを想い決断したことは、例えば自分が同じ状況だったとして、キラは同じ決断をしたのだろうか。
キラがいなければ、ここまで順調に領地復興など無理だった。キラにとってマーリカは、もしかしたら「放っておけないお嬢」であって、アリアの様に隣に立つ理解者ではないのかもしれない。
だからマーリカは、伝えるべき言葉を失ったのだ。
幸いキラは、マーリカが黙ってしまったのは疲れた所為だと思ってくれたらしい。途中の町に到着するとさっさと宿の手配も済ませ、食事もマーリカが足を伸ばしている間に全て用意してしまった。
自分は役立たずだ。痛烈に思った。
寝台の上で何度も何度も寝返りを打ち、どうしたらキラに認めてもらえるのか、どうしたらキラの隣に相応しいと思われるのかを考えて、必死で考えて。
ひとつの結論に達すると、涙を滲ませながら深い眠りの中に沈んでいったのだった。
◇
二人は、早朝に町を出発した。
午前中、マーリカは今度はどう伝えるべきかと考えていた。普段は騒々しいくらいに元気なマーリカが静かすぎるからか、キラは訝しげな表情をして見下ろす。何を話しかけても空返事な為、これは戦地に向かっていて怯えているのだとでも思ったのか、「お嬢、無理して戦地に向かうことは」と言ってきた。
「絶対に戻らないわ」
マーリカがボソリと答えると、キラはただ溜息を吐き、それ以上は尋ねてこなかった。
午後になり、メイテール領に入る。キラの話では、夕方には領主城に到着するとのことだった。
マーリカはまだ考え込んでいた。皆それぞれ役割があり、それを果たそうとしている。マーリカの役割は、マグナム制作の為の魔力を提供することだ。
今はマーリカの傍にいてくれているキラも、一旦城に着けば魔物討伐隊の司令官としての役割がある。
ならば。
ようやく考えが定まったマーリカは、姿勢を正すとキラを振り返った。
マーリカの顔にいつもの笑顔がないからか、キラの目もいつになく真剣だ。
「到着したら、お願いがひとつあります」
「……お願い?」
未だに雇い主側と従者の気分でいるのも、そろそろやめなければならないだろう。キラはマーリカよりも遥かに爵位の高い侯爵家の人間なのだから。だからマーリカは、これを機に口調も改めることにした。
「頑丈な部屋をひとつお貸し下さい」
「え、お嬢? なんですかその口調、気持ち悪いんですけど」
明らかに戸惑うキラに、マーリカは微笑んでみせる。
「そろそろ領主城に到着するのであれば、これまでの様にはいきませんでしょう?」
マーリカの言葉に、日頃は聡明な筈のキラがハッと息を呑んだ。まさか、今の今までこの必要性に気付いていなかったのか。あのキラが。
ならば、余計に今ここではっきりとさせておかねばならないだろう。キラに課された役割を、マーリカの存在が邪魔をしてはならないから。
「魔具は、私ひとりで作ります。キラ――いえ、キーラム様には、司令官としての役割がございますから、お手を煩わせる訳にはいきませんので」
「……お嬢?」
「ここから先は、キーラム様とお呼びしますので」
マーリカはそれだけ伝えると、前に向き直った。背後のキラからは、動揺が伝わってくる。これまでの雇い主が突然口調を変えたらそりゃ驚くだろう、とマーリカだって思う。
だが、これはけじめだ。一緒にメイテール領へ行く以上、領主の息子で討伐隊司令官となるキラが、たかが男爵令嬢に気安い口を利かれては示しがつかない。
「……」
何か言いたそうな小さな息が吐かれたが、キラとて意図は充分に理解したのだろう。それ以上は何も言わなかった。
一旦領地に戻れば、キラは侯爵令息だ。貧乏領の男爵令嬢など本来相手にすべき対象ではない。それに、今回の作戦が無事成功すれば、司令官を務めたキラはメイテール領だけでなく救国の英雄となる。そうなれば、もうこれ以上公爵側も表立って嫌がらせは出来なくなるだろう。
恐らく、メイテール側が騎士団所属のユーリスではなくキラを任命した目的は、これだ。
すると、きっともうキラはムーンシュタイナー領には帰って来ない。いや、帰って来られなくなるだろう。たとえキラにその意思が残っていたとしても。
この先キラにあるのは、これまで数年失っていた本来はあるべきだった明るい未来だ。眩いキラの隣には、もっと身分のあるキラの隣に並んでも遜色のない令嬢が似合う。
キラがマーリカに好意を持ってくれたのは、マーリカが事情など何も知らずにいたお陰だ。たまたまマーリカが、キラが傷心の時期に隣にいた。それだけだから。
いずれマーリカは、ムーンシュタイナー領に戻らなければならない。キラがいなくなるならば、いよいよ本格的に入婿をどうするか考えねばならない。
唇を、ぐ、と噛みしめる。
だからこれは、今までの三年間の恩をキラに返す行為だ。
恩を返し終わったらその時は、今度こそ自分の足でしっかりと立ち、キラがいなくても時期領主夫人としてやっていける覚悟を決めなければならない。
マーリカは、キラの隣に相応しくないから。
それが、昨夜出した結論だった。




