46 調整
マーリカとキラは二人で一頭の馬に跨り、ウィスロー王国の最も西側に位置する国防の要、メイテール領へ向けて旅立った。次の日の早朝のことである。
マーリカは動きやすさを重視して、乗馬用の服を着てきた。戦場に向かうのに、ヒラヒラした服は何の意味もなさない。まあ、これまでも節約の為、そこまでヒラヒラした服は着ていなかったのだが。
マーリカの後ろに跨り、片手をマーリカの腰に回し支えているのはキラだ。こちらはいつもの従者服を着ている。何年も着たものなので、これが一番動きやすいのだそうだ。
今は馬の背に括り付けられているが、領民が徹夜で作成した魔魚の鱗の鎧もある。二人の体型に合わせて作ってくれた上に、元々が軽量だ。【マグナム】の爆風にすらびくともしない鱗製なので、これさえあれば百人力と言えた。
実は今回、実質ムーンシュタイナー領を仕切っていたといっても過言でないキラが領を離れても大丈夫か、と不安に思っていた。だが、キラの答えは明瞭だった。
ムーンシュタイナー領は、ムーンシュタイナー卿が守ってくれる。だから後方の憂いはない、とキラは薄く笑いながら言ったのだ。その後、「ムーンシュタイナー卿は、日頃はかなり手を抜いていますけどね」と呆れた笑いを加えることも忘れなかったが。
キラはよくムーンシュタイナー卿を追いかけては仕事に連れ戻してはいたが、キラがしたのはあくまでムーンシュタイナー卿を仕事に向き合わせることだ。ムーンシュタイナー卿に何かを提言する際、細かく説明しないと理解してもらえなかったことは一度もなかったという。
「あの人、言わなくても何をどうしたらどうなるのか、ちゃんと分かってるんですよ。恐らくは、俺なんか足元にも及ばないくらい、深く広く俯瞰的に物事を捉えてます」
だからあの人と仕事をするのは楽しいし、彼のお陰で狭かった視野も広がった、とキラは少しだけ悔しそうな顔をして教えてくれる。
マーリカからは、ムーンシュタイナー卿がかなりキラに甘えている様に見えていたが、実際に二人の間にあるのは確かな信頼関係だった様だ。そのことが、キラの表情と口調から分かった。
確かにマーリカだって、父親はちっとも無能でないと思っている。やる気さえ出せば、もっと豊かな領に育て上げることも出来たのではないかと、常日頃考えていた。だが、ムーンシュタイナー卿はそうはしなかった。
何故か。その答えは、やはりキラが持っていた。
「宿舎学校時代に、ムーンシュタイナー卿より遥かに身分が高い人間に目を付けられてしまった、と言ってたんです。それが誰かまでは聞いていませんでしたが、まさか現国王だったとは」
宿舎学校時代に、ムーンシュタイナー卿は当時の王太子であり現国王の個人的恨みを買ってしまった。原因は、昨夜本人が言っていた様に、ムーンシュタイナー卿の恋人でありマーリカの母に王太子が横恋慕したことによる。
この国では通常、卒業して社交界デビューの後に結婚する。だが、それを待っていたら危険と判断した両家は、二人に社交界デビューさせずにさっさと結婚することを許した。人妻となれば、王族といえど手出しは出来ないからだ。
実際、王太子は全く諦めておらず、結婚の事実を知ったのは、国が決めた婚約者ではなくムーンシュタイナー夫人へ社交界デビューのエスコートの誘いを出した時だった。
うちの娘はもう結婚しており、領地経営に忙しい為社交界デビューはする予定はございません、とムーンシュタイナー夫人の実の両親から返答を受けとった王太子は、怒り狂ったという。
だが、いくら王太子とはいえ、既に他者の妻となっている者に軽々しく手を出す訳にはいかない。当時の国王は、王族こそ民の模範となるべきだという高潔な考えの持ち主であった。その為、王太子は表立ってムーンシュタイナー夫人を奪おうとすることは叶わなかった。
その代わりに彼がとった手段は、国王にバレない様に気を使いながら、王太子としての権力をちらつかせることでムーンシュタイナー領の商売相手を片っ端から奪っていく、という卑劣なものだった。
購入相手が減れば、商品は買い叩かれる。じわじわと追い詰められた前ムーンシュタイナー領領主は心労が祟り、ある日突然倒れ、帰らぬ人となった。王太子も、さすがに気が咎めたのか、領主死去以降はあからさまな妨害はしなくなった。
そこからは、夫婦と老いた母の三人で膨れ上がっていた借金を返済すべく、がむしゃらに頑張ってきた。幸い、元々他領にも味方はいた。ムーンシュタイナー夫人の両親や寄宿学校時代に仲のよかった学友たちがひっそりと支援を続けてくれていたお陰もあり、この先の未来は明るいと誰もが考えた。
やがて、領民の数は減ったが少しずつ借金は減り、マーリカも生まれ、あとちょっとというところで――。
流行り病がウィスロー王国を襲った。
何日も続く高熱と嘔吐下痢による体力の低下から、合併症を起こし亡くなる者が続出した。一番最初に亡くなったのは、ムーンシュタイナー卿の老いた母だった。その次にムーンシュタイナー夫人の両親が立て続けに亡くなり、看病に追われていたムーンシュタイナー夫人も病に倒れる。
その頃、王都では国王が身罷り、王太子は国王となった。彼が国王となり最初にしたことは、開発された特効薬を王都で多用し、王都から病を消し去ることだった。残念ながら、薬は地方にまでは回って来なかった。
そして、ムーンシュタイナー夫人は愛する夫と娘を残し、この世を去った。
ムーンシュタイナー夫人の死後、国王から相変わらず自分勝手な手紙が妻宛に届いた。ムーンシュタイナー卿は、質素な返事を書いた。「地方まで特効薬が届かなかった為、妻は亡くなりました」と。
そこからもう二度と、国王から手紙が届くことはなかったという。
ムーンシュタイナー卿は、歯を食いしばりながら働いた。そしてとうとう借金はなくなり、取引も正常に行なわれる様になった。
だが、次の心配の種が生まれてしまう。
幼かったマーリカが、どんどん亡き妻に似てきたのだ。この姿を見られたら、あの国王が何をしでかすか分からない。それ以外にも、下手に金持ち領になってしまうと、金目的で領を乗っ取ろうとする輩が現れかねない。
自分の命以上に大切なマーリカには、自分の様に幸せな結婚をしてもらいたかった。だからムーンシュタイナー卿は、調整したのだ。
「調整?」
マーリカの問いかけに、キラが真面目な表情で答える。
「可もなく不可もない、魅力のない片田舎の領地。やる気のない領主。そんな土地に婿養子として入りたいなど、出世意欲の高い貴族だったら考えないでしょう」
「確かに」
贅沢なんて以ての他な環境に、贅沢に慣れ切った貴族令息が耐えられるとは思えなかった。
キラが、目を細めてマーリカを見つめる。
「ムーンシュタイナー卿は、貴女を心から好いてくれて、どんな環境だろうが楽しめる男でないと婿養子にはしたくないと言ってました」
「お父様がそんなことを……」
以前ムーンシュタイナー卿が「入婿を」と漏らしていたのを、てっきり見合いでもさせる気なのかと思い込んでいたが、こういう意味だったらしい。本人に問い質しもしなかったマーリカの盛大な勘違いだった訳だが、果たしてあの時尋ねたところでこの答えが彼の口から聞けたのかは微妙だろう。
キラが、ふ、と前方を見た。
「……俺がムーンシュタイナー領に職を斡旋されてやってきた時、お嬢が必死で俺の採用を勧めてくれましたね」
「ええ」
あの時、お菓子を食べたキラの笑顔がとてつもなく素敵だったからだ、とは未だに誰ひとりにも話せてはいないが。
「実はあの時、仮採用をいただいたのです。本採用は、俺の素性を全て洗いざらい話し、ムーンシュタイナー卿が全て裏を取った後、信用に足ると思っていただけてからでした」
「え、そうだったの?」
くす、とキラが笑う。
「ええ。ムーンシュタイナー卿は慎重な方ですからね。そしてその時、俺が公爵令息と揉めてここまで逃げてきたことを知り、先程の話をサラリとですが聞かせてくれたのです。――自分と似ていると。勿論、相手が国王であることは伏せていましたので、かなり端折られた内容でしたが」
そうだったのか。そんな前から、あの人はキラの正体を知っていたのか。ちっとも気付かなかった、とマーリカはとうとう己の鈍感さを認めることにした。これはもう絶対鈍感だ。間違いない。
キラが、言い淀む。
「それで……次は俺の話を聞いていただいても?」
「え……っ」
ようやくキラの話が聞ける。マーリカは振り返って首を縦に幾度も振ると、キラは静かに過去について語り出した。




