33 キラとユーリス
賑わう市場の通りを、明らかに貴族だと分かる騎士と、従者にしか見えない服装の男が並んで歩く。市場にいるのは殆どが平民な為、体格も着ている服の素材も一流の騎士は、非常に目立った。
そんな男が、数段以上劣る服を身にまとう従者の男と親しげに肩を並べている。従者の男には迷惑そうにも見える表情が浮かんでいたので、二人の様子を目にした人間は、「従者が騎士に絡まれている」とでも勘違いしたかもしれなかった。
あまりにもジロジロと見られるからか、騎士は思わず苦笑する。従者の男の肩に気安く手を乗せて人の少ない木陰へと誘導すると、木の幹にもたれかかりながら、周囲に聞こえない程度の小声で話し始めた。
「大きくなったな。見違えたよ」
「それはどうも」
素っ気ない返答に、騎士の男の眉が垂れ下がる。
「……あのご令嬢の魔力によって特性が付与されるという話は、本当かい?」
「嘘を言ってどうなります」
「いや……お前が言うならそうなんだろうが、勿体ないと思ってね」
騎士、ユーリス・メイテールの言葉に、従者、キラの眉がぴくりと反応する。
「諦めて下さい。彼女の魔力は、あまり知られたくはないのです」
睨む様な目つきでキラがきっぱりと言うと、ユーリスは穏やかな笑みを零した。
「まるで騎士だな」
「しがない従者です」
キラは感情を読ませない抑揚のない声で答えたが、ユーリスはそれに対しても笑顔で返す。
「初めは、他人の空似かと思ったよ。――無事でよかった」
「他人の空似だと思っていただければ結構ですよ」
つれない態度を貫くキラに、ユーリスは悲しそうに眉を垂らした。
「……お前が突然消えて、三年だ。俺たちがどれだけ心配したと思っている」
「あの時はああするのが一番と判断したのは、俺だけではなかったと記憶していますが」
キラの返答に、ユーリスは苦い顔をして黙り込む。
「……兄様が勧めた、と後に聞いた」
「俺の意思がなければ聞き入れませんでしたよ。俺だってあんなの真っ平御免でしたからね」
「あれはなあ……まあ、うん。分かる」
ユーリスはこめかみをぽりぽりと掻くと、ボソボソと続けた。
「公爵家の跡取りだからといって、まさかあの馬鹿が孕ませた女をお前に押し付けてくるほど愚かとは、俺たちも思っていなかったんだよ」
溜息混じりのユーリスの言葉にも、キラは顔色ひとつ変えずにさらりと返す。
「他にもあの方が関係した令嬢を下賜された者はおりましたでしょう」
他人事の様な口調に、ユーリスはバッと顔を上げると声を張り上げた。
「だからって、うちは爵位こそ侯爵だが、独立した権限を持つ辺境伯だぞ? そこにまさか公爵家が口を挟んでくるとは、普通は思わないだろう?」
「声を小さめにお願いします」
「お前な……本当そういうところ、昔から……っ」
「俺の生活を壊す気ですか」
言葉を失った様子のユーリスは、悲しそうに首を横に振る。
「……すまない」
公爵は、貴族の中でも高位の貴族にあたる。高位であるからこそ清廉であることを求められるのだが、公爵家にはそれが出来ない跡取り息子がいた。あちこちに自身の種を植え付け、その度に家臣や気に食わない格下の貴族に押し付けてきた者が。
公爵家にはその嫡子以外にも男児はいたが、年が離れておりまだ幼い為、彼の傍若無人ぶりは周囲の人間も止められないでいたのだ。
ユーリスが、ガシガシと頭を掻きむしった。
「これまで散々お前の邪魔をしてきた癖に、女と子供を受け入れたら断たれたお前の道を検討してもいい、と言われたら、親としてはなあ」
これに対しても、キラは抑揚のない声で返す。
「敵を懐に入れる様なものなのに、判断が鈍ったとしか思えませんね」
「お前な……親心ってやつだろ。理解してやれよ」
その言葉の後、キラに静かな目で見られたユーリスは、辛そうに顔をしかめると目線を足許に落とした。
「……すまん。言い過ぎた」
「いえ」
素っ気ない返答に、ユーリスの眉が更に一層垂れる。
「いや……元はと言えば、お前がアリアを守ってくれたからなのにな。俺は何も知らなかった。本当に馬鹿だ」
アリアという名前を聞いて、キラの表情が少しだけ和らいだ。
「そういえば、懐妊されたと聞きましたが」
キラの問いに、ユーリスの表情も優しいものに変わる。
「うん。実はそうなんだ」
「おめでとうございます」
少しだけ和やかになった雰囲気の中、ユーリスが安堵した表情を浮かべながら続けた。
「俺も騎士団の仕事に慣れるまで時間が掛かってしまい、アリアには寂しい思いをさせたが、ようやくだ。あれも、お前が突然いなくなりかなり落ち込んでいたから……」
「何も言わず出奔した情けない人間のことなど、早く忘れればいいものを」
「――お前な!」
跳ねる様に顔を上げたユーリスが、キラの肩を掴んで睨みつける。
「あれがどれだけ自分の所為かと責めたと思う……!?」
キラはそっとユーリスの手を退けると、淡々と伝えた。
「それこそ勘違いというものです。俺は俺の意思で行動しました。それがあの結果であって、他の人間に責任を押し付けるつもりは毛頭ないのは今でも変わりません」
「キラ……」
「俺はあの馬鹿公爵令息の意のままに従う自分が許せなかった。それと同時に、人の幼馴染みに手を出そうとする奴の鼻っ柱を折りたかっただけです。それがたまたま貴方の婚約者であったというだけで、全ては俺の意思だ。間違えないでいただきたい」
キラがきっぱりと伝えると、ユーリスは泣きそうな笑顔になる。
「俺は自分の意思で今ここにいる。誰かの為ではない、自分の為です」
「――では、ムーンシュタイナー男爵令嬢のことは何と説明する?」
ユーリスの問いに、キラは間髪入れず答えた。
「俺の為ですが?」
ユーリスが顔を歪めても、キラはどこ吹く風といった体を貫く。
「……てっきり馬鹿公爵令息の目に止まらない様、警戒をしていると思ったんだが」
「そうですよ?」
「……ええと?」
ユーリスが首を傾げると、キラは無表情のまま畳み掛ける様に言葉を重ねていった。
「お金がほしいお嬢がすぐに飛びつく様な話を持ち込んだ貴方には、正直苛立ちました。騎士団なんかに納品したら、早い内にお嬢の存在は知れ渡ります。そこで俺が傍にいることがあの馬鹿に知られたら? あの馬鹿がお嬢に何をするかなんて考えなくとも分かりますよね? 貴方も馬鹿なんですか?」
「へ……キ、キラ……?」
キラの勢いに気圧されたユーリスが、顔を引き攣らせる。
「あんな人をあの馬鹿がひと目見たら、確実に邪な気持ちを抱きますよね? だってあんなですよ?」
「お、おい、キラ……?」
「あの人をあの馬鹿にひと目見られると考えただけで、虫唾が走る」
キラの言葉に、ユーリスは目を見開いた。
「お、お前、もしかして……?」
キラは止まらなかった。切れ長の目で真っ直ぐにユーリスを射抜く様に見る。
「お嬢の魔力が金を産む木だと考える人間は必ず現れます。ムーンシュタイナー領全体の事業として潤う分にはいい。だけど、騎士団で常用される様になったら、お嬢を手に入れて儲けようと考える輩が必ず現れます」
「キラ……」
「冗談じゃないんですよ。俺のお嬢を危険に晒す様な真似は、二度とやめていただきたい」
俺のお嬢という言葉に、ユーリスは目を見開いた後、口角をほんのり上げた。
「……ん。分かった。分かったから、そう怒るな」
ユーリスがキラの肩をポンと叩くと、キラはジロリとユーリスを見返す。
「俺たちは、ここで会いませんでした」
冷酷とも思えるキラの言葉にも、ユーリスはにこやかに頷いた。
「そうだな。次はもう少し服装にも気を付けてみよう」
「……話聞いてんのかコイツ」
キラのぼやきには、ユーリスは笑顔のまま反応を示さなかった。
「……さて。お勧めの魔魚料理を教えてもらっても?」
「目玉ですね」
「目玉!?」
ユーリスが驚くと、初めてキラの顔にも笑みが広がったのだった。




