30 マーリカの案
船着場から陸に避難する領民を、サイファが誘導する。全員の避難が終わると、マーリカとキラが乗る船の元へと駆け戻ってきた。
大蛇はもうすぐそこまで迫ってきており、猶予は残されていない。サイファは腰に下げていた長剣をスラリと抜くと、船よりも一歩前に出た。化け物級の魔物に剣ひとつでは勝ち目はない。サイファの行動は、自分を盾にしてマーリカだけでも逃す為のものだった。
なのに、マーリカを守ると常日頃豪語しているキラすらも、船に片膝を付いたまま立ち上がろうとしない。サイファが「腰が抜けたか」と勘違いしたとしても、仕方のない状況だろう。
サイファは、発破をかけるつもりでキラに怒声を飛ばした。
「何やってんだキラ! マーリカ様を危険に晒してんのが分かってんのか!? 今すぐ立ち上がって逃がせ!」
サイファには一切の余裕がなく、焦燥感からか、褐色の肌は日頃よりも青ざめて見える。
だが、キラはサイファに一瞥のみくれると、マーリカに向かって笑顔で頷いた。
「なるほど、さすがはお嬢です」
「でしょう? じゃあやってみましょうか!」
こんな時に何を呑気に、とサイファが顔を引き攣らせている隙に、マーリカはパカリと膝に抱えていた【マグナム】が入った木箱を開ける。
「おい!?」
サイファが声を上げると、マーリカは【マグナム】をひとつ手に取った。キラが真っ直ぐに大蛇を見据えながら、マーリカのもう片方の手を握り、声を上げる。
「お嬢! 上に思い切り投げて!」
「分かったわ!」
日頃自分の身の回りのことを自分でしているマーリカは、一般的な令嬢よりも体力もあれば腕力もある。それをよく知るキラは、一瞬たりとも躊躇いを見せなかった。
「えいっ!」
マーリカが上空に向けて【マグナム】を投げると、すかさずキラが呪文を唱える。
「風よ吹き荒れろ! ウェントュス!」
直後、小さなつむじ風が【マグナム】の周りに起こった。
「――いけ!!」
キラの怒号と共に、風魔法に包まれた【マグナム】が大蛇に向かい一直線に飛んでいく。
キラの魔力は決して多くはない。だが、風魔法の方向を正確に操るなどといった制御能力は抜群に長けているのだ。
大蛇が、自分に向かって飛んできた【マグナム】を口を広げて受け止めた、その瞬間。
ドオオオオオオンッ!!!!
激しい爆発と共に、大蛇の頭部が吹っ飛ぶ。司令塔を失った身体は暫く直立不動を保っていたが、やがて後ろへゆっくり倒れていった。
振り返りざま、キラがマーリカを抱きかかえて立ち上がる。
「お嬢掴まって!」
「ええ!」
勢いのまま船の板を蹴ると、船着場に向かって飛んだ。ダン! と木板を響かせると、呆然としているサイファに少し誇らしげな笑顔を見せる。
「波が来る。逃げるぞ」
「お……えっ!? うお! マジか!」
ドバアアアンッと激しい水を打つ音の後、背の高さはありそうな波が三人に迫ってきた。大蛇が湖に倒れ込んだ余波がきたのだ。
キラはマーリカを軽々と横抱きに抱いたまま、全速力で船着場を駆け抜ける。サイファよりはひと回り細身ではあるが、キラの余裕そうな動きを見たサイファは「こいつ腹立つわ……」と独りごちた。
「やったわねキラ!」
キラの首にしがみつきながら、マーリカが歓声を上げる。
キラは口の端を少しだけ上げると、マーリカの耳元で小声で囁いた。
「舌を噛むから口閉じて」
耳にキラの息がかかったマーリカはその瞬間、今自分がキラに抱きかかえられて、しかも自分からキラの首にしがみついていることに改めて気付く。
心臓がドクンと跳ねた所為で、咄嗟に声が出なかった。理解したという意味でこくこく頷くと、キラはくすりと小さく笑いながらマーリカの後頭部に手を当て自分に押しつけた。
「……離すなよ」
キラのくだけた口調を聞かされたマーリカは、くらくらし過ぎてもうキラの体温と息遣いだけしか感じられない状態に陥っている。推し従者が颯爽と自分を助ける姿を見て悶絶しない者がいるだろうか。絶対いない。くらくらするに決まっている。
船着場の端まで走り抜けると、キラとサイファは跳躍して地面へ着地した。そのまま勢いを付けて高台まで辿り着くと、額に汗を浮かばせながら湖を振り返った。
以前まで使用していた丸木舟だったら、船は転覆し、売り物は全て駄目になっていただろう。だがラッシュたち大工が寝る間も惜しんで組み立て式の船を次々に造船していった結果、大きいが軽量化された貨物船が主流となっていた。その為、大波に船は激しく揺らされはしたが、転覆したものはない様である。
「……おい、あれは何だったんだ」
未だマーリカを抱きかかえてマーリカの赤味を帯びた金髪に顔の半分を埋めているキラに、サイファが呆れ顔で尋ねた。
「あれか? お嬢の案だ。凄いだろ」
誇らしげなキラの態度に、サイファは思わず顔を顰める。
「そういうことを聞いてるんじゃなくてな……」
サイファが更に問いかけるも、キラは「お嬢、どこも怪我ないです? あったらすぐに治すから言って下さい」と全く相手にしない。
「だ、大丈夫よ……っ」
マーリカが顔を上げてキラを見上げると、キラは大仰に驚いてみせた。端正な顔を悲しそうに歪めてみせる。
「お嬢、顔が真っ赤ですよ! これはいけない! さ、向こうで休みましょ」
「へっ!? いえ、あの、これはそのっ」
マーリカがワタワタするが、キラは取り合わず、慰める様な微笑みを浮かべた。マーリカの耳に口を近付け、囁く様に語りかける。
「お嬢の勇気には感服しましたが、やはり怖かったですよね」
「あの、キラ、私…っ」
「お嬢、もう安心して俺に身体を預けて下さい。お嬢の恐怖が完全になくなるまで、決して離れないと誓いますから」
珍しいキラの早口に、マーリカは口をパクパクさせることしか出来なかった。身体を預ける? 決して離れないと誓う? 日頃は憎まれ口ばかりのキラの口から飛び出てくる言葉。それらの意味の理解が追いつかなかったマーリカは――。
きゅうう、と喉から音を立てて気を失った。
推しのキラの猛攻に、許容量を超えたマーリカであった。
◇
万が一の転覆にも備え防水対策もされていた売り物は、全て無事だった。
気を失ったマーリカを、キラは片時も離そうとしなかった。ムーンシュタイナー領の出店場所の裏手にある休憩場でマーリカを膝の上に寝かせていたのだが、ちょくちょく領民が入ってきてはニヤニヤ笑う。
それとは別に、サイファが「代わってやる」としょっちゅう入ってきては声を掛ける。休ませるどころの話ではない。我慢の限界を迎えたキラは、マーリカを抱いたまま移動するべく立ち上がった。
「おい! どこに行くんだ!」
慌てたサイファに、キラは冷たい一瞥をくれる。
「船に戻る。これじゃお嬢が休まらないからな。何かあれば呼びに来い」
「おま……」
「暇だろ。【マグナム】を売っておけ」
「相変わらず人使い荒いな」
面白くなさそうな声色でサイファが返すと、キラは小さく「ふっ」と笑う。
「……お嬢を見ただろ」
「ん? どういう意味だ」
「俺のお嬢、格好よかっただろ」
「……!」
目を見開いて答えないサイファに、キラは普段からそれくらい見せたら怖がられないだろうに、という穏やかな笑みを浮かべた。
「これがお嬢だよ、サイファ」
「キラ……」
「じゃ、完売よろしく」
風の様に柔らかな動作で立ち去っていったキラの後ろ姿を目で追っていたサイファは、「……はああ」と疲れた様な溜息を吐いたのだった。




