21 マーリカの計画
本日の【マグナム】販売も、非常に好調のまま終了した。
本来なら魔導士らの小遣い稼ぎである魔具作りを量産化したムーンシュタイナー領の新事業は、ひと月の間で一躍有名になった。その為か、日頃は立ち寄らない他領の住民までが市場に足を運んでくれていたらしい。
今にも笑い出しそうになる頬を震わせながら、マーリカは叫びたい衝動を懸命に抑えていた。さすがに男爵令嬢が市場で雄叫びを上げては拙い、という認識はマーリカにだってあったからだ。
最近はすっかり『マグナム令嬢』との呼び名が定着しつつあるマーリカだったが、これが『雄叫び令嬢』に変わってしまったら、間違いなくキラの血管は切れる。キラにはいつものあの悠然とした雰囲気が似合っているとマーリカは思っていたので、出来ればそんなキラは見たくなかった。
日頃から何を考えているか読めないことも相まって、ブチ切れキラはただひたすらに怖いのだ。怒り方すら淡々と静かなのが、更に恐怖を煽った。
あの万能な従者は、マーリカが令嬢らしからぬことをしてもある程度までは黙認してくれる。だが、マーリカが意識せずに取った行動を見て、何故か突然雰囲気が寒気がするほど怖くなることがあった。
これまでの経験から、思い切り走っても口を開けて笑っても何も言わないことは分かっている。ただ、ドレスの裾をたくし上げて湖に足を浸けたり領民に混じって仕事の手伝いをしようとすると、あからさまではないものの機嫌が悪くなることがあった。大体眉間に皺が寄るので、分かる。
だがそれも、食器を片付けたりとマーヤを手伝う時は「お嬢、偉いですよ」と口の端をごく僅かに吊り上げながら褒めてくれるので、マーリカにはいまいち違いが分からなかった。
どこの何からが境界線なのか、とにかくマーリカにはさっぱりなのだ。その為、一度本人に直接尋ねてはみたのだが、「……ハアー」と残念そうな溜息を吐かれただけだった。そこまでするなら、言ってくれたっていいだろうと思う。
そんなちょっぴり傲岸不遜なキラが、時折からかう様な態度を見せる時があった。チリチリになった髪の毛を魔法で直してくれた時も、後から考えたら面白がっていたな、とマーリカは遅ればせながら気付いたのだ。マーリカだって学習するという証拠だろう。
からかわれた瞬間は、どう反応するのが正解か分からず、身体の動きがカクカクしてしまったり思いきり吃ってしまったりしてしまう。もしかしたらあの反応を見て楽しんでいるのかしら、とマーリカは疑っていた。あのキラのことだし、王都や大きな街に比べて娯楽の少ない環境だから、十分にあり得るのではないか。つまりは、体の良い玩具である。
尚、マーリカの中に「主人をからかうなんてとんでもない従者だ」という認識は全くない。そもそも領主のムーンシュタイナー卿からして、襟首を掴まれても泣き真似をするだけで怒らない。そういう一家なのである。キラがいなくなったら即座に立ちゆかなくなるという事実を明確に認識出来ている、とも言えた。
貴族の矜持など、生命の危険に比べれば魔魚の骨以上に価値がない。そのあたり、ムーンシュタイナー卿もマーリカも、かなりの現実主義者であった。領地の状況的に、そうならざるを得なかったのだろうが。
だが実はマーリカは、キラにからかわれてもあまり嫌とは感じていなかった。キラは多少、いや大分口うるさくはあったが、とにかくひたすら顔がよく、仕事は完璧だ。出来たら一生傍についていてもらえないかな、と密かに願うくらいには、マーリカはキラを好ましいと思っていた。
つまり、マーリカの中では、一にも二にもキラ、キラ、キラなのである。正直言って、出来るだけ父親のムーンシュタイナー卿には長生きしてもらい、婿養子など迎えずにキラと三人で領地経営をしていきたいと願っていた。
――それは到底無理な話で、夢物語だとは分かっていても。
だから、そんな完璧でマーリカいち推しのキラには、「お嬢やるじゃないですか」と褒められたい。マーリカのやる気の源は、常にそこにあった。勿論、それ以上は望まない。望んではならないことを、マーリカは重々承知していた。
そんな訳で、ここのところ失敗続きだったマーリカであったが、【マグナム】制作も軌道に乗り始め、販売も順調である。キラが横にいなくとも、マーリカにだって売り子が出来た。しかも即完売だ。嬉しくない筈がない。
これでキラに褒めてもらえる。そう思えば、思わず頬も緩むというものだった。
「サイファ、見ていたでしょう!? 即完売だったのよ!」
紅潮した頬をして興奮気味に語るマーリカを見下ろすサイファは、クスクスとおかしそうに笑っている。サイファの眼差しは、歳の離れた妹を見る様な優しいものだった。誰の目から見ても、そこに恋愛の情が含まれている様には見えない。それだからこそ、渋々ながらもキラがサイファにマーリカを任せたのであろうことは、傍でそっと見守っている領民は皆理解していた。
そんな風に見守られていることなどつゆ知らず、マーリカは喜びを隠さずに熱く語る。
「出店予告をした日は何があろうと行くべきだということが、これで証明されたわね!」
「まあマーリカ様が売り子になる必要はないんだけどな」
サイファが苦笑しながら真っ当な意見を述べたが、マーリカは答えないことでそれを流した。
「ということで、サイファ。朝にお願いしたことなのだけど――」
マーリカが、突然照れくさそうにもじもじし始める。サイファは出来るだけ屈んでマーリカに顔を近づけると、小声で尋ねた。
「どうした? 言うのが恥ずかしい様なことなのか?」
「え、いえ、そういう訳じゃないのよ、ただ……」
マーリカが、モゴモゴと口の中で呟く。だが、サイファの耳には届かなかったらしく、サイファが片眉を怪訝そうに上げた。
「ん?」
「その、私、恥ずかしながらこれまで男の方に贈り物というものをしたことがなくて……」
緑色の虹彩が、サイファの紫眼を懸命に見上げる。
「贈り物? 誰に。父親か?」
「いえ」
マーリカの即答に、サイファの目元が愉快そうに弧を描いた。
「……あの銀髪の坊っちゃんか」
「そうなの。領地が水没してから、キラには沢山迷惑を掛けてしまったでしょう? ここのところようやく事業も軌道に乗ってきて、私も皆さんと同じ様にお給金をいただけているので、お礼も兼ねてキラに何か買おうと思っていたのよ」
「ふうん。いいんじゃねえか? あのツンと澄ました顔も緩みそうだしなあ」
サイファが肯定すると、マーリカはホッと安堵の息を吐く。
「よかった。キラの目の前で買う訳にもいかなかったし、機会を窺っていたのよね」
「まあアイツは絶対離れないよな……はは」
一瞬、サイファが遠い目をした。それの意味がよく分からなかったマーリカは、とりあえず要望を伝えることにする。
「だから、あの、サイファに一緒に贈り物を選んでほしいの。お願いできるかしら……?」
男性に贈り物をするのは、家族間であればよくあることだ。だが、キラは心安いとはいえ他人だ。家族でもない友人でもない、ましてや恋人でもない成人男性に何を贈れば喜ばれるのか、さっぱり分からなかったのだ。
「なんだ。そんなことならお安い御用だ」
サイファはニカッと明るい笑みを浮かべると、恭しくマーリカに手を差し出す。
「え?」
「市場の中は色んな奴もいるし危険もあるからな。お嬢様、どうぞお手をお取り下さい。私めがご案内させていただきます……てね」
サイファはバチンと音が鳴りそうな勢いで垂れ目の片方を閉じると、「え? え?」と戸惑うマーリカの手を掴んだ。
「では見て回ろうか」
「ふぁ……っは、はい!」
「くく……っアイツの気持ち、少し分かるなあ」
マーリカを笑顔で見下ろしながら、サイファがボソリと呟く。
「え? な、何が?」
「いや、何でもないさ」
サイファは大きく一歩を踏み出すと、マーリカをグイグイと引っ張りながら市場の雑踏の中へと進んでいったのだった。




