1-9. はかりごと
「お嬢様、エレナ・ヴォイド伯爵令嬢がいらっしゃいました」
執事が告げる。振り返ると、エレナが立っていた。
「あら、エレナ、早かったのね。まだ約束の時間には一時間もあるわよ」
マルティナは驚いて見せた。
「わたくしが早く来てしまったのです。皇子からの花束のことを直接お伺いしたくて」
エレナは淡いグリーンのドレスを身につけて、爽やかに笑っている。
悪気はない。分かっているけれど、その好奇心に溢れた表情に、思わず笑ってしまう。
「お座りになって。本当にあなたは可愛いわ、エレナ」
エレナは席にかけながら、ぷっと口をふくらませる。
「同い年なのに」
そうなのだが、自分が五年を回帰しているのもあり、同い年なのに可愛く思える。
(そんなあなたを利用してしまうことになるのが心苦しいわ)
マルティナは申し訳なく思いながら、扇を口元に広げた。くすくすと笑いながらエレナに尋ねる。
「花束のこと、どこからお聞きになったの?」
「お父様からですわ。皇城に上がっている方達はみな知っておりましてよ?
皇子が毎朝、みずから摘んでいるとかいないとか。
頻繁に侯爵家へも訪れていて婚約間近だともお伺いしましたけれども、本当ですの?
私にもそんなにお話が進むまで教えてくださらないなんて、水くさいですわ」
勢い込んで一息に話すエレナに、苦笑いをする。
「だいぶ噂が大きくなっていますわ。
そんなお話は進んでおりませんし、皇子は確かに一度いらっしゃいましたが、一度だけです」
「えっ、でもそう……」
「どなたかがそういうことにしたいんでしょうね」
そして侍従や女中に、その話を広めさせている。面白おかしく噂せよと。
マルティナは扇の下で口を尖らせる。おそらく皇子本人が噂の出どころだろう。
たった数日でこんなに噂を広めるとは、いったいどんなやり方をしたのだろうか。しかも侯爵邸に来たのは昨日だけだ。
噂が先行していったので、あとから事実を追加しようとしたのだろう。
(本当に面倒な事になりましたわね)
「どなたか……では、マルティナ様のお気持ちは? マルティナ様は、それで良いのですか?」
エレナの青色の目が不安そうに揺れる。
マルティナは一度視線を逸らした。ここですぐに否定してはいけない。目を伏せ、少し憂いを帯びた表情を浮かべてみせる。
「わたくしは……侯爵家を継ぐつもりでいましたから……。
それに、剣は私の生きがいですわ。本当は剣を捨てるなど考えたくもありません。
……でも、もしお父様が……決められたならば、それに従うつもりでおりますわ」
何を、とは明言せずに、静かに話す。
エレナの少し潤んだ目が、感動したように見開かれた。
「なんてご立派な……。
わたくしはマルティナ様がどのようなご選択をなされることになっても、ずっとマルティナ様を支えてまいりたいですわ」
緩やかな弧を描くエレナの髪がさらりと肩に揺れている。
陽を浴びて反射する髪が眩しくて、マルティナは目を細めた。
「ありがとう、エレナ」
(ごめんなさいね。結果的にあなたを利用することになってしまうけれど、赦してね)
心の中で、マルティナは頭を下げた。
昨日、皇子が侯爵家を辞したあと、侯爵とマルティナは対応を協議した。
結論としては、マルティナはほとぼりが冷めるまで国外に一時退避するのが良いだろう、という話になった。
父アードリアンの古い知り合いで、隣国のフレリア王国に頼れる家があるらしい。
家格としては子爵家だが、もともとは皇国側の貴族にも縁があった家で、特に侯爵とは古い付き合いということだった。
そこにお願いして、半年から一年を隣国で過ごせば、皇子の一時的な執着もおさまるのではないか。
しかし、来月の夜会に出席すれば公式のパートナーとして紹介されてしまうことになる。
それからすぐに婚約を申し込まれてしまうと身動きが取れなくなるだろう。
また、今現在皇子がマルティナのことを気に入っているのは周知の事実であるし、マルティナが夜会の約束を反故にして国外へ行くことが知れると、侯爵家が皇室との縁を結びたがっていないのではないかと、痛くもない腹を探られる可能性も高かった。
タイミングを見誤ると身動きが取れず、かといって早くも動けない。どうするべきか、と思案する侯爵に、マルティナは言った。
「お父様、皇子側に過失……というか、婚約申し込みを諦めざるを得ない状況を作り出すのはいかがでしょうか」
侯爵は眉を上げた。
「それができれば動きやすくなるが……具体的にはどうするのだね?」
「わたくしに有利な状況を作り出せそうなご令嬢に心当たりがあるのです」
そうして、ローザリンデのことを話した。
皇子のファーストダンスの相手を務めたことや、皇子側も満更ではなさそうな様子だったことを告げる。
何より、ローザリンデ側に強く皇子への執着があることが、侯爵の気持ちを傾けさせたようだった。
「うまくバールケ子爵令嬢を焚きつけることができるかね?」
それでもやや懐疑的な様子を見せる侯爵に、マルティナは頷く。
「わたくしが婚約間近だという雰囲気を作り出せば、子爵令嬢はきっと焦って皇子に近づこうとするでしょう。明日の茶会で、うまく誘導してみせますわ」
ふむ、と顎に手を当てていた侯爵は「ではお前に一度任せてみるか」と呟いた。
「わたくしにはこの策を成功させなければ、あとがないのですもの、やってみるしかありませんわ」
マルティナは悠然と微笑んでみせた。
侯爵とのやりとりを思い出しながら、すっかりマルティナに同情的になったエレナと歓談を続けているうちに、本来の招待の時間がきた。令嬢達も続々と集まってきている。
ローザリンデ・バールケ子爵令嬢も、侯爵家の大きさに圧倒された様子であちこちを眺めながら庭を進んでくるのが見えた。
マルティナは立ち上がった。
「ようこそ皆様、我が侯爵邸によくいらっしゃいました」
マルティナの声に、令嬢達はこぞって礼をする。
マルティナも礼をすると、令嬢達一人一人に声をかけ、席へ誘導していった。これまで付き合いの多かった令嬢達をうまく全体に配置し、あまり付き合いのなかった令嬢達を間に挟んでいく。
(わたくしの噂話をほどよく広めてくださるでしょう)
そう思いながら、マルティナは自席に戻ると、みなを見渡した。
「今日は本当に来てくださってありがとうございます。
わたくしはこれまであまり社交に出ておりませんでしたし、こうした大きな茶会を催すのも始めてなのですが、年の近い皆様とは仲良くなりたいと思っておりますの。
最初の席はわたくしのほうで決めさせていただきましたけれど、途中で移動していただいても構いませんわ。楽しく過ごせる場所でお過ごしになってくださいね。
また本日はバラがとても見頃ですの。バラ園の方に移動なさりたい方はおっしゃってね、あちらにもテーブルをいくつか用意していますから。
皆様に楽しんでもらえると嬉しいわ」
マルティナが微笑むと、令嬢達は嬉しそうに顔を見合わせる。
エレナの隣に座らせたローザリンデは、マルティナをじっと見ていた。自分が呼ばれたことを訝しく思っているようだった。
これまで、ローザリンデの生家、バールケ子爵家の家門の情報はもちろん把握していたが、意図的に接触を避けてきた。
これまでどの茶会でもあまり顔を合わさないようにしていたし、一度だけもらった招待にも、遠回しな理由を付けて断っている。
それなのに、デビュタントを口実にしているとは言え突然呼ばれたのだ。何かしらの企みを疑うのが当然だろう。
(まあ、お察しの通り企んでいるのですけれど)
マルティナがローザリンデと目を合わせてにっこり微笑むと、ローザリンデはぱっと視線を下に向けた。
注がれていくお茶をずっと見ていました、と言わんばかりの様子に、マルティナはくす、と微笑む。