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1-8. はかりごと

 ゲルデ自身は剣を握らないが、毎朝の鍛錬に必ず付き添っている。

 今日の手合わせは、侯爵とマルティナにとっては児戯(じぎ)にも等しいものだった。

 マルティナは息を吐きながら上着を脱いだ。あれが私の実力だと、ハーラルトは信じているだろう。

 侯爵令嬢の剣の腕は、大したことはない、所詮(しょせん)は令嬢の真似事だと。

 

「機嫌良く帰っていただくためよ」

 マルティナが差し出す上着を、ゲルデは受け取った。

「しかし」

「それに、下手に打ちのめしてしまって、これ以上面倒な事になるのはごめんだわ」

 

 笑うマルティナが服を脱ぐのを手伝いながら、ゲルデは不満そうに鼻を鳴らした。

 

「そうですね、執念深そうですし。

 私、あんなに近くで皇子殿下に拝謁(はいえつ)したのは初めてですけれど、プライドの(かたまり)って感じでしたね」

 マルティナはくすりと笑う。それはそうだ。

 

 皇城ではきっと、誰もハーラルトに本気で剣を教えていないのだろう。負ければ顔を真っ赤にして怒り、剣の先生を次々と辞めさせていた。少なくとも前世では。

 今世では婚約者でもなければ皇城に近寄りもしていなかったので、前世と同じ状況かは分からない。

 しかし、まああの様子なら似たようなものではないだろうか。

 耳に、さきほどのハーラルトの声が響く。

 

 令嬢だから、剣は重かろう。

 令嬢にとって、たしなみ程度にはなるだろう。

 

 マルティナは、じっと右手を見た。指の横が固くなっている。

 細く柔らかい手とはもうずっと無縁だった。

 剣を握り続けても血が滲まなくなったのは、いったい何歳だったか。もう思い出せない。

 十五歳に回帰する前から剣は持っていたが、回帰後、いっそう鍛錬に力を入れた。今世では剣を手放す気はない。


 皇国では女性が家を継ぐのも別段珍しくはないし、たまたまエーレンベルク侯爵家が剣で身を立てた家だっただけだ。家を継ぐつもりならば、男でも女でも剣を学ぶのは当たり前。女だからといって取り上げられる理由はない。

 前世では、ハーラルトは私の強さを恐れていたのだ。

 自分の庇護下に置ければ、支配できる。ハーラルトの弱い気持ちに利用されていることに気づかず、私は自分から剣を置いてしまった。

 そして、だから死んだ。

 とうにハーラルトの心はローザリンデにあり、守ってもらえる立場でなくなっていたにもかかわらず、変わろうとしなかった。

 それも、私を死なせた。

「今度は間違えない」

 マルティナは手を握りしめる。握った手の平から、湯がぽたりと落ちていった。

 

 汗を流すだけの軽い湯浴みのあと、マルティナは淡い藤色のドレスに着替えた。礼を失するほどの普段着ではないが、ごくシンプルなものだ。

 髪型もゆるく編むだけにして、装飾品も最低限にしてもらい、侯爵とハーラルトが食事をしているだろう部屋に向かった。

 

 普段の食堂ではなく、中庭が見渡せる部屋に食事の席が設けてあった。ハーラルトが上座に座り、侯爵だけでなく侯爵夫人も並んで座っている。

 

「お待たせいたしました」

 入ってきたマルティナを見て、ハーラルトは顔を輝かせた。

「やはり令嬢はドレス姿が似合うな」

 

 鍛錬の時の服装と比べるような言葉に、マルティナはうすく微笑んで礼をする。

 本当にハーラルトは前世から一貫して、私の気持ちなど全然分かっていない。

 

「ありがとうございます」

「夜会の時も美しかったが、盛装でなくとも侯爵令嬢は気品のある美しさだ。侯爵夫人によく似ておられるな」

 

 ハーラルトは言葉少ななマルティナの不機嫌さに全く気づかず、一人気分良く侯爵と侯爵夫人に同意を求める。

 

「そうですな、顔立ちは妻の若い頃によく似ております」

 

 侯爵は同意しながらうなずいた。

 侯爵夫人の目の前に座りながら、マルティナは母である侯爵夫人を見た。

 確かに侯爵夫人とマルティナの顔立ちはそっくりだった。が、侯爵夫人は焦げ茶色の髪に、赤味を帯びた茶色の目だ。マルティナの黒髪と紫の瞳は明らかに父である侯爵の遺伝。

 

(この髪色と目の色で、威圧感を強く感じられてしまって、皇城の侍女達にも遠巻きにされていたのでしたわ。

 私もお母様みたいな髪と目の色であれば、前世でももう少し大事にされたのかしらね)

 

 そう思いながら、ローザリンデのふわふわのストロベリーブロンドを思い出す。

 

(いいえ、そういうもので太刀打ちできる性質のものでもないわね、あれは)

 

 目の前に出された食事を口に運びながら全く関係ないことを考えていた。

 苦々しい気持ちが胸に広がるが、まあ前世のことだ。今世では関係ない。

 

「マルティナ侯爵令嬢、……マルティナ?」

 

 ハッと気がつくと、侯爵と話しているとばかり思っていたハーラルトが、こちらを向いていた。

 

「失礼しました。食事に夢中に」

 食器を置いてハーラルトに向き直る。

 

「鍛錬後だからな、無理もない。

 今、侯爵と話していたのだが、どうだろう、来月七月に催される皇城の夜会に、参加してはもらえないだろうか。

 その日は隣国のフレリア王国の使節団も参加する予定なのだ。国として重要な夜会だ」

 

 マルティナがちらと侯爵に目をうつすと、かすかに頷いている。

「そのような重要な席にご招待いただけるなど光栄です」

 にこりと笑顔を返す。

 

「ちなみに、エスコート役は私がつとめたいんだが、先約はあるかな?」

 

 マルティナの笑顔が引きつった。侯爵に視線を移すが、侯爵は目を閉じて眉を寄せていた。予想外だったらしい。

 

「いいえ、今お誘いいただいたばかりですのに、先約もなにも」

 マルティナは素早く計算を巡らせた。来月であればまだ、時間は稼げる。

 その間にローザをうまく焚き付け、侯爵とも相談を詰めなくては……。

 

「では決まりだな、参加のためのドレスは贈らせていただこう」

 

 マルティナはちぎって口に入れかけたパンを危うく吹きそうになった。

 ドレスを贈る? 婚約者でもないのに? むしろ婚約者だった前世の時にも贈られたことがないのに??

 

「殿下、それはなりません」

 侯爵がさすがに口を挟んだ。

「何故だ」

「娘にはこれから侯爵家を継いでもらう心づもりでおります。お心遣いは大変ありがたく思いますが、ドレスを贈ったとなると皇室と婚約間近かと思われ、他家からの縁談は調いづらくなるでしょう。どうかご容赦ください」

「そうなって欲しいのだがな」

 

 皇子はニヤリと笑うと、そう(うそぶ)いた。

 侯爵、侯爵夫人、マルティナが無言でいると、ハーラルトは快活に笑った。

 

「冗談だよ。そう構えないで欲しい。分かった、ドレスは時期尚早だろうから諦めよう。その代わりエスコートは譲れない。

 私も参加が必要な夜会であるので、確実な参加をお願いするよ」

「承知しました。しかし、ご冗談が過ぎます。皇帝陛下にご相談もなくこのような事を軽々しくお話しになってはいけません」

 

 侯爵がたしなめるように言うのを聞きながら、マルティナはせっかくのポーチドエッグが冷めていくのを、残念に思いながら見ていた。あんなにおなかが空いていたのに、急速に食欲がなくなっていく。

 こんなに皇妃への道を避けて通ってきたのに、ここに来て皇子との縁談が持ち上がるとは、運命とは逆らえないものなのだろうか。

 

(いいえ)

 

 マルティナはポーチドエッグにナイフをさし込んだ。黄味がとろりと流れ出る。

 

(たとえ、運命が皇妃への道を後押しするとしても、私は全力であらがってみせる。皇妃には絶対にならないんだから)

 

 固く決心し、何はともあれ腹ごしらえをしようとするマルティナの顔を、ハーラルトは面白そうに見ていた。



 

 茶会の日は、気持ちの良い晴天だった。青い空はどこまでも広がり、強すぎるほどでもない太陽の光は、新緑の木々を眩しくきらめかせていた。

 

「晴れてようございましたね」

 

 ゲルデが安心したように言う。

 美しく整えられた庭には、白いテーブルクロスがかけられた長いテーブルが置かれ、上には色とりどりのデザートが並べられていく。

 

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