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1-7. はかりごと

 招待状の返事も続々と届き、いよいよ茶会が明日に迫った日の早朝、侯爵家に皇室の馬車が来た。

 何事かと構える執事の前に、ハーラルトが降り立つ。

 

「これは皇子殿下、いかがいたしましたでしょうか」

 

 丁重に、しかし慇懃(いんぎん)な様子で腰を折る執事に、軽装のハーラルトは意外そうに言った。

「おや、昨日手紙を出していたのだが、誰も受け取っていないのか?」

 

 執事は眉を寄せた。侯爵家に届く手紙は全て彼が管理をしているが、昨日も今日も皇城からの知らせは届いていない。

「あいにく、当家には皇城からの通知は届いておりませんでした。申し訳ございません」

 頭を下げる執事に、ハーラルトはわざとらしくため息をつく。

 

「困ったな、どうやら()()()()があったようだ」

 

 さも困ったように呟くハーラルトに頭を下げたまま、執事は素早く視線を走らせる。

 視線を受けた侍従の一人が、さっと身をひるがえし、侯爵に皇子の来訪を告げに行った。

 侯爵のアードリアンも、マルティナも、現在は朝の鍛錬の時間だ。練武場にいるはずだった。

 

「マルティナ侯爵令嬢に、今日の朝、ぜひ剣技を見せて欲しいと手紙を送っていたのだけれどね。

 そうだ、花束に挟んでいたから、どこかで落ちてしまったのかな?」

 

 頬を指でかきながら、とぼけた様子でそう語るハーラルトに、執事は目を細めた。

 

「なるほど、それは()()()()()()()でございますね。

 侯爵閣下とお嬢様は、ただいま朝の鍛錬のお時間となっておりますが、練武場に向かわれますか?」

 ハーラルトはその返事を聞くと、にんまりと笑った。

 

「そうしてもらえるとありがたい。わざわざ足を運んだ甲斐がある」

 執事はにこりともせぬまま、こちらへ、とハーラルトをいざなう。ハーラルトは別段気にした風もなく、歩き始めた。


 中庭を抜け、騎士達の練武場へと入っていくと、さまざまな年代の騎士達が振り返り、並んでハーラルトに敬礼をする。

 ハーラルトは片手をあげ「楽にしてくれ」と言った。騎士達はハーラルトが通り過ぎると、各々の訓練に戻っていく。

 

「侯爵家は思いのほか、騎士を抱えているのだな」

 ハーラルトの言葉に、執事は何も答えない。

「侯爵閣下はあちらにいらっしゃいます」

 

 黙って手の平を向け、そのまま深々と頭を下げる。指された先には、アードリアンとマルティナが深く礼を取っていた。ハーラルトは両手を広げた。

 

「楽にしてくれ。どうも行き違いがあったようで、急な訪問になってしまったようだ。申し訳なく思っている。

 しかし、せっかくの機会なのでエーレンベルク侯爵家の朝の鍛錬を見学させていただきたいのだが、構わないかな」

 如才(じょさい)ない笑顔を見せるハーラルトに、侯爵は頭を上げて微笑んだ。

 

「もちろんでございます」

 マルティナは何も言わずに侯爵の隣で笑みを浮かべていた。

 

 デビュタントの翌日以降、ハーラルトからは一日も欠かさず花束が届いている。

 その噂はみるみるうちに社交界に広がっているようで、令嬢たちは興味津々だ。招待状の返事には「そのことを詳しくお伺いしたい」という添え書きが必ず書かれていた。

 マルティナも皇子に対してお礼の手紙を形式通りに出してはいたが、正直うんざりしている。

 おかげで、デビュタントを終えたと言うのに、いくつかの家から御機嫌伺いのように花が届くばかりで、縁談がひとつも来ない。

 

(デビュタントを迎えた侯爵家の跡継ぎの一人娘がいるというのに、どこの次男からも三男からも縁談がこないなんて、異常なのよ)

 

 笑みは浮かべながらも機嫌がよさそうにはとても見えないマルティナに対して、皇子はにこやかに笑いかけた。

「マルティナ侯爵令嬢、良ければ手合わせ願いたいのだが、いかがかな?」

 

 マルティナはさすがにぎょっとする。こんな申し出は、前世ではなかった。

「わたくしなどがお相手を務められますかどうか……」

 

 困った顔をして見せると、皇子は口角を上げ、挑発するように言った。

「それとも、私に負けるのが嫌かな?」

 マルティナの頬に、かっと血が上った。

 

 前世で剣を捨てさせられなければ、あの時あんな無残な死に方はしなかった。前世で婚約を結んだ当時だってきっと、皇子に負ける腕ではなかったはず。

 

(落ち着くのよ、マルティナ、挑発に乗ってはダメ)

 

 前で重ねている手をぎゅっと握りしめる。

「わたくしが皇子殿下に勝てるとは、もとより思っておりませんけれども、そうですね、怖いかもしれません」

 マルティナはそう言って微笑みを浮かべた。ハーラルトは、優しげな声を出す。

 

「なかなかの腕前だと、父上も褒めていらした。私も君の腕前を見てみたいんだ。アードリアン侯爵閣下、許可していただけるかな?」

 

 問われた侯爵は、ため息をついた。

「……怪我をさせないようにご留意いただけるのであれば」

 

 マルティナをじっと見る。

 皇子に怪我をさせられることを心配しているのではなく、「皇子に怪我をさせるなよ」という意味のマルティナに対する言葉だということに気がついて、苦笑した。

 

(仕方がないので、適当なところで負けてさしあげましょうか)

 

「承知しました。では、お手合わせ願います」

 軽く息をつくと、近くにいた騎士に木剣を持ってくるように伝えた。

「怪我はさせないようにするので、ご心配なく」

 ハーラルトは侯爵に向かって機嫌の良さそうな声で言った。


 マルティナとハーラルトは、お互いに木剣を構えて向きあった。

 ハーラルトは完全にマルティナの実力を(あなど)っており、いつでもかかっておいで、と言わんばかりに隙のある構えだ。

 

(負けるのも大変ですわねこれは)

 

 マルティナはどう打って出るか迷う。

 とりあえず進み出てまっすぐに振り下ろしてみると、ハーラルトは軽くそれをなぎ払い、マルティナに向かって軽く威嚇するように突き出した。

 マルティナはそれを後ろに下がって避ける。

 

「どうした、様子見か」

 

 からかうような様子のハーラルトに、マルティナは舌打ちしそうになる。

 進み出ると、3回続けざまに打って出た。

 それも軽くいなす皇子の右にすっと回り、すぐに打たず、皇子が気づくまで少しためてから右に払った。

 皇子はそれを木剣で受け止める。

 

「動きは良いが、速さが足りないな」

 

 教え諭すように言うハーラルトの言葉。

 この直前まで、侯爵とすさまじい速さの打ち合いをしていたのを知っている騎士達も、特に何も言わない。

 侯爵も完全に無表情だ。

 マルティナは皇子が対応できる程度の剣戟(けんげき)を繰り出しながら、ちら、と侯爵を見た。

 侯爵はマルティナの視線に気づき、ゆるくかぶりを振る。打ちのめしてはダメだ、という意思だろう。

 

(しゃく)にさわりますわね)

 

 そのまま何度か皇子と打ち合いを続ける。五分ほどしたところで、マルティナは木剣を下ろした。

 

「皇子殿下、このへんにいたしませんか。わたくし、鍛錬の後でもありますし、少し腕が疲れておりまして、殿下から一本取れそうにはありません」

「そうしよう。やはり令嬢の腕にはこの剣は重いだろうしな。いや、なかなか良い腕であるな。令嬢としては充分な()()()()になるのではないかな」

 

 周囲の騎士達の表情が硬くなる。

 この中には、ふだんマルティナと手合わせしても勝てない騎士が数人いるほどだ。そのマルティナの腕を軽んじる言葉に、忠誠心の厚い騎士達は静かに怒っているのだろう。

 

「そうしていただけるとありがたいですわ。本日はお手合わせありがとうございました」

 そう言って深く礼をすると、ハーラルトは機嫌良さそうに笑った。

「ところで、朝が早かったので少しお茶に呼ばれたいのだが、構わないかな?」

 

 ずうずうしくも要求する皇子に、侯爵は頷き、執事に軽食を用意するように伝えた。マルティナは一度汗を流して着替えてくると言い、殿下の前から下がることにした。


「なんですかね、皇子殿下のあの言い草は!」

 部屋に戻るなり、ゲルデは怒りをあらわにする。

 

「お嬢様に向かって、剣が重いですって?! 普段、(はがね)でできた剣すら軽々と使いこなすお嬢様ですよ?!」

 

 マルティナ自身よりもずっと腹が立っているようだった。マルティナは思わず「そのへんにしておきなさいな」と笑った。

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