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1-6. はかりごと

 皇子はぴたりとマルティナを抱き寄せ、始まった曲に合わせて大きくステップを踏んだ。

 次の曲は、軽やかな調子の円舞曲だ。皇国の地方で親しまれている曲のフレーズを取り込んだ、速めの曲だった。最近の夜会で流行している。

 マルティナは何でもない顔をしてそのステップについて行く。

 前世では剣を捨てたあとはだんだん筋力が衰え、食を制限してもいたために体力が足りず、いいように振り回されていた。

 が、今は毎日よく食べ、剣の練武に朝晩はげんでいるため、この程度の動きは何でもない。かさばり重いドレスも軽く蹴り上げるだけですんなり足を運べる。

 

「軽やかに踊るね。私のステップについてこられる令嬢はあまりいないんだよ」

 

 ハーラルトのため息のような囁きに、耳元が(あわ)だった。

 令嬢によってはこの一回の囁きで恋に落ちてしまうような甘さも、マルティナにとっては嫌悪でしかない。

 

「お褒めいただき光栄ですわ」

 

 当たり障りのない言葉を返しながら、心の中でこっそり毒づく。

 

(独りよがりなだけの下手なリードってことよね)

 

 甘くささやいたというのに、変わらずつんとしたマルティナの様子にハーラルトの目に鋭い光が宿った。

 ふっと嫌な視線を感じてマルティナが目を上げると、ハーラルトはにこりと微笑む。

 

「もう少し楽しみたいんだが、お付き合いいただけるかな」

 そういうと、更にステップの幅を広げ、急速に回す。マルティナは「そういうところよね」と思いながら、顔では笑顔を保つ。

 

「まあ、殿下はダンスがお得意なのですね」

 マルティナは隙あらば邪魔な場所に置いたままにしてある皇子の足を避けながら、軽々とステップを踏んでいく。

 危うく引っかかりかけた時には咄嗟(とっさ)に腕から逃れてターンし、再度皇子の腕の中に戻る離れ業(はなれわざ)もやってのけた。

 ダンスの途中で転びそうになった令嬢を助け、頬を染めて礼を言うところに甘くささやくのは、ハーラルトの常套手段(じょうとうしゅだん)だ。

 

(そうはいきませんわ)

 

 マルティナは優雅に微笑んだまま、ハーラルトの強引なリードについていく。

 ハーラルトも思惑通りに進まないのが腹立たしいのか、次第にリードが雑になっていく。

 くるくると早いスピードで回り、軽やかなステップを踏む二人に、周囲はいつの間にか静かに見入っていた。

 

「なんだかお似合いではなくて?」

 

 そう誰かがささやいたのが聞こえて、マルティナははっとした。ハーラルトを見上げると、満更(まんざら)でもなさそうに、にやついている。

 視線を周りに向けると、ローザリンデと目があった。周囲の微笑ましい空気とは正反対で、彼女はこちらを(にら)みつけるようにして立っていた。

 

(調子に乗りすぎたわ。これでは皇子の思うつぼね)

 

 冷静を取り戻したマルティナは、自分のつま先をハーラルトの足にひっかけた。わざと転んで、退場するつもりだったのだ。

 が、ちょうど斜めにターンしかかっていた瞬間だったからか、足をつまずかせたように転んだのは、ハーラルトの方だった。

 音楽は鳴り続けている。あと数フレーズで終わりだが、しかし曲が終わる前に皇子が転んでしまった。

 どうフォローしようかと立ち尽くすマルティナが手を差し伸べるより早く、ローザリンデが大きな声をあげながら駆け寄ってきた。

 

「まあ……! お怪我はありませんか皇子殿下」

 

 周囲の、何事かという視線が集中した。これでは皇子が目立ってしまう。マルティナはすかさず膝を折り、大きな声で失礼を詫びた。

 

「大変申し訳ございません皇子殿下。

 わたくしがステップを踏み間違えてしまいました。わたくしを立て直すために殿下が庇ってくださいまして、大変感謝しております」

 

 ここは庇っておくべきだろう。自分が転ぶつもりではあったが、転ばせるつもりはなかった。深く頭を下げる。

 

「いや、いい、ステップについてきてくれるのが楽しくて私が無理に手を引いてしまった」

 ハーラルトはそういうと楽しそうに笑った。

「手を貸してもらえるだろうか」

 

 そういってマルティナに差し伸べた手を、横からローザリンデがつかんだ。マルティナは伸ばしかけていた手を引っ込める。

 

「大事ありませんか」

 

 ローザリンデの手を借りて立ち上がったハーラルトを、ローザリンデは大仰に気遣う。

 ハーラルトは「ご心配ありがとう。大丈夫だよ」と苦笑しながら答えた。曲が終わっていく。

 

「本日はお相手をつとめさせていただき、誠に光栄でございました。ありがとうございました」

 

 マルティナは改めて立ち上がり、曲の終わりとともに礼儀に(のっと)った礼をした。

 

「こちらこそ。またお目にかかれると嬉しいな」

 ハーラルトも甘やかに笑うと姿勢を正して礼をする。周囲の、ほう、という声が聞こえてきた。

 マルティナは頭を下げたまま、唇を噛んだ。


 翌朝、鍛錬を終えて部屋に戻り、湯浴みを終えて着替えをしていると、皇城から花束が、という知らせが届いた。

 ゲルデに大きな薔薇の花束を渡されながら「皇子殿下からです」と告げられ、マルティナは隠しもせずに盛大にため息をついた。

 ハーラルトの目にとまらないようにしようと思っていたのに、完全に逆効果だった。

 

 自分に興味を示さない侯爵令嬢。

 自分のダンスのステップを見極めてくる侯爵令嬢。

 数人とのダンスが終わり次第さっさと去る侯爵令嬢。

 

 逃げられれば追いたい性分のハーラルトだ。自分に全く興味を見せない面白い令嬢がいれば、落としてみたくなるに決まっている。

 

「お嬢様は、侯爵家を継がれるのではなかったのですか」

 

 薔薇の間のカードを取り出しながら、ゲルデは淡々と問う。

 マルティナは「その通りよ。変更はないわ」とややかぶせぎみに答えた。額に手を当てる。

 

「もう少し、人並みに皇子に興味があるふりをした方が良かったのかしら。そうね、これから興味のあるふりをすれば……」

「お嬢様はときどき、とても賢いのに見当違いで世間知らずなことを仰いますよねえ」

 

 カードをマルティナに渡すとバラを花瓶に生けるよう女中に指示しながら、ゲルデは天気のことでも話すように言った。

 

「嫌味なの」

 拗ねたように言うマルティナを、ゲルデは振り返った。

「そのままですよ。これから興味があるふりをしたって、皇子殿下はご自身のアプローチが成功したとしか思わないでしょう」

 

 ゲルデに渡されたカードに書いてある「蝶のように舞うマルティナ侯爵令嬢へ」というメッセージを見て、ぐ、とマルティナは言葉を詰まらせた。

 

「このまま一定の距離を保って、殿下が飽きるのを待つしかないのでは?

 どのみち、皇子殿下へのアプローチを始める令嬢はたくさんいらっしゃるはずですし。

 例の、なんでしたっけ、そう、ローザリンデ子爵令嬢も、皇子殿下にたいそう夢中だったのでしょう?」

 ゲルデの言葉に、マルティナはローザリンデの嫉妬に満ちた目を思い出した。

 

「そう、そうよ、ローザだわ」

 ゲルデは片眉をあげた。

「愛称で呼ばれるとは、ずいぶん親しくなられたのですね。これまでローザリンデ子爵令嬢は、お嬢様が主催される茶会などにいらっしゃったことはないかと存じますが」

 

 ゲルデの言葉に、マルティナは口を開けたまま固まった。

『どうぞローザとお呼びになってください、皇妃殿下』

 そう、小首をかしげて愛らしく言われたのは、前世だ。

 

「そ、そうね、ちょっと、んん、家格が劣るとはいえ、馴れ馴れしかったかしらね」

 

 咳払いをしながら誤魔化すマルティナを、ゲルデはじとっとした目で見る。マルティナは視線を逸らしながら手を合わせた。

 

「茶会を開きましょう。ローザリンデ子爵令嬢も呼びます。そうね、デビュタントに参加していた令嬢達はみな呼ぶのがよいでしょう」

 

 そこまで言って、マルティナはやっとゲルデを振り返り、にっこりと笑った。

 ゲルデは訝しそうな顔をしながらも「承知いたしました。日付はいつになさいますか」と尋ねる。

「四日後に。準備を手伝ってちょうだい」

 頭を下げて出ていくゲルデを見送ると、マルティナは早速机から招待状に使うカードと封筒を取り出した。

 ふふふ、ローザリンデ子爵令嬢、あなたに喜んで皇子をお譲りいたします!

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