4-13. 隠された決意
剣呑な声を出すマルティナをなだめるように、ヴィルヘルムは髪を優しく撫でる。
「そんなことは考えておりません。あなたが嫌がると分かっていますから」
「ではどういう意味でしょうか?」
いぶかしむような声を隠さないマルティナに、ヴィルヘルムは笑った。
「彼がこのまま皇帝でいると、フレリア王国にいても心安まる暇がありません。
あなたにちょっかいをかけてくるのも気にくわないのですが、それ以上に彼の性格を見ていると、従わないものは切り捨て、苦言を呈するものは遠ざけるでしょう。
そのような治世が続けば、民が餓えます。そうして財政が苦しくなれば、王国に戦争をけしかけてくることは想像に難くありません。戦争になれば、シャイネン皇国にとっても、フレリア王国にとっても厳しい時代が続くでしょう」
だから私に皇后になってあの皇帝を御せということだろうか? でも先ほど、嫌がると分かっているからそんなことは考えていないと言っていた。
考え込んでいたマルティナは、はっと気づいた顔をして、ヴィルヘルムを見上げた。ヴィルヘルムはマルティナの視線を受けて頷く。
「それならばいっそ、私が皇帝になったほうがよいのではと考えていたのです」
その言葉を理解して、ぶるりとマルティナの背が震えた。
にこりと微笑んだヴィルヘルムはマルティナの前にひざまずき、マルティナの手を取る。
「あなたは、私の皇后になってくださいますか」
ヴィルヘルムの銀色の瞳がマルティナを見据える。こくり、とマルティナの喉が音を立てた。どくどくと心臓がうるさいぐらいに胸を打つのが分かる。
赤くなって黙ってしまったマルティナの紫色の瞳をのぞき込むようにして、ヴィルヘルムは笑ってうながした。
「……返事は?」
マルティナは「はい」と言って頷いた後、照れた顔を隠すように右を向き、拗ねたように唇をとがらせ、言葉を継いだ。
「もう結婚しているではありませんか。今さら……きゃっ」
立ち上がったヴィルヘルムがマルティナを抱きしめている。マルティナは慌てた。
「な、何を」
「良かったです。皇后になるつもりで私と結婚したわけではないでしょうし、もともと皇妃になるのが嫌で逃げてきたくらいですから、皇后にならなければいけないのであれば離婚する、と言われるのではないかと思っていました」
ヴィルヘルムはマルティナの首筋に頭をうずめるようにした。
「そんなことは……」
「ないと言えますか?」
「……私は、皇妃になるのがいやだったのではなくて、皇子と結婚するのが嫌だったのです。いいように利用された後に殺される未来も回避したかったですし」
マルティナの肩から顔を上げたヴィルヘルムは、ほっとしたような顔をしていた。
「良かったです。あなたを手放さなければならない未来がくるのかもしれないと思っていたので、ほっとしました」
なんて素直な人だろうと、マルティナは思った。
貴族であれば当人の気持ちなど無視した結婚は当たり前だ。しかも、今回はマルティナに利益はあってもヴィルヘルムにとってそれほど利益があるわけでもない結婚なのに。
ぼんやりと、嬉しそうに微笑むヴィルヘルムの顔を見上げていたマルティナは、はっとした。
「だから結婚しても寝室を共にされなかったのですか?」
マルティナの言葉に、ヴィルヘルムはぱっと見て分かるくらい頬を朱に染めた。そしてマルティナを抱えていた手をさっと離す。
「はい……それもありますし」
言いよどんで視線を逸らした。
「本当の夫婦になったあと、あなたを手放せる自信がなかったのです……」
そう言って口元に拳をあてる。赤くなった横顔を見て、マルティナは思わず笑い、今度はマルティナからヴィルヘルムに抱きついた。
「そういうことなら、きちんと私を床をともにして、「だから手放せない」と欲張りになっていただきたかったです」
マルティナの腕の中で、ヴィルヘルムの体が硬直したのが分かった。そっとマルティナの背中に手を回すと、ぎゅっと抱きしめる。
「……はい、屋敷に戻ったら、そうします……」
今度はマルティナが硬直する番だった。しばらく二人とも顔を赤くしたまま沈黙し、それから顔を見合わせて、どちらともなくくすくすと笑う。
柔らかい雰囲気に包まれた二人はそのまま、自然に顔を近づけ、優しい口づけを交わした。
ドサリ、と村の入り口に投げ出された男をみて、入り口の付近にいた騎士団のメンバーは一瞬警戒を見せた。しかし、男を投げ出したのがヴィルヘルムと見て、すぐに敬礼をする。
「団長、ご無事でしたか。ああ、マルティナ様も。良かった」
騎士達をかき分けて駆け寄ってきたのはベレニスだった。気絶した男を眺めて不思議そうな顔をする。
「このものは……?」
「付近にいたネズミだ。マルティナが捕まえた」
「……切り捨てられなかったとは、運のいいネズミですね」
「まだ三人ほどここから少し山に向かった道に転がっている。回収してきてくれ」
ふっと笑い、ベレニスは騎士達に指示を出す。また、水を他の騎士に持ってこさせた。そのまま水を気を失ったままの男にばしゃりとかける。
「起きろ。おい」
男は目を覚ます。ぼんやりした顔で見回し、マルティナを見つけると縛られたまま起き上がろうとした。
「お前、なんで……。くそ、殺してやる」
口を開いた男にベレニスが剣を抜いて突きつける。
「黙れ。不敬だぞ」
ベレニスの言葉に男は鼻で笑う。
「ずいぶん威勢がいいが、こんなお嬢さんにはたして人が切れるのか疑問だな」
無表情のまま、しゅっとベレニスが剣をふるった。男のあごひげがざっくりと削がれ、髭がぱらぱらと地面に落ちる。
「……団長、こいつのひげを切って、いや、頬を削いでもよろしいでしょうか」
男はひっと口をつぐむ。
「……切る前に聞いてほしかったが」
「まだ頬は削いでいません」
「確かにな。それにしてもマルティナにあれほどこてんぱんにやられたにもかかわらず、お前は懲りないな。この王国では女だと思って騎士を侮るとろくな目に遭わないぞ」
ヴィルヘルムが呆れたような口調で静かに言う。
村の手前でマルティナを見つけて出てきた四人の男達は、ものの数分でマルティナに全員気絶させられたのだ。ヴィルヘルムは念のため近くに潜んでいたが、結局男達を縛り上げることと、リーダー格だった男を運ぶことしかしていない。
「お前達は皇国から来たな」
「……」
「黙っていれば分からないと思っているのか?」
ヴィルヘルムがポケットからバールケ子爵家の紋章が入ったボタンを取り出す。
「これはお前達の仲間のものではないのか?」
「……知らないな」
「そうか、では思い出すまでゆっくり時間をかけるとしよう。ベレニス隊長、こいつと回収してきた仲間を全員別の部屋に閉じ込めておいてくれ」
ベレニスは剣をしまい、男の首根っこを掴んだ。男は首をすくめる。
「女を隊長にするなんて、王国には人材がよほどいない……ぐあぁっ」
懲りずにそういう男の頭を、重い音をさせてベレニスは殴った。男はそのまま気を失う。
「どうにも早く死にたいらしいな。おい、手伝ってくれ」
心底呆れた口調で言うベレニスは、そのまま男を部下と一緒に引きずっていった。
騒ぎを聞きつけたらしいユーグが、転がるような勢いで駆け寄ってくる。
「生きていたか、良かった、川上の方はある程度探したのだが、明日は川下の方に捜索範囲を広げようとしていんだ。マルティナ様もご無事で何よりです」
「ネトルベアの血を浴びた。ある程度浄化はしたが、おそらくまだ熱が出るだろう。聖水の準備を任せてもいいか」
「えっ、ネトルベアを、お二人で……? それはまた……大変でしたね」
ヴィルヘルムから聖清石の入った袋を受け取りながら、ユーグは眉を寄せた。
「わたくしは浴びておりません。ヴィルヘルム様がお一人で……また汚染された川の水もかぶっておられます。私も側で見守りますから」
そう言ってヴィルヘルムについて行こうとするマルティナを、ユーグは止めた。
「マルティナ様もお疲れでしょう。看病は我らに任せて、どうぞお休みください」
「……そうですか……では……」
そう言ったマルティナの体は横におおきくかしぐ。
「マルティナ様!」
「マルティナ!」
遠く、二人の声が響いたのが聞こえた。




