4-10. 隠された決意
「おそらくは」
「何故ですか。私を殺しても良いことなど」
「あったのですよ。その時の皇子には、おそらく」
ヴィルヘルムが淡々と紡ぐ言葉に、マルティナはとまどい、立ち止まった。
ヴィルヘルムはゆっくりと振り返る。
「彼は、あなたから剣を取り上げ、自主性を取り上げ、皇宮に閉じ込め、羽を折ったつもりだったのでしょう。ですがあなたは、民のために献身的に働いていた。民は言うほど馬鹿ではないし、見ていないようで見ています。
第一、誰が仕事をしていて、誰が仕事をしていないかなど、一緒に働いている人には筒抜けです。……そして人の口に戸は立てられません。皇子は、そんなあなたを妬ましく思っていたのでしょう」
「そんな……」
マルティナは視線をさまよわせる。
皇子は一方的に私を苦しめていた。私が皇子を苦しめていたなんて想像もしていなかった。
「だから、暴動を装って殺そうとした」
静かに告げるヴィルヘルムの言葉を、マルティナは呆然と聞いた。
「しかし、あなたのことは、皇国でも、そして王国ですらも伝説となっていました。皇子に裏切られ、愛を奪われても国民に対して献身的な皇妃は、暴動の話をあらかじめ知っていたのだと。
……そして単身、暴動を止めるために貧民街に向かった真の皇国の守護者であり、英雄であったと」
「それは嘘です。事実ではありません」
ヴィルヘルムの語る言葉に混乱する。そんな大義名分があって、あの日あの場所に行ったわけではなかった。
「民にとっては、それが信じたい事実だったのです。自分たちをかえりみてくれない皇族達の中で、あなたは希望だった」
マルティナの瞳に涙が浮かぶ。
「ですから、あなたを陥れて殺した『誰か』を倒すというパフォーマンスが必要になったのです。皇子にとっては邪魔な駒を排除しただけに過ぎません。ですがそれでは国民の心が離れて行ってしまう。かといって、暴動を起こした真の犯人を捕まえることはできませんし、後始末をすることになった前皇帝は頭を抱えたでしょうね」
「……だから、真犯人が王国にいるとして、戦争を起こした」
「その通りです」
ヴィルヘルムは頷いた。マルティナは泣き笑いのような顔になる。
「戦争のあと、双方の国民はどうなったんでしょう」
聞きたいような聞きたくないような気持ちで、マルティナは呟いた。
ヴィルヘルムはぐっと唇を噛みしめる。
「私達は皇国に攻め入り、皇子と皇帝まであと一歩のところで命を落としてしまいましたので……それからあとのことは分かりませんが、そこまでに双方の死者は五万人とも、十万人とも……」
マルティナは口に手を当て「なんてこと……」と言うと、うなだれた。マルティナの肩を、ヴィルヘルムはそっと抱き寄せる。
「ですから、私は時が戻ったことを知って真っ先に、あなたの父上に手紙を書きました。あなたを皇妃にさせないこと、皇国内では命の危険があること、絶対に殺されてはならないことを伝えるために」
マルティナは震えていた。ヴィルヘルムは安心させるように背中をなでる。
「実際には、手紙を書く必要はありませんでした。エーレンベルク侯爵家の力を、私はその時初めて思い知ったのです」
「どういうことですか?」
「侯爵にも記憶が残っていました。あなたを喪ったあとの戦争まで。そしてあなたも、記憶が残ったまま五年もの時を遡ったのでしょう?」
「……はい」
マルティナは背中を撫でられるまま、頷いた。
「しかし、皇子との顔合わせの日だったとは。あなたには準備を心の整える暇もなく、かわいそうなことをしました。……でも、間に合って良かった」
体を離したヴィルヘルムはマルティナの頬を撫でる。
「あの時のお嬢様が、こんなに美しいレディになっていたとは、以前の私はそうとも知らずあなたを皇子に取られてしまっていた。もったいないことをしていました。今世では取られていなくて本当に良かったです」
「なっ」
かっと頬を染めるマルティナに、ヴィルヘルムはいたずらっぽく笑う。
「あなたの記憶が残っていたからこそ、こうやって私の手の中にいる。私の能力にも感謝しなくてはいけません」
「……エーレンベルク侯爵家の力とは、記憶が残ることなのですか?」
「そうです。おそらく、あなたの母上は前世のことを憶えていないでしょう。侯爵とあなただけが記憶を持ったまま遡っている」
「だから国を守る盾だと」
「そうです。もし皇族が暴走し、この力を悪用したとしても、エーレンベルク侯爵家だけはこの力に騙されることがありません。時を遡ったことを知る唯一の一族となるのです。
そしてだからこそ、皇子は自らの手駒としてあなたを皇族に取り込んでしまいたかったのでしょう。もし、私が時を戻しても、それをあなたは知ることができる」
ヴィルヘルムはするりとマルティナの髪をすくいとり、毛束を肩においた。マルティナはごくりとつばを飲み込む。
「……皇帝と皇子には記憶が残っているのですか?」
「確実ではありませんが、この瞳を持っていないからには、残っていない可能性が高いでしょう。皇子の執着は……あなたが振り向いてくれないからこそだと思います」
ハーラルトの獲物を見るような目を思い出した。たしかに、あれは愛ではなかった。執着という言葉がぴったりだ。
「そうなのですね」
「まあ、もしかすると何かしらの軽い記憶は残っているかもしれませんが。懇意にしていた令嬢を遠ざけてまであなたを取り戻そうとするのは、少し常軌を逸しています」
ヴィルヘルムはにこりと微笑んだ。
「だからといって、渡すつもりはありませんが」
そのまっすぐな視線に、マルティナは気まずくなって目をそらした。
「……さあ、行きましょう、ふもとの村まではあと5kmほどでしょう」
思い出したようにそう言ってくるりと体を反転させるマルティナの手首を、ヴィルヘルムはぐい、と掴んで引き寄せた。
強い力に、マルティナはよろけ、ヴィルヘルムの腕の中にすっぽりとおさまる。
「っ、何を」
抗議をしようとマルティナが顔を上げた瞬間、目の前にあった木が裂けた。どう、と音を立てて倒れる木に、二人で身構える。木の向こうに仁王立ちしていたのは、ネトルベアだった。
ちら、と木を見ると、すさまじい力で引き裂かれたような木の幹が、ささくれた状態で倒れている。
マルティナの背丈の二倍以上はあるだろう大きさで、見上げるほどだ。ぐううう、とも、るるるるる、とも聞こえるうなり声が耳に届いた。気が立っているようだった。
視線をネトルベアに向けたまま、ヴィルヘルムが小声で「右へ」と呟いた。マルティナは頷き、すらりと剣を抜くと右にある木立の方へ走った。
その動きを追いかけるようにネトルベアは体を捻り、邪魔な木をオモチャの積み木でもなぎ払うようにその腕で倒していく。
「こちらだ」
ヴィルヘルムはその背中を追いかけて飛びかかり、剣をネトルベアの首に突き刺した。
「ガアァァアアッッ!!」
首の後ろの痛みを取り払おうとするように、ネトルベアが両手を振り回して暴れる。
マルティナはその両脚に近づき、剣で素早くなぎ払った。血が噴き出してくるのを、何とか避ける。足の腱を切られたネトルベアは、ぐらりと体をかしげ、そのまま近くの木に激突した。
その衝撃で、ヴィルヘルムが肩から振り落とされ、そのまま茂みに突っ込んでいくのが見える。
「ヴィル!!」
マルティナは叫んだが、まだネトルベアの息があった。素早く近づき、首にさらに一撃を加えた。噴きだしてくる血を腕で避ける。体にはかかってしまったが、顔からまともに浴びることは防げた。
しばらくして、淡い赤色に輝いていたネトルベアの瞳の光は失われていく。
動かなくなったネトルベアを確認したあと、ヴィルヘルムが弾き飛ばされた方にマルティナは走った。
「ヴィル!! どこ!!」
茂みをかき分けてヴィルヘルムを探すと、ネトルベアの血をべったりと浴びた状態のヴィルヘルムが倒れていた。
「ヴィル、しっかりして、ヴィル」
首を起こそうとすると、ヴィルヘルムがうっすらと目を開けた。ヴィルヘルムの髪からしたたりおちるあまりの血の量にぞっとする。




