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4-9. 隠された決意

 ぽたりぽたりと地面に赤い水をしたたらせるヴィルヘルムを気にしながら走っているうちに、倒木が数本、関のように積み重なった場所まで戻ってきた。

 今は石にひっかかっているが、バランスを崩せば崩壊してしまいそうなものだった。ヴィルヘルムは少し足をかけて確かめる。


「私よりもあなたの方が軽いので、先に渡ってください。私が先だと崩れるかもしれません」


 ヴィルヘルムの言葉に、マルティナは頷いた。走って渡るしかないだろう。マルティナが倒木に足をかけ、数歩行ったところで、鋭い風斬り音が聞こえた。

 顔の横を矢が掠めていく。

 マルティナが振り返ると、崖の上から弓を構える男が見えた。

 

「いたぞ、逃がすな」


 そう言いながら再度弓をつがえる。

 

「マルティナ、走って。あいつらはすぐには下りてこられません」


 ヴィルヘルムが剣を構え、飛んでくる矢をはねのけている。

 マルティナは唇を噛んだ。強くうなずくと倒木の上を駆け、数歩で反対の岸に着いた。振り返るとヴィルヘルムが素早くこちらに向かって走り出した。


「当たらねえ、下りろお前ら!」


 崖の上にいた数人は、その声で用心深く崖を下り始めた。

 その間に川を渡りきったヴィルヘルムは、倒木を蹴りつける。渾身の力で蹴られた倒木は、かろうじて保っていた橋の形を崩壊させて流れ始めた。


「行きましょう」


 振り返ってマルティナをうながすヴィルヘルムと共に、森の中に駆け込む。川向こうの岸に降り立った数人は、木がなくなったので渡れず、何かわめいていた。

 最後に降り立ったリーダーらしい男が弓をつがえて放つ。

 矢は思いのほか遠くまで飛んできて、目の前の木にささった。ヴィルヘルムはその矢を引き抜き、そのままマルティナの背を押して森の奥へと走った。


「あれは皇国の騎士のようですね」

「えっ」


 しばらく走って、もう追っ手がいないことを確認してからようやく二人は足をゆるめた。

 一息ついたヴィルヘルムは、そう言いながら矢をマルティナに見せる。マルティナは驚いてその矢を見たが、特に何か印が入っているわけでもない。

 なぜこれが皇国のものだと分かるのだろう。


「やじりを見てください。ほら、三角錐でしょう。王国の矢は基本的に四角錐です。三角錐で、しかも簡単に刺さり、容易に抜けないように細かく細工してあるタイプのものです。手がかかっている。

 また、使われている木材も安物ではありません。簡単には折れないような丈夫な木質です。少なくとも傭兵が使うような品質の矢ではありません。乱暴な言葉遣いと変装で誤魔化すつもりだったようですが、恐らく騎士のものでしょう。所属がどこかの貴族か……皇国かは分かりませんが」


 矢ひとつでそこまで分かるものなのか。

 マルティナが感心したようにヴィルヘルムを見上げると、ヴィルヘルムは照れたように笑った。


「ふだん、常に武器を見ていますから」

「それでも、素晴らしいです。私には分かりませんでしたわ」

 

 マルティナの褒める言葉にヴィルヘルムは咳払いをする。そして真面目な顔になった。


「私か、あなたか、どちらが狙われていたのかは分かりませんが、この先も気をつけて進みましょう」


 マルティナは頷く。

 狙われているのはヴィルヘルムかもしれないし、マルティナかもしれない。

 

 いずれにしても、皇国に狙われる理由はいまいち判然としなかった。

 マルティナの場合、皇帝の思い通りに皇国に帰らず、そのまま討伐に出たのは確かだが、それは命を狙われるほどのことだろうか。前世と同じように子爵家がマルティナを排除しようとしたのだとしても、今は皇妃でもないし、動機が薄い。

 ヴィルヘルムの出自がもし皇帝にばれたのだとしたら、そちらの方が狙われる理由としては強いかもしれない。だが、ここまでひた隠しにしていたものがそう簡単に伝わるとは考えにくい。

 わざわざこんな場所まで追ってくるほどの理由はなんだろう。


「難しい顔をしていますね」


 歩きながら考え事をしていると、ヴィルヘルムがそう話しかけてきた。


「いえ、私にしても、あなたにしても、皇国に狙われる理由はなんだろうと思いまして」


 ヴィルヘルムはふむ、と顎に手を当てる。


「考えられるのは、私の排除でしょう」

「……その銀の瞳が皇室に知られてしまったとか?」

「たぶんそれは考えにくいです」

「ではなぜ」

「皇帝があなたを皇妃にするのであれば、夫である私が邪魔でしょうから」


 マルティナはぽかんと口を開けた。まさか。


「私は、婚約者でもなければ皇子と思いをかわしていたわけでもありません。それに今はローザリンデ嬢が皇妃なのではありませんか?」

「いえ、出立前に陛下に聞きました。皇帝からの書面では、あなたを帰国させるようかなり強く念押しされていたようです。それに、ローザリンデ子爵令嬢はいま、子爵家に帰されているらしい」

「……なんですって?」

 

 あのような噂があり、また噂だけでなく既成事実もあって、公然のパートナーとして扱っていた令嬢を家に帰した?

 マルティナはがんと頭を殴られたような気持ちになった。

 側妃として召し上げられるならまだしも、このまま破談になったらもうローザリンデに良い縁談などないだろう。


「なんて、無責任な……」

 声を震わせるマルティナに、ヴィルヘルムは慎重な様子で付け足す。

「いわく、皇妃、または皇后になるには家格が足りない……とのことでした。ですので、婚約者だったあなたを返せと。他国での婚姻は無効だとも」

「いやです、私は皇子の婚約者だったことなど一度もありません」


 ヴィルヘルムが言いだしたとんでもない話を、マルティナは大きな声で否定した。


「絶対に、いやです……」


 震える唇に指を持っていくマルティナの手を、ヴィルヘルムがそっと取った。


「良かったです」

「何がですか?」

「あなたが本当は皇子のことを好きで、帰国して皇子と再婚したいのであればどうしようかと思っていました」


 そう言いながら、マルティナの指先に口づける。


「なぜそんなことを」

「好きだったでしょう。以前は」

「……皇子を好きだったことはありません」

「確かに、好きだと聞いた事はありません。でも、あなたはかつて皇妃だったのではありませんか」

「――!!」

 

 マルティナが言葉を失うと、ヴィルヘルムは手をそっと口から離した。


「私が時を戻したのです」


 耳から入ってきた言葉は、単語の意味はわかるが、うまく理解できなかった。


「なんですって?」

「私の銀の瞳の力が何か、ご存知ですか」

「いいえ、何か、とてつもない力だということは習いましたが……詳しいことは教えてもらえませんでした」

「時を戻す力です」

「時を戻す……」


 ヴィルヘルムは少し微笑むと、マルティナの手を握ったまま歩き出した。


「あまり頻回には使えません。使うときには、そうですね、数秒、または数十秒。それでも何か致命的な事件は避けられます」


 マルティナは黙ってついて行く。


「命をかければ五年戻せることを、皮肉なことに二十四歳の時に知りました。知っていたら王国に来てすぐ死んでいたのに。そうしたら母上も生き返ったかもしれません」


 衝撃的な話にショックを受けつつも、マルティナはふと疑問を憶えた。

 

「二十四歳……二十四歳ですか? 今二十二歳ですよね?」

「ええ、時を戻す前の生で、二十四歳の時です。二年後ですね」

「なぜ、時を戻したのですか」

「戻そうと思って戻したのではありません。前の生で、私は皇国に仕掛けられた戦争で命を落としたのです」

「皇国に仕掛けられた戦争?」


 ヴィルヘルムは頷いた。


「あなたが死んでしまった暴動があったでしょう。あれを煽動したのがフレリア王国だというのが、前皇帝の話でした。市街での暴動の一ヶ月後には、シャイネン皇国はフレリア王国に攻め込んできたのです」

「嘘です、あれはバールケ子爵家が煽動をして」

「……そうですね、子爵家を動かしたのは皇子だったかもしれませんが」

「?!」


 マルティナは息を吞む。意味が分からない。


「では……では、前世で私を殺したのは皇子だったということですか?」

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