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4-8. 隠された決意

「あなたにせめて一言、いや、書き置きでもいいから残したかったのですが、軽率に出した手紙でこのようなことになったのだということも分かっていて……」


 マルティナはじっとヴィルヘルムの瞳を見上げていた。ヴィルヘルムの瞳には悲しみが溢れていた。


「……皇帝が公爵邸に送り込んでいた侍従がその手紙を盗み読みしているのを母が見つけ、父に知らせに行こうとしたところでもみ合いになったらしく、母はその日に侍従に殺されてしまったそうです。それをあとで知ったときには、さらに強い後悔が私をさいなみました。

 あの手紙を出さなければ良かったと、王国に来てからも私はずっと後悔していました。しばらくは子爵邸から出られずにもいました」


 次いで告げられた言葉に、マルティナは息を吞む。


「お母様が……」


 かける言葉を探して口ごもるマルティナに、ヴィルヘルムは微笑んだ。


「屋敷にこもっていた私を子爵は騎士団の訓練に連れて行きました。そして陛下と会わせたのです。

 当時、陛下はまだ十八歳で王子で、お妃とも結婚されておられませんでした。ひねくれて勝手に世をはかなんでいた私を、また陽の光の下へ連れ出してくれたのは国王陛下でした。初めの頃は、なんてお節介なんだろうと思っていましたが……私を心身共に救ってくれた人です。

 だからこの国で騎士になり、陛下と、この国を守りたいと思ったのです」

 

「……夢が叶ったのですね」


 今のヴィルヘルムは騎士団長だ。当時の夢は叶ったと言えるのだろう。


「はい。同時にあなたの言葉を思い出したのです。あの皇帝と、当時でも不遜だった皇子、そして単なる親戚筋である私を執拗に殺そうとしていた狂った皇室。その国と国民を、守るのだと言っていたあなたの言葉を」

 

 ヴィルヘルムに見つめられて、マルティナは目をそらした。


「いいえ、私は逃げました」


 そう、一度目の人生で胸を貫かれてから。

 そのずっと前、皇子に言いくるめられて剣を手放したときにもう、私はそんな高尚な夢など、自らの手で捨てていたのだ。


 口に出して初めてその事実がマルティナの心臓をぎゅっとつかんだような気がした。

 

 ヴィルヘルムに「私が帝国を守る騎士となる」と語ったときには、嘘はなかった。

 しかし、皇子と婚約し皇妃になったあとは、剣を握らずとも、渡される仕事を精一杯やれば国と民を救えると思っていた。剣を捨てた自分を正当化しようとしていた。

 そんな自分が嫌で、二度目の今生では、皇子からも逃げ、皇国からも逃げたのだ。


 そこまで思い至ってから、マルティナは口に手を当てた。そうだ、私は捨ててきたのだ。

 あの皇子が皇帝になり、どんな風に治世を行うかを知っていながら、我が身可愛さに国も国民も捨てて逃げてきたのだ。父も母も皇国においたまま。

 いつか帰るからと、自分を誤魔化して。

 

「……私は、すべてから逃げてきたのです。エーレンベルク侯爵家の矜持(きょうじ)も捨てて」

 

 うつむき、震える声でそう告げるマルティナに、ヴィルヘルムは少し慌てたように言った。


「私はそうは思いません。あなたは旅の道中も、ずっと国と国民を愛おしそうに観察していたではありませんか」


 ヴィルヘルムの言葉にマルティナは顔を上げた。ヴィルヘルムはしっかりとマルティナを見据え、そして微笑む。


「自国と国民を心から愛していることが分かりました。皇子は……いえ、今は皇帝ですか、彼はそのような心を持って国民を見ているでしょうか。私にはとてもそのような人物には見えません。過去も、そして未来も」


 マルティナは目をみはった。


(過去も……未来も?)


 まるで前世のことを知っているような口ぶりに、マルティナは(いぶか)しそうにヴィルヘルムを見上げる。

 知っているはずがない。私の時間が巻き戻ったことは、誰にも話していない。ゲルデにすらも。


 ヴィルヘルムはマルティナの(いぶか)しげな視線を受けても少しも表情を変えなかった。


「それは……」


 マルティナがさらに問おうとしたとき、崖の上から、からから、とも、ぱらぱら、とも聞こえる音を立てて小石がいくつか二人の間に落ちてきた。

 はっ、と二人で上を見上げると、大きな石が傾いて、崖を転がり落ちようとしているのが見える。

 とっさに立ち上がり、二人は崖の窪みに貼りついた。ヴィルヘルムはマルティナを庇うように上から覆い被さる。


「なにを」


 言いかけたマルティナの背を、ヴィルヘルムの体がぐっと崖に押しつけた。

 がらがらと轟音を立てて、石がいくつも川に落ちていく。川からの水しぶきが二人に、いや、主にはマルティナを庇っているヴィルヘルムの背に降り注いだ。


「まだ動かないでください、落石が続くかもしれません」


 耳元で聞こえるヴィルヘルムの言葉に、マルティナはやや落ち着かない気分になったが、そのまま身じろぎもせずに待った。

 数分経っただろうか、もう小さい落石も大きい落石もおさまっただろうと動きかけたところで、ヴィルヘルムがさらに体を押してきた。

 

「もうおさまったのでは?」


 少し怒ったように言うマルティナに「しっ」とヴィルヘルムは声をかける。


「?」


 マルティナが黙ると、崖の上の方から人の声が聞こえてきた。


「やったか?」

「姿は見えないな」

「川に落ちたのかも。濁っていて見えないが」

「崖を下りるか」

「いや、崩れそうだ。川向こうから探した方が良いんじゃないか」

「迂回しよう」


 遠く聞こえてきた不穏な会話に、ざわっと背中に冷たさが走る。

 黙ったまま視線を顔を横に向け、ヴィルヘルムを横目で見ると、マルティナに被さるようにしていたヴィルヘルムはマルティナに視線を合わせ、軽く頷いた。


 足音が遠ざかっていく。下りられる場所を探しに行ったのだろうか。


「のんびり川下りをしている時間はなさそうですね」


 ヴィルヘルムがやっと体を離した。マルティナが振り返ると、ヴィルヘルムの足が少しふらつく。

 マルティナが見とがめ「どうかしたのですか」と声をかけると、「大したことはありません」と言って背中を庇うようにしている。


「見せてください」


 さっとマルティナがヴィルヘルムの背中側に回ると、落ちてきた石が衝撃で割れて飛んだものが当たったのか、背中側の服が裂け、幾筋も血が出ている。

 

「……私を庇って怪我を……」


 マルティナが眉を寄せて顔を曇らせると、ヴィルヘルムは「それほど深い傷ではありませんから大丈夫です」と言って向き直った。

 とはいえ、背中側はほぼ血で真っ赤だ。服も裂けて素肌が見えているし、マルティナを庇って川の水も浴びており、汚染された水から瘴気の影響も受けていると思われた。


「とりあえず上着は返します。歩いて少し体も温まりましたし」

 マルティナは上着を脱いで渡そうとしたが、ヴィルヘルムはそれを押し返してきた。マルティナはきっと目をつり上げて上着を押しつけた。

「受け取ってください、ここで揉めている暇はありません。あの人達がここにたどり着くよりも先に、川を渡った方が良いと思います」


 ヴィルヘルムは少し驚いたような顔をして受け取り、そして笑った。


「何がおかしいんですか」

 マルティナが唇を尖らせて抗議すると、ヴィルヘルムは「いえ、ちょっと意外で」と口に手を当て、それから「失礼」と言って真面目な顔をした。

「ありがとうございます。では、上着は私が着ましょう。川ですが、少し戻ったところに倒木がありました。あそこならもしかしたら渡れるかもしれません」


 納得いかない顔のまま、マルティナは頷いた。するりと上着を着たヴィルヘルムは涼しい顔で告げる。


「急ぎましょう、走ります」


 促されるまま、マルティナはヴィルヘルムと一緒に駆けた。

 前を走るヴィルヘルムの背中から時折赤味を帯びた水が落ちていくのが気になる。


(本当に浅い傷なのかしら)


 マルティナはごくりと唾を飲み込む。

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