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4-7. 隠された決意

 マルティナが次に目を覚ますと、目の前にあった焚火の火は消えて、どこからか薄い光が差し込んできていた。

 膝を貸してくれていたヴィルヘルムの姿は見当たらず、代わりにたき火の側で乾かしていたヴィルヘルムの上着が頭の下に差し込まれている。


 身を起こして改めてあたりを見回す。洞窟内はあまり広くなさそうだ。

 ふと、頭痛や吐き気がほとんどおさまっているのに気がついた。世界が回るようなめまいも感じない。

 差し込んでいた光がさえぎられ、影が動いてくるのが見えた。とっさに目で剣を探したが、現れたのはヴィルヘルムだった。

 ヴィルヘルムは起き上がったマルティナを見ると、心配そうな顔で声をかけてきた。


「目が覚めましたか」

「ええ、もうすっかり気分が良くなりました」

「それは良かった。追加の水を汲んできました。外の川も徐々に汚染が抜けてきているようです。泉の水が浄化されているせいでしょう」


 マルティナはほっとする。

 ヴィルヘルムは微笑んで、水袋を差し出した。マルティナが口をつけて飲むのを見守ると、脇に置いてあったマルティナの剣を手渡し、手を差し伸べた。


「動けそうなら、移動しましょうか。騎士団も私達を探していると思いますが、もう少し見つけやすいところまで行かなければ合流が難しいでしょう」


 マルティナは頷くと、ヴィルヘルムの手を取った。


 ヴィルヘルムが乾かしてくれていた上着を身につけ、低い洞窟の穴に頭をぶつけないようにしながら外に出ると、目の前はすぐ川だった。

 水はまだ赤く濁っていて、瘴気が立ちのぼっていた。それでも、泉の水よりはだいぶ薄いように見えた。

 洞窟から川まで、浅瀬と言えるほどの浅瀬もない。よくこんな場所を見つけて意識のないマルティナを運び込めたものだ、とマルティナは感心した。

 手を引くヴィルヘルムの顔を見上げる。

 ヴィルヘルムは警戒するようにあたりを少しながめたあと、マルティナの枕にしていた自分の上着を、マルティナの肩にかけた。


「寒くはありませんか。本当は全ての服を乾かしたかったのですが、意識のないあなたの服を勝手に脱がすわけにはいかなかったので。濡れたまま一晩寝ていて体が冷えているでしょう」

「上着だけは乾かしてくださいましたし、焚火が近かったのでそれほどでもありま……っっくしゅん」


 外に出た途端、冷たい風が濡れた服、特に下半身から温度を奪っていく。ヴィルヘルムはくすりと笑って、上着を首元で止めた。


「着ていてください。冷やして熱でも出たら大変だ」

 

 マルティナは素直に上着を借りることにする。前でかき合わせるといくぶん寒さは和らいだ。

 ヴィルヘルムを見ると、ベストは着用しているがシャツ姿だ。いかにも寒そうに見える。


「あの、ヴィルは寒くないのですか」

「ええ、私は大丈夫です」


 振り返ったヴィルヘルムの笑みに、マルティナは「そんなわけないでしょう」と思いつつ、かといって上着をつき返すほど強がれる状況でもなかった。

 風が体を撫でるたび、芯から冷えて震えがくる。


「妻を守りたい夫の気持ちを汲んでください」


 見透かしたように笑み、耳元で囁くヴィルヘルムの言葉に、かっと頬に熱が集まってきた。

 マルティナは顔を赤くしたままヴィルヘルムを軽く睨む。どうしてこんな口説くような言葉をすらすら言えるのだろう。

 

「ありがたくお借りします」


 ヴィルヘルムを細目でみやりながら頬に朱を上らせたマルティナの言葉に、ヴィルヘルムはくすりと笑う。そして川下を指さした。


「このまま川沿いに進みましょう。この崖を登ることも考えたのですが、昨晩は雨で、岩盤がゆるんでいる可能性もあり、あまり得策ではないでしょう。どこかで向こう岸に渡れればと思うのですが、少し見に行った範囲では渡れそうなところが見当たりませんでした。しばらく川を下って行くしかないかと」


 そう言われてマルティナは洞窟側の斜面を見上げた。

 登れと言われれば登れなくもないが、見上げる斜面はゆうに三十メートルはありそうだった。傾斜も急だし、崖に近い。地盤がゆるんでいれば、足がかりにした石や木が崩れる可能性もあり、危険だろう。

 マルティナは頷いてヴィルヘルムに同意した。


「行きましょう。早く騎士団と合流しなくては」

「……回復したばかりなので、気分が悪くなったら言ってください」


 それからしばらくは細い岸を崖につかまるようにして進んだ。踏んだ砂利から水が沁みだし、靴を濡らす。

 革の靴に水が沁みて、重くなるのを感じた。空気もまだ澱んでいて、時おり鳥の形の魔物の群れが上空を横切っていく。そのたびに崖に身を貼り付けるようにしてやり過ごしながら、ヴィルヘルムとマルティナは川を下り続けた。

 

 一時間ほども下っただろうか、ふと、マルティナは洞窟で聞こうと思っていたことを思いだす。前を行くヴィルヘルムの背中を見上げ、今聞いてもいいものか少し思案した。


「……ヴィル」


 声をかけると、ヴィルヘルムは止まって振り返った。

 

「どうかしましたか、気分でも悪いでしょうか。あ、水が欲しいですか?」


 すぐさま水袋を差し出すヴィルヘルムに、マルティナは少し笑い、かぶりを振った。


「昨晩、あなたの子どものことを思い出して、聞きたかったけど聞けなかった事を聞いても良いでしょうか」

「はい、もちろんです。なんでしょう」


 ヴィルヘルムはきょとんとした顔をしていた。その表情に暗さはない。

 一瞬でも、幼い頃の事は思い出すのも嫌だというような表情をヴィルヘルムがしたら、聞くのをやめようと思っていた。

 しかし、表情からすると特別な感情はないようだった。


「……エーレンベルク侯爵家に預けられていたのは、どういういきさつでしたの?」


 マルティナの言葉に、ヴィルヘルムは答えるのを少しためらう様子を見せた。しかし、マスクを触ろうと顔に手を当てて、そこにマスクがないことを思いだしたのか、突然笑みを浮かべた。

 

「今さら隠してもしょうがないですね。……私に銀の瞳が現れたからです」


 やはり、という気持ちがマルティナの胸に押し寄せた。


「アウグスト公爵家の主人である父は、前皇帝の兄でした。父には銀の目は受け継がれていません。私も生まれたばかりの頃は茶色の瞳でした。ですから、十二歳まではそれほど皇室に目をつけられてはいませんでした」


 少し休憩しましょうか、と言ってヴィルヘルムは岸壁から突き出た岩に腰をかけた。横を指し、マルティナにも腰かけるように促す。


「十一歳の誕生日を迎える頃、突然銀の瞳が現れたのです。父はそれをひた隠しにしようとしました。使用人には口を閉ざすように厳命し、会える人も限定されました。突如、私の世界は孤独になりました。

 父も母も、使用人も、みな何不自由なく過ごせるようにしてくれましたが、私は一生カゴの鳥なのだと、その時には絶望したものです。

 しかし、厳重に管理していたはずの公爵家の噂はどこからか漏れ……私を狙うものが現れたのです。ついには敷地内にまで暗殺者が入り込むようになり、父は私を殺すことにしました」


 殺す、という言葉で「ひゅ」と息を吞むマルティナに、ヴィルヘルムは笑ってみせた。


「本当に殺そうとしたわけではありません。社会的に殺そうとしたのです。

 公爵家など、父にとってはどうでも良かった。自らが経験した熾烈(しれつ)な後継者争いを、私には経験させたくなかったのでしょう。それでまずは、秘密裏にエーレンベルク侯爵家へ預けられることとなりました」


 マルティナは頷く。

 エーレンベルク侯爵家の警備は主に侯爵家の私設騎士団だ。皇宮の手のものは入り込みづらい。

 侯爵がソードマスターであり、侯爵の試験を突破しなければそもそも騎士団には入れないようになっているからだ。


「エーレンベルク侯爵家ですごした二ヶ月ほどは、とても楽しかったです。私は十一歳を境に病に伏したことにされていたので、それまで付き合いのあった同年代の友人とも縁を切ってしまい、ただ公爵家の中でひた隠しにされていました。

 それが一転して、外に出て、騎士達と剣を振り、鍛錬で汗を流し、暗殺者の心配をせずに眠ることができる生活。エーレンベルク侯爵閣下にも非常に良くしていただきました。私は、このまま公爵家には戻らずにいたいと、父に手紙を書いたのです」


 ですが、とヴィルヘルムは言葉を切った。


「その手紙を何者かに見られてしまったのでしょう。試合のあったあの日、あなたと話したあの日の夜半に、父の使いが来ました。前皇帝に居場所が見つかったから、隣国に逃げろと。そしてそのまま、私はこの国へ来ました」


 マルティナが見上げた瞳は、優しい銀に揺れていた。


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