4-5. 隠された決意
マルティナは、夢を見ていた。夢の中で、侯爵邸の鍛錬場にいた。
手を見ると、まだ幼い。十歳に満たないような手のひらだ。服はドレスを着ていた。
遠くから訓練の声がしている。横に目を向けると、侯爵がいた。少し若い。
「おとうさま、わたくしも剣が習いとうございます」
口が勝手に侯爵への願いを発言した。
侯爵はちらとこちらを見て、マルティナと視線を合わせるようにしゃがんだ。
「剣術はな、生半可な気持ちでは極めることができぬ。また、怪我もするし、痛い思いもする」
マルティナはぎゅっと手を握りしめる。
「分かっております。しかし、あの子も、わたくしとそう年は変わらないではありませんか。それでも、すでに木剣をにぎり、騎士達とたんれんにはげんでいます。こんなところで見ているだけでは、私はおいてゆかれるだけです」
そう言って指さした先には、銀の髪の男の子がいた。熱心に剣を振り、騎士達と同じように型を学んでいるようだ。
マルティナの視線に気づいて、ちらとこちらを見たが、すぐにまた前を向き剣を構える。横にいる騎士達が、角度や速さを指導していた。
その一瞬の、「あの子は自分たちのがわに来る人間ではない」という視線。
外野だと思われたのがマルティナには腹立たしかった。
「おとうさま」
強いアメジスト色の瞳で父を見るマルティナに、侯爵はため息をついた。
「良かろう。途中でつらくても投げ出さないと約束できるか?」
諦めたように許可する侯爵に、マルティナは喜びのあまり抱きついた。
「はい! おやくそくします!」
侯爵に言われて侍従が持ってきたのは、軽い子供用の木剣だった。
「マルティナ、まだお前は、体が子どもだ。それは否定できるものではない。
今、無理に大人用のものを使うと筋肉や骨や関節を痛める。さらに無理して使い続けると、体を壊す。そうすると一生剣が握れなくなる。分かるか」
マルティナは子供用の木剣に少し不満をおぼえながらも、素直にうなずいた。
侯爵はマルティナに木剣を手渡しながら、真剣な顔でマルティナに告げる。
「剣は、型が大切だ。それから、速さ。相手の剣筋をしっかり見極める視力、そして、体を思い通りに動かせる俊敏さ。
それらが合わさって、初めて強い剣士になる。重い剣をただ振り回せるだけではダメだ。どんなに力が強くても、力だけでは強い剣士にはなれない。
忘れるな、まずきちんと型をおぼえよ。そして相手をよく観察せよ。思い通りに体を動かせるよう、基礎の鍛錬を怠るな」
「はい、おとうさま」
神妙な顔でマルティナは再度うなずいた。
「よし、ではあの子の横に行って教えてもらえ」
マルティナは剣を抱えてかけていった。
初めは素振り、それから走り込み。
徐々に型を教えてもらえたのは、数週間が経ってからだった。
マルティナには、朝の鍛錬だけの参加が許されていた。マルティナは朝の鍛錬の一時間以上前に起き出してひっそりと鍛錬場に行き、先に鍛錬を始めていた。
鍛錬のあとには、勉強やマナー講習が控えている。朝からたっぷり運動したからだは疲れ、午後の授業中にはたびたび居眠りをしていた。
侯爵にも報告があったそうだ。しかし侯爵は何も言わなかった。
ようやく模擬戦に参加できたのは二ヶ月が経った頃。しかし、マルティナは当然誰にも勝てなかった。
悔しくて、鍛錬が終わったあとに中庭の奥の四阿で泣いていたら、うしろから「ねえ」と声がした。
振り返ると銀色の髪の男の子がいる。
父の侯爵は、騎士団を統括する立場だ。
どこかの貴族の子が、剣技を磨くため父に預けられ、朝の鍛錬にしばらく参加することはよくあることだった。
そのような貴族の子の一人だろうと思った。普通は一ヶ月ほどでいなくなるが、この子はそういえばだいぶ長いこといるな、とマルティナは初めて思った。
あちらはマルティナの名前を知っているかもしれないが、マルティナは名前も知らない。父が、子供達には名乗らないよう言い含めているからだ。
当然、この男の子とも先ほど剣を合わせたが、あっさり負けた。
マルティナは泣いている顔を見られたくなくてそっぽを向いた。
「あのさ」
男の子が言いにくそうに口を開いた。
「剣筋は良かったと思うよ」
男の子の言葉に、マルティナは横を向いたまま目を見開く。開いた目から、溜まっていた涙がぽろりとこぼれ落ちた。
まつげをしばたかせて、なるべく平気なふりをしているマルティナの顔を、見ないようにしながら、男の子は言葉を続けた。
「型もきれいになってるし、速さもある。力は、まだ体が小さいから弱いけど、君は動きがはやいから、それを生かしたらいい剣士になると思う」
「……ほんと?」
思わず男の子を見上げたマルティナに、男の子はうなずいた。
「うん」
そう言って、マルティナにハンカチを黙って差し出した。マルティナはハンカチを受け取ったが、そのまま握りしめる。涙を拭いたら泣いていたと認めるようなものだ。目をうろうろとさまよわせたあと、ハンカチは使わずに袖で顔をこすった。
「……ありがとう。ちょっと鍛錬で汗をかいたみたい」
そう言ってにこりと笑うマルティナに、男の子は呆れたように少し笑った。
それから、マルティナの横に腰掛けて前を向いた。
そよそよとした風が二人の間を通り抜けていく。緑のにおいがした。
泣いたあとで少しぼうっとしているマルティナに、男の子は聞いた。
「……ねえ、どうして強くなりたいの。女の子なのに」
マルティナはぼうっとしたまま答えた。
「どうして女の子は強くなったらいけないの?」
「いけないわけじゃないけど……守ってもらう方が好きって女の子もたくさんいるから」
マルティナは少しうつむいた。肩が震え、怒っているように見える。
「わたしはたくさんの子の中のひとりじゃないわ。侯爵家のひとり娘なの。おとうさまのようになりたいの」
震える声でそう言うと、きっ、と男の子を涙に濡れたアメジストの瞳でにらみつける。
男の子は驚いたような顔をして「どうして」と繰り返す。
マルティナは立ち上がった。そうして、自分の胸に手を当てる。
「エーレンベルク家は、だいだい、こうこくの騎士のかけいよ。おとうさまも騎士だわ。わたしも騎士になるの」
「どうして皇国を守るの」
「どうして?」
「どうしてあんな皇帝を守るために、君みたいな子が小さな手をマメだらけにして頑張らないといけないんだ」
男の子の口調は強かった。マルティナは一瞬驚いたように口を開けたが、男の子をにらみすえた。そうして、強く言い返す。
「騎士がまもるのは、国よ。皇帝を守るために強くなるのではないわ。国の民を守るために強くなるのよ」
男の子は虚を突かれたように押し黙った。
少しの沈黙のあと、震える声でマルティナに聞く。
「じゃあ、皇帝がもし、間違ったことをして、民にひどいことをしていたら?」
「そうしたら、皇帝に「めっ」ってしないとでしょ?」
仁王立ちで腕組みをし、当たり前のような顔で言い放つマルティナを、男の子はしばらくきょとんと眺め、それから噴きだした。
「あはは、あは、それ、反逆罪だよ」
笑われたことにむっとした顔をして、マルティナは唇を尖らせる。
「民にひどいことをするのはいい皇帝ではないと思うわ。エーレンベルク家のアメジストの瞳は、皇帝の、なんだったかしら、なんとかっていう、とくべつな力が通じないのよ。
だから、ええと、皇帝をいさめるやくわりも持っているんだわ。家庭教師の先生がいっていたもの!」
地団駄を踏みそうな勢いのマルティナに、男の子はすっと真顔になった。
「今の皇帝はそんな力、もってないけどね」
「え?」
不思議そうに聞き返すマルティナに、男の子は口の端をあげて笑った。
薄い唇が弧を描く。
「また鍛錬できたらうれしいな。僕はヴィルフリート。ヴィルフリート・アウグストだよ」
そう言った言葉が、耳に残る。
でも、その子とはそれ以来、もう二度と会えなかった。
マルティナはその口元を見たことがある、と思った。
ゆらめく銀色の瞳。どこかで見た、面影。
どこでだったかしら、と思いながらマルティナが目を開けると、マルティナの頭を膝に乗せ、焚火を見つめるヴィルヘルムの顔が目に入った。




