4-3. 隠された決意
「ヴィル」
マルティナはドラゴンの気をひかないように小声で呼ぶ。ヴィルヘルムは他の騎士達から離れてマルティナに駆け寄ってきた。
岸辺にしゃがむと、マルティナを両手で引き上げる。マルティナの濡れた髪が額にかかるのをなでつけ、体をざっと見渡して無事を確認すると、感極まったかのようにマルティナを抱きしめた。
「良かった、すぐに続いて飛び込もうとしたのを、一度ドラゴンを陸に引きつけてからだとユーグに止められて……あなたが浮かび上がってくるのが見えるまで、生きた心地がしなかった」
「泳ぎも叩き込まれていますから、溺れたりしませんわ」
強い力で抱きしめるヴィルヘルムの腕は震えていた。
「服が濡れますわよ」
マルティナは優しく言うが、ヴィルヘルムの腕はゆるまなかった。優しくヴィルヘルムの背を叩く。
「ヴィル、あのドラゴンを何とかしないといけません」
冷静に言うマルティナの言葉を聞いて、ヴィルヘルムはようやくマルティナの体を離した。
「あなたは後方に下がっていてください、泉の水に浸かったので、指輪をしていても体に瘴気の影響が出ているはずです」
気遣わしげに言うヴィルヘルムに、マルティナはにっこり微笑んだ。
「わたくし、もう一度、泉に入ろうと思っていますの。聖清石を持って。一人では無理なので、数名、泳ぎの上手な騎士を選んでいただけないでしょうか?」
ヴィルヘルムは目を見開いた。
「何をおっしゃるのですか」
「今はよく見えませんけれど、あの泉の底に、強く赤い光が見えました。何かは分かりませんけれど、あれが瘴気のみなもとになっているのではないでしょうか?
それに、この指輪をして泉に入ると、血のような赤い色が、澄んだ水の色に少しだけ変わりました。数名の騎士で何個かに分けて聖清石を持ち、赤い光のもとを壊し、聖清石を泉の底に据えてくれば、すみやかに泉の浄化が進むのではないでしょうか?」
マルティナの言葉に、ヴィルヘルムは呆気にとられ、ついで口を開いて何かを話そうとし、それから諦めたように口を閉じた。
「その可能性は、確かにありますが、しかし……危険すぎます」
ヴィルヘルムが口をゆがめて苦しそうにそういうのを、マルティナは笑顔で見上げた。
「あら、可能性はかなり高いと思われているのでしょう? ですから、今、わたくしにやめるよう説得しようと考えて、やめたのですわ」
表情を読まれたヴィルヘルムは苦しそうに息をつく。
「本音をいえば、やめて欲しいです。でもあなたがそう言ってもやめないだろうことも想像がついています」
「だいぶわたくしの性格を分かっていただけるようになりましたのね」
マルティナの前髪からしたたっていた血のような赤い水は、もうかなり淡い赤色に変化していた。指輪の力なのだろう。
「ヴィル……いえ、ヴィルヘルム・ケーリッヒ騎士団長」
マルティナは真面目な顔でヴィルヘルムを見上げた。
「貴君は、今は団長としての判断を正しく行うべきです。今、最優先すべきなのは、わたくしの安全ではなく、この泉の浄化作戦でしょう。作戦を実行できる騎士を選び出し、わたくしにお預けください。
そしてあのドラゴンをひきつけ、できるだけ泉から離しておいてください。泉にもぐる騎士達が水流で流されないように。あのドラゴンが泉に入って暴れると、水流で流されてしまい、うまく泳ぐことができません」
ヴィルヘルムはなおも迷うように口を少し開いたが、マルティナの言葉にきゅっと唇を引き結んだ。
「分かりました。あなたを信じます。……どうか、ご無事で。
聖清石の箱近くまで一緒に行きましょう。そこで数人の騎士を選びます」
信じます、といいながらも不安そうな色の濃い灰色の瞳が、マスクの奥で揺れた。
マルティナは安心させるように笑う。
「大丈夫です、わたくしにはこの指輪がありますから」
そう言って手を見せる。ヴィルヘルムも薄く口元を笑みの形にした。
二人はドラゴンと戦う騎士達の元に戻った。
「団長、あいつは陸に上がるとそれほど素早くはありません。しかし、攻撃が固くてなかなか通らないです」
戻ったヴィルヘルムに、マルコが報告をした。
ドラゴンはのたのたと動き回りながら取り囲む騎士達に気まぐれに攻撃を加えている。
尾や手の一撃は重そうだが、噛みついたりするのはそれほど得意ではなさそうだ。魚のようなのっぺりとした顔に、赤いヒレがついている。素早く首を振る動作は、飛んでくる弓を嫌がっているだけのようで、首や尾を使って騎士達をなぎ払ったりするわけでもなかった。
盾隊にはそれほど被害が出ていないように見えた。一撃一撃は重いが早くないから、交互に防御することで疲弊を減らしている。
しかし、弓では攻撃が通らず、剣でも鱗に阻まれて思うようにダメージを与えられないようだ。
マルティナは少し考えてから口を出した。
「火を使うのはどうでしょう? もともと泉にいたのであれば、火にはあまり強くないかもしれません」
「なるほど、ならば火矢と……油を使った火の罠に誘い込んでみるか」
ヴィルヘルムは顎に手を当てる。マルコはヴィルヘルムの言葉を聞くと頷いた。
「薪がまだ予備にあります。それを組んで油を撒いた場所を作り、誘い込みましょう」
すぐに動こうとするマルコを、ヴィルヘルムは呼び止めた。
「運搬隊の中で、泳ぎの得意なものを数名選んでくれ」
「いいですけど……何故ですか?」
不思議そうな顔をするマルコに、ヴィルヘルムは先ほどのマルティナの作戦を説明する。
作戦を聞いたマルコも、渋い顔をした。
「それは……いささか危険なのでは」
マルティナが前に出る。
「でも、あの泉の主が、泉を離れている今がチャンスだと思います。いつまた泉にとって返すか分からないですわ。泉の中では動きも早かったし、弓も剣も届かなくなる。今と同じようには戦えないはずです」
説明を聞いて、確かに、とマルコもうつむく。
しばらく考えたのち、頷いた。
「おっしゃるとおりです。それに泉の中の状況を探るためには、確かに潜るのが確実だと思います。皆が聖清石を持っている状況であれば、泉に入っても中の状況が分かる可能性が高いでしょう。
このまま泉の側で戦い続けていてはなかなか状況が改善しませんし、泉が浄化されればドラゴンの力も弱まるか、別の場所に移動するかもしれませんね。
みなを準備させます。ドラゴンが充分に泉から離れたら、作戦を実行してください。ただし、くれぐれも無茶はされませんように」
マルティナはほっとして頷いた。自分の意見を聞いて作戦を任せてくれたことにも嬉しさを感じる。
「ありがとうございます」
マルコはマルティナの華やかな笑顔を見て少し赤くなったが、すぐにヴィルヘルムに睨まれて青くなっていた。
いくつかの部隊に分かれて作戦は実行された。
「火計の準備は整いました」
「火矢を試しに打ち込んだところ、確かに多少ダメージが入っているようです」
「泳ぎの得意なものを集めました」
「聖清石を腰に巻き付けられるよう、袋をベルトに通したものを準備しました」
次々とヴィルヘルムに報告がくる。
マルティナはみなの手際の良さに感心していた。もともと予定になかった計画なのに、皆が作戦の意図を汲み取って自ら考え動いていく。
もちろんドラゴンの攻撃が収まっているわけではない。しかし、盾隊が主体となって徐々に泉から距離を取りつつ罠への誘導を行っており、交代で攻撃の手を休めず、注意を引きつけている。
(これほど統制が取れていて、なおかつ指導者の意を充分にくみ取れる騎士団はそういないわね)
マルティナは渡された袋付きのベルトを身につけながら、皇国の騎士団に思いをはせた。
権威だけはあり、また騎士団としてのプライドも高い。名門の貴族の子息が名を連ね、訓練も充分に行っている。
しかし、実戦経験は皆無に等しい。
(もし戦争になったら、王国にとっては赤子の手をひねるよりたやすい勝利となるでしょう)
選ばれた泳ぎの得意な騎士達が同じようにベルトを身につけ、袋の中に聖清石をおさめていく。
マルティナも、渡された聖清石を、五つほど袋に収めた。
不思議な色を放つ大きな石はひんやりと冷たく、それでいて何とも言えない熱を中心に感じた。