1-4. はかりごと
馬車から降りたマルティナは侯爵の手にエスコートされて会場に入った。
「アードリアン・エーレンベルク侯爵ならびに、マルティナ・エーレンベルク侯爵令嬢のご入場です」
高らかな宣言とともに扉が開き、マルティナが下げていた頭を上げると、会場の視線が自分に集まっているのが見えた。
これまで各家に招かれても赴くことはほとんどなく、かたくなに令嬢以外との社交を避けていた令嬢がデビュタントに現れたとあって、特に令息たちからの値踏みするような視線を感じる。
マルティナはまったく気にしない様子で視線をまっすぐ前に向ける。侯爵とともに会場の中央に進むと、まずは高座に座っている皇帝と皇后に向かって礼を取った。
中央から離れると、すぐに令嬢達に囲まれた。年かさの令嬢達はみな華やかな色のドレスを身につけてめいめいを飾り、今日がデビュタントの令嬢はみな白を基調としながらも、美しい趣向を凝らしたドレスを身につけていた。
ここ一年で仲良くなったエレナ・ヴォイド伯爵令嬢が感激したようにマルティナのドレスを上から下まで眺めて言った。
「マルティナ様、なんと美しいドレスなのでしょう。女神が降臨したのかと思いましてよ」
そういう彼女は、ほぼ真っ白だがアイボリーがかったレースを上から重ねた上品なドレスを着ていた。
アクセサリーは目と同じ青色を選び、同じ色の細かな刺繍が控えめに胸元を彩っている。普段は可愛らしい雰囲気だが思いのほか大人っぽいドレスに、マルティナは微笑んだ。
「エレナのドレスも本当に素敵よ。いつもと少し雰囲気が違うわね。そういうのもとても似合うわ」
「実は、母のデビュタントのドレスを手直ししたのです。母とそっくりだから……似合いますか?」
「ええ、とってもお似合いよ。とても大人っぽく見えてよ」
皇国の四大侯爵家のひとつであるマルティナに対してあからさまな敵意をむき出しにしてくるものなどいなかったが、それでもマルティナは今後のために令嬢達とは良好な関係を築く努力をしてきた。
エレナと気安くやりとりする様子に、他の令嬢たちも近寄ってきて次々と言葉をかけてくる。
「本当ですわ。動くたびに妖精の鱗粉が舞っているようにも見えます」
「こちらのアメジストの加工は本当に素敵ですわ」
「扇にも同じものが散らしてありますのね」
「マルティナ様には、黒髪に映える真珠がよくお似合いになるわ」
口々にマルティナの装いを褒めそやす令嬢達に、マルティナも同じように賛辞を返していく。今日のデビュタントでは、基本的には令嬢達と過ごし、令息達との交流は派手に行わないつもりだった。
前世で恋愛はこりごりだと思っていたこともあり、もとより婿取りの縁談も基本的に父に任せるつもりである。早々に令嬢に囲まれるのはまずまずの出だしだ。
穏やかに微笑むマルティナは、しかし鋭い視線を感じた。
顔は動かさずに視線だけで探ると、高座の皇帝夫妻のそばにハーラルトがいた。何が面白くないのか憮然とした顔でこちらを睨みつけている。
前世で嫌というほど見た顔だ。マルティナはすっと視線を逸らした。
侯爵の腕からはまだ手を離していなかったため、令嬢達との会話に夢中になっているふりをして、そっと体を侯爵の陰に移動させ、ハーラルトからの視線を遮った。
そのままそちらを見ないようにして過ごす。
しかし、一通り挨拶の波が去って行ったタイミングで、侯爵がマルティナに言った。
「マルティナ、はやめに皇帝陛下にご挨拶に伺おう」
「……分かりましたわ、お父様」
マルティナはため息をつきそうになるのをおさえ、侯爵に向かって微笑んだ。
侯爵とともに高座にあがり、皇帝と皇后、そして横に立っている皇子に対して挨拶をする。
マルティナは誰とも視線を合わさないように視線は伏せたままにしていた。皇帝は頭をあげさせたマルティナを頭のてっぺんから足の先まで舐めるように眺めると
「マルティナ侯爵令嬢はまことに美しく育ったな。侯爵もさぞ自慢の娘であろう」
と含みのある顔で言った。侯爵は黙って辞儀をする。
「もう少し年かさであれば私の側妃にでも召し上げたいほどだが、いやなに、冗談だ、シュテファン、そう睨むな」
隣の皇后に聞こえよがしにそんな冗談を言う。マルティナは視線を落としたまま聞いていたが、正直なところ吐き気がした。この親にしてあの息子ありだ。
「娘は侯爵家の跡取りとして育てておりますし、何より陛下には愛する皇后陛下がいらっしゃるではございませんか、どうかご容赦のほどを」
侯爵は顔色ひとつ変えず、にこやかに返す。
皇帝は鼻白んだ様子でつまらなさそうに言った。
「よいよい、冗談だと言っておるであろう。
そういえば、剣の腕もなまなかのものではないと聞いておるぞ。騎士団にも入れる実力だとか。さすがアードリアンの血を引いている」
「とんでもございません。噂に尾ひれがついているだけでございましょう。それなりには上達しておりますが、皇国騎士団に入れるなどとてもとても」
侯爵は謙遜する。
皇帝はちらとマルティナに視線を向けたが、マルティナは「恐れ多いことでございます」と頭を下げた。皇帝はふん、と鼻を鳴らす。
「今日はせっかくのデビュタントだ。楽しむが良い。婿取りをするのであれば、良い縁を探すのも夜会の目的であろう。
そなたならよりどりみどりであろうがな」
そう言うと皇帝は一人だけ面白そうに笑った。
侯爵は口角をあげたまま、優雅に礼をし、マルティナを誘って皇帝の前から辞した。皇子はマルティナをじっと見ていたが、ひとことも何も言わなかった。
マルティナは段を下りながら侯爵の横顔をちらりと見上げる。侯爵はやれやれ、というような表情をしていた。マルティナの視線に気づくと、苦笑しながら言った。
「あとは令嬢達と話すなり、気に入った令息がいたならダンスを楽しむなり、自由にしなさい。
お前は今日から大人になるのだから。そして、疲れたら誰か人を探して私に帰りたいと伝えなさい。馬車の用意をするからね」
優しく言う侯爵に、マルティナは腕を掴む手に少し力を込めた。
「お父様、ファーストダンスはお父様にお願いしても?」
侯爵は目を丸くする。
「それは光栄な申し出だが……良いのかね」
「はい、是非」
先ほどじっと自分のことを見ていたハーラルトのことが気になっていた。このまま侯爵の側にいる方が安全ではないか、と、マルティナの心に確信のような不安が、じわじわと広がっていく。
「そうか、では、私の側にしばらくいなさい」
そう言うと、侯爵は自分の腕を掴んでいるマルティナの手を、ぽんぽん、と優しく叩く。
マルティナはほっとして微笑むと、そっと視線だけで高座の方を窺い見た。
やはりハーラルトの視線は、マルティナに据えられたままだ。目の前には、他の一家が挨拶に上がっているにも関わらず。
マルティナの背に、薄ら寒いものが伝い下りていった。
そして嫌な予感は的中する。
皇帝と皇后のファーストダンスが行われている最中、侯爵の元にハーラルトはやってきた。
昨年デビュタントを済ませたハーラルトは白い服ではなく、ほとんど黒に近い礼装を着こなしている。
飾り付けられた金糸の刺繍や飾りは、皇子の優雅さを際立たせていた。皇子の身長はさほど高いわけではないが、それでもヒールを履いたマルティナよりは背が高い。
銀色の髪を綺麗になでつけて後ろに長し、えりあしは礼服の襟に少しかかる程度の長さだ。
皇后に似た少し人なつっこく垂れた目元に、漆黒の瞳。優しく甘い雰囲気を、自分でも良く分かっている。すらりとした体躯で、その優しい顔立ちとともに令嬢達に人気だ。
「これは皇子殿下」
気づいた侯爵が礼を取る。マルティナも一緒にスカートをつまんで礼をとる。
「侯爵、楽しんでいるだろうか。もしよろしければ、侯爵令嬢のデビュタントのファーストダンス、私がお相手を務めてもいいだろうか?」
柔らかな声で、ハーラルトは告げた。
それはマルティナにとって、まるで首元に剣を突きつけられたかのような瞬間だった。