3-13. 騎士として
ヴィルヘルムはソファに腰掛けると、マルティナの顔を見て口元をほころばせた。軽い布のものだが相変わらずマスクは付けている。
「今日はお疲れになったでしょう」
ねぎらいの言葉に、マルティナも微笑み返した。
「ありがとうございます。鍛錬に比べれば疲れたとも言えないくらいですわね」
そう話すマルティナに、ヴィルヘルムは「それは良かった」と頷くと、胸元から小さな箱をとりだした。
「こちらを渡しに参りました」
マルティナは箱を取りあげる。
「開けても?」
ヴィルヘルムが頷く。マルティナは高級そうな布が貼られた、シンプルなデザインの小さな箱を開いた。
中から現れたのは、不思議な色合いの2cmほどの大きな石がはまった銀色の指輪だった。
「これは?」
マルティナは指輪を取り出して明かりにかざして見た。石は紫かと思えば赤くなり、赤くなったかと思うと白いオパールのような濁った輝きとなる。それからまた緑色が深くなり、黒くなったかと思うと透明に輝き始めた。
その不思議な輝きに吸い込まれるようにマルティナが注目していると、ヴィルヘルムが口を開いた。
「聖清石を指輪に加工したものです」
「えっ。これが聖清石ですか?」
マルティナはまじまじとその石を眺めた。
聖清石とは、魔物の討伐時に使う、瘴気で穢れた地を浄化するための石だ。王国中央にある大神殿で1年以上かけて作られるため、非常に高価で、一般には手に入らない。
討伐計画は魔物を討伐するだけではなく、これらを瘴気のつよい地におさめ、浄化することで進行していく。
石そのものは神殿の厳重な管理化にあり、そもそも宝飾品としては出回っていない。高位の騎士がまれに王から叙勲で授与される事があると聞いた事があるが、一般の騎士には手に入れることすら無理だろう。
「はい、私が一昨年の魔物討伐の際に大きな功績を挙げたとして、王から授与されたものを加工しました。
これを身につけていると、瘴気の影響を受けづらいです。一般の騎士が貸与されるマントにも、ごくわずか小さなものが縫い込んでありますが、この大きさの石であれば小さな魔物はそもそも寄ってすらこないでしょう」
ヴィルヘルムの言葉に、マルティナは驚いて目をしばたかせた。
「このように高価で貴重なもの……団長のヴィルヘルム卿が身につけておかれるべきではありませんか?」
「いいえ」
ヴィルヘルムは笑った。
「私の大切な人を守るために、使いたいのです」
不意打ちの言葉に、マルティナは一気に顔に血が上るのを感じた。顔を赤くしてうつむく。
「そのようなお言葉、わたくしには過分ですわ」
マルティナは指輪を箱におさめた。
「何故ですか? 結婚したのです。私にとってもっとも大切な人はマルティナでしょう。今日、神の前でそう誓いました」
「それは、そうですけれど」
マルティナは視線を下げた。
政治的な思惑が大きな結婚だと思っていた。
特に、マルティナには利が大きい。皇帝となるハーラルトから逃げることができ、婿を得ることで侯爵家を継ぐための資格もできる。
マルティナ側の利のために、ヴィルヘルムを利用しているような気持ちをずっと持っていた。
「わたくしの方がヴィルヘルム卿を利用しているような状況だと思いませんか」
おずおずとそう言うマルティナに、ヴィルヘルムはにこやかに、しかし強い言葉で一言返す。
「ヴィル」
「?」
意図が分からずに戸惑うマルティナに、ヴィルヘルムは重ねて言った。
「ヴィル、とお呼びください。マルティナのことは、ティナ、そうですね、ルティ、などもいいかもしれません。誰も呼ばない名前であなたを呼びたいのですが、どうでしょう」
マルティナがますます顔を赤くすると、ヴィルヘルムはおかしそうにくすりと笑う。
「利用しているなど、気にされなくて良いのです。私もあなたを利用している」
意外な言葉にマルティナは少し驚いた。
「そうなのですか?」
「本当にやむを得ない流れで、私とあなたが結婚したのだと思っているのですか?」
ヴィルヘルムのマスクに隠れた目が細められ、銀の光がくすぶったように見えた。
「……それは、どういう」
マルティナが訝しげに眉を寄せたとき、コンコン、とノックの音がした。
ゲルデが戻って来たのだろうと思い、「どうぞ」と返答したが、なかなか扉は開かなかった。たっぷり十秒ほどの時間を空けてようやく扉が開き、そっとゲルデの顔が覗く。
「何をしているの」
マルティナが呆気にとられたように言うと、テーブルを挟んで向かい合わせに座っているマルティナとヴィルヘルムを見て、ゲルデはホッとしたような顔をする。何を考えていたのかとマルティナが睨むと、ゲルデは咳払いをしながら扉を大きく開き、ワゴンを押して戻ってきた。
「お茶をご用意しました」
ヴィルヘルムはくっくっ、とおかしそうに少し笑った。
「ありがとう、もう少し話していたいところだが、明日も鍛錬で早いことだし、こちらで失礼しよう」
そして穏やかにそう言うと、立ち上がる。
「あ、こちらありがとうございました」
マルティナが指輪の箱を手にしながら慌てて立ち上がってヴィルヘルムを追うと、ヴィルヘルムはふと振り返ってマルティナの耳に口を寄せた。
「どういたしまして。それに、これ以上この部屋にいると、別の我慢を強いられそうですしね」
マルティナは、ぱっと身を離し、赤くなった耳に手を当てる。
ヴィルヘルムは満足そうに微笑むとひらひらと手を振り、ゲルデとすれ違って出ていった。
「私、邪魔をしてしまいましたか?」
ゲルデが心配そうな顔でヴィルヘルムと同じような事を言うのを聞いて、マルティナは笑う。
「そうね、もしかしたら、そうだったかもしれないわ」
マルティナのいたずらっぽい言い方に、ゲルデはあからさまに落胆したような顔をする。
「嘘よ、ゲルデが想像しているような会話ではなかったわ。ちゃんと夫婦になったのだし、急がなくても良いわね」
マルティナはそう言って笑うと、指輪の箱を指でそっと撫でた。
二人が結婚した情報は、騎士団にもすぐに広まっていた。
最初は冷やかしてきたりしたメンバーもいたが、二人があまりにも結婚前と変わらない距離感で接しているのを見て、だんだん周りもトーンダウンしていった。
意外だったのはベレニスの態度で、結婚後数日して、マルティナとヴィルヘルムににこやかに祝辞を述べにきた。
ヴィルヘルムには兄に接するように気安く「ちゃんとマルティナ嬢を大事にしてくださいよ」と伝え、マルティナにはこれまでの非礼を詫びて、仲直りの握手を求めてきた。
さっぱりした顔にはもう未練はなさそうで、マルティナはその手を握り返しながらも、何があったのか不思議な気分でいた。
が、しばらくしてその謎が解けた。
討伐への出発が一週間後に迫った日、ベレニスとユーグの婚約が発表されたのである。
話を聞いたとき、驚いてヴィルヘルムの顔を見上げると、ヴィルヘルムは「そうだろうな」とでもいうように頷いた。
(ユーグ卿が、あんなにベレニス卿のことを気にしていたのは、ずっと好きだったからなのね……)
ヴィルヘルムにきっぱりと断られた日、ベレニスをフォローしにすぐさま走って行ったユーグを思い出して、マルティナは苦笑する。
どうやらヴィルヘルムはユーグの気持ちを長く知っていたらしい。だからこそ、自分に向けられるベレニスの気持ちにあんなにも鈍かったのか、という納得感もあった。
(おさまるところにおさまった、と言っても良いのかしらね)
早速、マルティナとベレニスの関係を心配していたゲルデに教えてあげなくちゃ、と思いながら空を見上げる。
もう冬の気配の濃くなった空は、冷たく乾いた空気で満ちていて、出発の日が迫っていることを嫌でも感じさせた。




