3-12. 騎士として
「なぜ皇国がマルティナ嬢を返せと言ってくるのですか」
ヴィルヘルムがしんとした沈黙を破って王に問いかけた。
「ああ、皇国というより皇帝といった方が正しいかな? 皇妃として教育されていたマルティナ嬢を、正式に皇妃候補として迎えたい、そうだ。
皇帝が亡くなったばかりなので、一年は喪に服すのであろうが、その間に他の貴族と結婚などされると困るし、準備期間もあるので急ぎ帰国させてくれ、という話だろうな」
王は爽やかに言うと「ま、もう遅いが」と笑顔で付け加えた。
二人の婚礼を急がせたのはそういうわけだったのか、と合点がいったが、マルティナはひとつだけ猛烈な違和感を感じた。
「わたくし、皇妃としての教育など受けておりません」
マルティナが不快そうに否定すると、王も頷いた。
「そう、私もマルティナ嬢から聞いていた話と違うなぁ、とは思ったんだがな。彼の中ではどうもそういうことになっているらしい」
マルティナはうつむいて唇を噛みしめた。そして、思い出したように顔を上げる。
「ローザリンデ子爵令嬢は皇妃にはなっていらっしゃらないのですか」
王はマルティナの言葉にしばらく考えを巡らせるようにしていたが、ややあって思いだしたような顔をした。
「ああ、あの珍しい髪色の女性か。確かに夜会で皇子にエスコートされていたな。しかし特に書簡には言及されていなかった。まだ愛妾止まりなのではないか?」
マルティナは不安げに瞳をゆらした。未来が変わっている?
「子爵令嬢との間に子どもが……できたなどは……」
恐る恐る尋ねると、王は首をかしげた。
「子ども……特に聞いておらぬな」
未来が変わっている。マルティナは口を押さえた。
マルティナが皇国を離れてもうすぐ三ヶ月だ。前世ではマルティナが皇妃になってから一年後に子どもが生まれたから、前世よりもまだ時期としては早い。
しかし、邪魔者が消えればすぐに事が進むかと思っていた。
(わたくしが未来を変えてしまったのだわ)
膝の力が抜けてふらつくのを、ヴィルヘルムが咄嗟に支える。
「どうされましたか、マルティナ嬢」
「いえ、……何故、今さら、と思いまして」
マルティナは誤魔化しながらヴィルヘルムの腕に手を置いて頭を振り、姿勢を正す。
王はしばらく二人を見ていたが、安心させるように笑った。
「と、いうわけでな、騎士の叙任もこの際、してしまおうかと思ったのだ。
そうすれば、返信の書簡に、既に結婚していること、結婚したのちに王国の騎士として叙任されていること、騎士として討伐に赴くので、しばらく帰国できないことを書けると思ってな」
マルティナは王の言葉に頷いた。周囲の人びとも、納得したように頷いている。
マルティナはヴィルヘルムにも頷くと、その手を離して祭壇の階段を下り、王の前に跪いた。
王はマルティナを見て微笑むと、剣を抜き、マルティナの肩に置く。
「このような形にはなったが、マルティナ嬢は良い騎士になると思っている。その身をこれから、王国のために役立ててくれ。期待している」
「はい、誠心誠意、騎士として王国に仕える事を誓います」
マルティナが頭を垂れると、王は剣をおさめた。そして明るく宣言する。
「みな、聞いたな、これでマルティナ嬢は私が任を解くまで王国の正式な騎士だ。私が叙任したぞ」
有無を言わさない口調に、その場にいた面々は頷く。
美しい婚礼衣装をゆらしながら立ち上がったマルティナに、ヴィルヘルムが寄り添った。
帰宅後、ドレスを脱いで普段着に着替え、夕食のために食堂に下りると、ケーリッヒ子爵とヴィルヘルムが難しい顔をして話をしていた。
マルティナを認め、ケーリッヒ子爵は笑顔になる。
「おお、マルティナ嬢、今日は疲れたろう」
マルティナも微笑み返しながら、肯定した。
「鍛錬とはちがう疲れがありましたわ。それより、結婚したのです、もうマルティナとお呼びください」
「とはいえ次期侯爵様で、今も小侯爵だからな。我が家より家格は上だ。こういうことはちゃんとせんと」
しかつめらしい顔をする子爵に、マルティナは眉尻を下げる。
「そんな……よそよそしくて寂しいですわ」
ケーリッヒ子爵は一瞬驚いたような顔をして、「そうだな」と破顔した。
それから申し訳なさそうに言った。
「今ヴィルヘルムとも話していたのだが、まだ二人の部屋の用意が調わないのだ。なんせ東館の二階の部屋は長く使っていなくてな。何とか掃除まではできたようだが、調度品などが揃っていない」
マルティナは納得したように頷いた。
「それはそうですよね、結婚のお話が出てからまだ五日しか経っておりませんもの」
マルティナが席に着くと、ケーリッヒ子爵が咳払いする。
「その、討伐から戻るまで……二人は別の部屋でも構わないということかな」
マルティナがぱちぱちと目を開いて不思議そうな顔をすると、ヴィルヘルムが「ふ」と笑った。
「私は構いません。マルティナ嬢……いえ、マルティナも構いませんよね?」
「ええ、構いませんわ」
マルティナが笑顔で言うと、ケーリッヒ子爵はじろりとヴィルヘルムを見た。
ヴィルヘルムはその視線には気づいていないような顔で、目の前の食事に手を付け始める。
二人の間に流れる微妙な空気を感じながらも、何を言うべきなのかが分からず、マルティナも食事を始めた。
「……まあ、そうだな、披露の場を設けてからの方が良かろうな」
ケーリッヒ子爵の奥歯にものが挟まったような物言いに、マルティナは不思議な気分のまま食事を続けた。
食事から戻ったマルティナにお茶を淹れながら、ゲルデがため息をついた。
「お嬢様……いえ、今日から奥様ですわね。先ほどの子爵様のご質問は、初夜が先延ばしになってもいいのか、ってご質問でございましたわ」
マルティナは「ああーー」と言いながら手を打つ。ゲルデは呆れたような顔をしている。
「『ああーー』ではございません。成人後に教育も終えていらっしゃるでしょう。結婚後の重要なおつとめですよ」
「分かっているわよ。だけど、冬期討伐にゆくのが決まっているのに、子どもができたら困るわ」
「すぐにできるわけじゃございませんよ。……まあでも出立が三週間後となると、確かに気づけない期間中の出立になってしまいますし、気づいてすぐ戻るわけにもいかないでしょうね……。子爵様もそれをお考えになっていたのかしら」
ゲルデはぶつぶつと話ながら考え込む。
マルティナはゲルデの様子を横目で見ながら、目の前のお茶に手を伸ばした。
コンコン
部屋にノックの音が響く。ゲルデが扉までいって応対すると、ヴィルヘルムが扉の隙間から顔を出した。
「少し話があるのだが、今、良いかな」
マルティナはゲルデの顔を見る。ゲルデは驚き、ヴィルヘルムに向かって「まだ湯浴みが済んでおりません」と渋い顔をしていたが、ヴィルヘルムは湯浴みとゲルデの言葉のつながりがイマイチわからないような顔をしている。
マルティナはクスリと笑う。
きっとこれは、夜伽にきたのではないのだろう。
「ゲルデ、お話をされにきたのよ。お茶を用意してくれる? ヴィルヘルム卿、かまいませんわ」
マルティナが招き入れると、ゲルデはため息をついた。
花嫁が花嫁なら婿も婿である。
「結婚されたばかりというのに」
そう言いながら、いつもは扉を開けたままで出ていくゲルデは、ヴィルヘルムを中に入れると扉を閉めて出ていった。
ヴィルヘルムはしまった扉を少し眺めて、マルティナを振り返る。
「……何か邪魔をしてしまったかな」
「いえ、どちらかというとゲルデは邪魔になりたかったんだと思いますわ」
マルティナがくすくす笑いながらソファを勧めると、ヴィルヘルムはよく分からないような顔をしたまま曖昧に笑い、ソファに腰掛けた。




