3-11. 騎士として
ヴィルヘルムはマルティナの視線をうけてややたじろぐ。
マルティナはヴィルヘルムに、にっこりと笑いかけた。
「もしわたくしが、卿との結婚後に「やっぱり危ないので討伐にゆくのはやめます」、といって子爵家に閉じこもっていたら、みなさまはわたくしのことをどう思われると思いますか?」
「それは……」
「口だけだったのか、怖じ気づいたのか、魔物が怖いのか、王国のために働くなんて詭弁だったのか、騎士として働くなど見せかけだったのか。……ざっと思いつくのはこれくらいですけれども、他にもまだまだ陰口のバリエーションはありますかしらね?」
「そのようなことは、言わせません」
ヴィルヘルムが身を乗り出すようにする。が、マルティナは首をかしげる。
「卿は討伐に出かけていらっしゃるのに、どうやって言わせないようにすることができますの?」
ヴィルヘルムはぐっと唇を引き結んだ。マルティナはさらに言葉を重ねた。
「それに、この邸宅や王城が魔物よりも安全だと、本当に思っていらっしゃるの? そうですわね、わたくしの誘拐や……暗殺を目論むのであれば、ヴィルヘルム卿や王国騎士団が王都を離れている時を狙うのではないでしょうか」
楽しい事でも話すようなマルティナの笑顔に、ヴィルヘルムが黙って食器を置いた。
「令嬢の仰るとおりです」
そうして、ヴィルヘルムはため息をついた。
「確かに、側にいない方が何かと不都合がおきそうですね。冬期の魔物討伐計画には予定通り参加していただきましょう」
マルティナはヴィルヘルムの言葉を聞いて、満足そうに頷いた。
「ただし、本当に気をつけてください。魔物との戦いは一筋縄ではいきません。私の側にいらっしゃればいくらか安全ですが」
「もちろんですわ」
ヴィルヘルムは困ったように微笑むと、また食事を再開した。
翌日からは忙しい日々が続いた。
形式ばかり、とはいえ、王城内の祈祷室を借りて簡単な式は挙げることになったため、衣装を合わせたりアクセサリーを準備したりと、訓練の合間を縫ってばたばたと準備を進めなくてはならなかった。
婚姻の形としてはヴィルヘルムが侯爵家に婿入りすることとなるが、表向き「皇国に予定通り滞在したい」というマルティナの意思を尊重し、帰国はしない。
そのため、子爵の好意で東館がヴィルヘルムとマルティナの住まいとして提供されることになった。これまでマルティナが住んでいた客室ではなく、二間続きの部屋が夫婦の部屋として新たに準備されることに決まる。
討伐が済んでから、あらためて宴席を設けようという話で、そのタイミングまでに部屋も整える運びとなったが、討伐の準備、結婚式の準備、部屋の引越の準備、その合間に鍛錬と、マルティナもゲルデも目の回るような忙しさだった。
翌週、無事に王城の一室で結婚の衣装に着替えさせられながら、マルティナは呆然としていた。
(やっと今日で終わるのね。こんな忙しさが何週も続くよりも、むしろあっという間に結婚式が終わる方が良かったのかもしれませんわね)
身につけている衣装は、既製品の白いドレスに王室の衣装室所属のお針子達が何日も交代で刺繍をほどこしてくれたものだ。
何週か前に、マルティナが取り寄せて王妃に献上した皇国特産の金の糸を使って、繊細な刺繍が裾や胸元に細かく縫われ、また小さなダイヤもびっしり縫い止められている。
どれもこれも、間に合わせの結婚に心を痛めた王妃の心遣いだった。
(あり合わせの衣装でも良かったのですが……でも、王妃のご厚意に感謝しなければね)
マルティナはそっと胸元の刺繍に指を沿わせた。
「お顔がさすがにお疲れですわね」
ゲルデが心配そうにマルティナの顔をのぞき込んだ。
「ヴェールで隠れるから大丈夫よ」
マルティナが笑うと、ゲルデは何か言いたそうに口を開いてから、ぐっと堪えた。
「お化粧をいたしましょう。髪はそのあとに」
「任せるわ」
ゲルデは化粧を施しながら、時折、労るようにマルティナの首や肩を撫でてくれた。
髪をすっかり結い上げ、薄いヴェールをかぶせたあとに、静かに「できました」と告げてくれる。
それから、覚悟を決めたように言った。
「お嬢様、本当に、よろしいのですか」
マルティナは少し瞳を見開いた。
そういえば、前世で皇子と結婚する日にも、こうやってゲルデは聞いてくれた。
まるで、本当は嫌であれば、ここから連れ出してあげる、とでも言うように。
(あの時には、何故そう聞かれたのか、全然分かっていなかったっけ……)
「本当に大丈夫よ」
そう言いながら、マルティナはゲルデを抱き寄せた。ゲルデの背を愛しげに撫でる。
「お嬢様が良いのであれば、私は良いのですけれど」
ゲルデはいつもの台詞を口にした。マルティナはふっと笑う。本当に、ゲルデは変わらない。
「ありがとう、ゲルデ。あなたがいてくれて本当に良かった」
心からそう思った。
ケーリッヒ子爵にエスコートされたマルティナは、祭壇の前にいるヴィルヘルムの横に進んだ。ケーリッヒ子爵から渡され、ヴィルヘルムの手を取って横に立ち並ぶ。
正装のヴィルヘルムの脚とマントが、ヴェールの下から見えた。皇国での夜会の時以来に見る正装に、マルティナは少し懐かしい気持ちで微笑む。
隣に立ったヴィルヘルムの顔はヴェールで見上げることができないが、ヴィルヘルムは小声で「とてもお美しいです」と声をかけてくれた。
そのまま神父の言葉を聞く。
介添人も、仲人も、両親もいない結婚式。
王城の中の祈祷室は、祈祷室という名の割りには立派な作りだったが、王と王妃、王国騎士団の騎士が数名、それからゲルデに、ケーリッヒ子爵と、限られた人数しかいなかった。
型式通りの誓いの言葉を述べたあと、マルティナのヴェールをあげたヴィルヘルムを見上げると、ヴィルヘルムは夜会の時と同様の小ぎれいなマスクをしていて、マルティナはうっかり笑ってしまった。
(こんな日でも素顔は見せませんのね)
思いもかけない笑顔に、驚いたような顔をしたヴィルヘルムだったが、一瞬のためらいののち、マルティナの唇に優しい口づけを落とした。
パチパチと、場違いな拍手が響いた。振り返ると、王がにこやかに拍手をしている。
一歩遅れて、祈祷室にいた面々はぱらぱらとまばらな拍手を送ってくれた。
おめでとうございます、という声も聞こえる。
マルティナはにこやかな笑顔を返しながら、王に向かって礼をした。
「おめでたいな! これでマルティナ嬢も我が国の縁者と言えるだろう。さて、結婚も整ったことだし、ちょっとこのまま新婦を借りてゆきたいんだが、良いかな?」
次に発せられた朗らかな王の言葉を聞いて、二人のみならず、周囲の頭の上に疑問符が浮かんだ。
結婚したばかりの新婦を王がそのまま借りて行くなど聞いたことがない。
誰からも返事がないばかりか、何を言いだすんですか、といわんばかりの王妃の冷たい視線に、王は慌てたように言った。
「別にうろんなことを考えているのではない。あ、なんならここでも良いんだが。そうだな、ここでもいいかな?」
神父とヴィルヘルムを交互に見ながら問いかける王に、二人は何のことか分からないので答えられずにいる。
「お待ちください、なんのお話ですか?」
王妃が、落ち着いてください、とでも言うように王の腕に手をかけた。
「何って、騎士の叙任だよ」
王は当然だろう、というように言った。
「「騎士の叙任」」
マルティナとヴィルヘルムの声が重なる。二人は驚いて視線を合わせたあと、恥ずかしそうに視線を外した。
「なんだ、結婚した途端、息がぴったりだな!」
王の嬉しそうな言葉に、ヴィルヘルムは耳を赤くする。
「叙任とは初耳ですが、いったい何事でしょうか」
誤魔化すように王に問いかけた。良く聞いてくれた、というように王は笑顔になる。
「いやなに、マルティナ嬢に、我が国の騎士に正式になってもらおうと思ってな。早い方が良いだろう?
冬期の魔物討伐計画に参加すると聞いていたが、客人だと何かと不都合だろうし、今ちょうどほら、叙任にも良い衣装を着ておるではないか」
ああー、なるほど、と納得しかけたが、婚姻のためのドレスがたしかにこの上ない盛装だとはいっても、叙任に相応しい衣装なのかは疑問だし、そもそも結婚直後に叙任することが普通なのかどうかはマルティナにも分からなかった。
「今でなければなりませんか?」
王妃が呆れたように言うと、王は「今でなければならんのだ」ときっぱりと言い、マルティナを見た。
「なんせ、シャイネン皇国から、マルティナ嬢を今すぐに返せという書簡が来ておるからな。一刻を争う」
にこやかな笑顔で言うと、その場にいる全員を凍りつかせた。




