3-9. 騎士として
「わたくしです」
「……マルティナ嬢」
マルティナが立ち上がると、ヴィルヘルムが驚いたように固まった。
(ユーグ卿に連れてこられたから……いえそれではユーグ卿のせいにしているようですわね、偶然ここにきました、も無理がありますし……)
とマルティナがしばらく考えながら何も言わずに立っていると、ヴィルヘルムはため息をついた。
「ユーグに連れてこられたのでしょう」
マルティナはぱちくりと目を開いた。
「どうしてご存知なのですか」
「それは、訓練のあとにユーグがあなたに声をかけてどこかに連れて行こうとしていたのを見ていたからです」
「……なるほど」
マルティナがただ納得したように言うと、ヴィルヘルムは「はっ」としたように口に手を当てた。
「あの、あなたの動向をずっと監視したりしているわけではないのですが」
言い訳のように、焦った口調で言うヴィルヘルムの顔色は、黒い布のマスクで分からなかったが、頬はほんのり赤らんでいるようだった。
マルティナは、くす、と笑いかけて、ふっと表情を真顔に戻した。そして、真面目な口調でヴィルヘルムに告げる。
「……すみません、言い訳にもなりませんが、ベレニス卿とのやりとり、聞いてしまいました。盗み聞きのようなことをして申し訳ありません」
マルティナが頭を下げると、ヴィルヘルムは、あ、いや、としばらく言いよどんだあと、ため息をついた。
「……気づいておられたのでしょう。ベレニスの気持ちに。だから歓迎会の帰りに、あのような忠告をくださった」
「そうですね、分かりやすかったので」
マルティナが否定せずに頷くと、ヴィルヘルムは長いため息をつく。
窓枠に肘を置いてうつむいた。
「長く一緒にいたので、妹のような気持ちでいて。気づかなかったとはいえ、ひどく傷つけてしまいました。情けないことです」
「近くにいると、分からなくなることはありますわ」
マルティナの言葉に、ヴィルヘルムは薄く笑った。
「そうですね。……ところでユーグはどこに?」
ヴィルヘルムはマルティナの言葉に頷きながら、今思い出したように周りを見回した。
「ベレニス卿をフォローすると言ってどちらかに走って行かれましたわ」
「足音は、その音だったのですね。令嬢は、そのまま隠れていたら気づかれずに済んだかもしれないのに」
くっく、と笑うヴィルヘルムに、マルティナは居心地が悪そうに言った。
「隠れていたことをあとから知られる方が、よほど印象が悪いでしょうし。わたくし、自分の行動に後悔を残したくありませんの。
あの時ああしていれば良かったって思うのは、大嫌いなので」
そういって顔を上げてまっすぐな目を向けるマルティナを、ヴィルヘルムはじっと見ている。
仮面の奥の瞳に、また銀の光がゆらめいたような気がした。
「ヴィルヘルム卿?」
マルティナが眩しそうに目を細めると、ヴィルヘルムはふっと笑った。
「あなたはいつでも、自分で何もかも解決しようとする。だから目が離せないのかもしれません」
「何のことでしょうか?」
「ベレニスに答えられなかった答えですかね。さて、帰りましょうか」
ヴィルヘルムが窓枠に足をかけた。
「そこから出られますの?!」
マルティナは驚いて言った。
「ええ、早いでしょう」
事もなげに言うヴィルヘルムに、マルティナは焦ったように付け加えた。
「団長のお仕事はもう良いのですか?」
「いくつかありますが、急ぎではありませんので。今日は夕食でもご一緒にいかがですか」
「それはもちろん、かまいませんけれど……」
戸惑うマルティナの隣に、ヴィルヘルムは音もなく降り立った。
「では令嬢、まいりましょう」
輝くような笑顔がマスクに隠れていても分かった。エスコートするための流れるような仕草に、マルティナはどきどきし、どきどきする自分にさらに動揺した。
ヴィルヘルムと共に馬車に乗ろうとすると、側に寄ってきた侍女に声をかけられた。
「マルティナ嬢、これからお時間よろしいでしょうか。国王陛下がお呼びでございます。
ヴィルヘルム卿、もしお時間がおありでしたら、同席も可能です。帰りは王室からの馬車を出すので先に帰られてもよろしいとのことでした」
マルティナとヴィルヘルムは顔を見合わせた。マルティナは困ったような声で返事をする。
「御前に出られるような服装ではないのですが……」
今日は平騎士の鍛錬用の服装で、ドレスなどは持参していない。ゲルデもいないので、正式に謁見ができるような状況ではなかった。
「はい、非公式に中庭でお待ちでございます」
マルティナがヴィルヘルムを見上げると、ヴィルヘルムが頷いた。
「私も行きましょう」
二人が中庭に向かうと、国王がひらひらと手を振っていた。
「ヴィルもきたのか。ちょうど良かった」
ティーセットが用意され、王妃もそばに座っていた。
「まあ座ってくれ。お茶でも飲みながら話そう」
「御前、失礼いたします」
マルティナとヴィルヘルムは勧められるがまま、着席した。
もう夕方の光が木々の間に隠れようとしている。この時期の日暮れは早い。
早くも明かりがテーブルの上に用意されているとは言え、ティータイムには遅い時間だった。
「今日は訓練は早く終わったと報告を受けていたのだが、仕事が立て込んでいたのかな? 何やら団長室付近が騒がしかったという話も聞いたが」
どうやら一連の騒動は全部報告済みらしい。
マルティナはちらとヴィルヘルムを見たが、そのまま黙っていた。
王の屈託のない笑みを見るのは久しぶりだった。
鍛錬に顔を出すからな! と元気よく宣言していた割に、参加していたのは数回だけで、ここ数週間はまったく姿を見ていない。
「そうですね、おそらくもうお耳に入っているかと思いますが」
「いやあ、お前、ほんっと鈍いからなあ。まあでも、良かったんじゃないのか、すっきりして。どうせ気づかないまま、最悪の状態まで拗らせてたんだろう」
王にずけずけと言われてヴィルヘルムは口を開いたが、しかし言い返すこともできなかったのか、そのまま口を閉じた。
王妃がマルティナに向かって微笑み、菓子を勧める。
マルティナも微笑みかえすと、その菓子を受け取った。
「さて、二人を呼んだのは他でもない。ちょっと話しておきたいことがあってな」
そう言うと王はにこりと口を笑みの形にした。しかし、目は全く笑っていない。
「シャイネンの皇帝が死んだ」
王の言葉に、マルティナは手に持っていた焼き菓子を取り落とした。
ヴィルヘルムは黙って口を引き結んでいる。
「いつですか」
静かに口を開いたヴィルヘルムに、王は答えた。
「一週間ほど前だそうだ。情報は伏せられていたが、先日国葬の連絡が届いた」
「行かれるのですか?」
「それがちょうど冬期の討伐計画と重なっていてなあ。昨日、私が行くのは難しそうだと返事をしたところだ。まあ、前皇帝だとその辺は分かってくれていたとは思うのだが」
「あの皇子がそれを分かってくれるかどうか、ですか」
王はヴィルヘルムに、「そのとおり」とでも言うように指を差した。
「出席しないことを戦争の口実にされる可能性もある。
しかし、我が国にとって魔物の討伐は死活問題だからな。先延ばしにはできぬ。
特に今年は、普段では考えられない場所に魔物が沸いているのだ。調査も直轄部隊に行かせてみたが、あまり軽く見られる状況ではないようだ」
王はそう言うと、頬を撫でた。
「それに、どうも引っかかる。確かに冬は魔物が活発になりやすい時期なのだが、しかし皇帝の崩御がこうもぴったり重なるか?」
そして、目を細めて付け加えた。
「メリダの泉付近で皇国の騎士を見かけたという報告も入っていてな」
ヴィルヘルムがじっと考え込むような仕草をする。
「暗殺の可能性や、何らかのはかりごとである可能性もあると?」
「あまり推測で言えることではないので、ここだけの話にしておいて欲しいところだがな。
だが、皇帝の死因は、表向きは病死だが、我々が行ったときの様子を考えると病に伏すような状態には見えなかった」
王は真剣な目のまま、マルティナに目を向ける。
「だからマルティナ、取り急ぎヴィルと結婚しておいて欲しい。来週にでもどうだ」
マルティナは口を開いたまま、咄嗟に返事ができなかった。




