3-6. 騎士として
マルティナは珍しく、ドレスを着て王城への馬車に乗っていた。
今日は鍛錬の日ではないが、ブリュエット王妃から茶会に誘われたのだ。
ドレスはいろいろと迷ったが、あまり明るくない赤色のものにした。アイボリーのレースの上に赤が重なった、シックな色合いのドレスだ。
少し地味かとも思ったが、秋らしさが増してきたこの頃の気候にはあっているだろう。
ヴィルヘルムは騎士団の鍛錬のため、朝早くに邸を出ている。子爵家の馬車にヴィルヘルムが一緒に乗っていないのは久しぶりだった。
「馬車が広く感じますわね」
マルティナの気持ちを見透かしたようにゲルデが声をかけてくる。
「そうね」
マルティナは先日の膝がつきそうなほど狭い辻馬車を思い出しながら、窓の外を見た。王城への道すがらに見える街路樹は、ちらほらと色づき始めている。
マルティナの歓迎会からさらに二週間が経っていた。風は更に冷たさを増している。
歓迎会以来、まるでみなが何事もなかったかのように過ごしていた。ヴィルヘルムも、ベレニスも、そして騎士達も、みなあのちょっとした事件のことには触れない。
だけれども、薄紙を一枚挟んだかのように、みなの間に壁があった。マルティナはそれが気になっていた。
(いつか、爆発しないといいのですけれど)
そして、あの日の夜にマルティナの瞳を見据えたヴィルヘルムの瞳の熱さにも、同じ思いを感じていた。
マルティナはその熱への答えを、まだ持っていなかった。
「ようこそいらっしゃいましたわ、マルティナ嬢」
ブリュエット王妃はあたたかくマルティナを迎えた。
ほのかに秋色に染まり始めた庭園に、ティーセットがしつらえられている。マルティナはにこりと微笑むと、美しいカーテシーをした。
「本日はお招きいただきまして誠にありがとうございます。素敵な庭園でございますね。招待状をいただいてから、とても楽しみにしておりました」
ふふ、と微笑んだ王妃は、さ、おかけになって、とマルティナを促す。
「今日は他の方はお呼びしませんでしたが、わたくしとふたりでよろしかったかしら? そのうちわたくしの仲の良い方々もご紹介したいわ」
「はい、喜んで」
マルティナも微笑みかえす。
ブリュエット王妃の仲の良い方々とは、すなわち王家を支える高位貴族の奥方達という事だろう。味方にしておいて損はない。
「ゲルデ。持ってきたものを」
マルティナは後ろに控えていたゲルデに合図をした。
「はい、お嬢様」
ゲルデが開いた箱の中には、皇国でしか採れない、珍しい糸を使った織物を加工したコサージュが入っていた。
太陽の光を美しく反射する金色の光沢をもった軽い生地だ。大小とりどりの花の形に縫い合わされ、一つの大きな花のようにしつらえられている。また、花からリボンのように垂らされた布地は、ひらひらと風に揺れている。
「これはコサージュですが、お気に召しましたらドレスを作れるだけの生地を献上させていただきますわ」
「まあ、素敵な色合い。それになんと軽く薄い生地なのでしょう。本当の花びらのようですわ」
王妃の瞳が輝いた。
「国王陛下の髪や瞳のお色にも近しいので、王妃陛下もお使いやすいかと」
「ええ、そうね、とても素敵だわ」
王妃がにこにこと笑顔になるのを、マルティナは安堵して眺める。
「気に入っていただけて良かったですわ」
目の前のお茶が淹れられていくのを見ながらそう言うと、王妃は苦笑しながらマルティナに言った。
「気を遣わせてしまったかしらね。今日は、別に社交的な意図で呼んだのではないの。あなたを試そうと思っていたわけでもないのよ。
ただ、あなたと二人でゆっくりお話がしたかったの」
「はい。陛下にそのようなおつもりがないことは分かっています。わたくしがこの品を見たときに、陛下に差し上げたいと思っただけですから、気になさらないでください」
マルティナが紅茶のカップを持ち上げながら微笑むと、王妃は少し安心したような顔をした。
薄緑色のくりっとした瞳はぱっちりと開かれていて、利発そうな表情に好感が持てた。ヘーゼルナッツのような薄茶色の髪色が目にやさしい。何かの小動物のようなかわいらしさなのに、意志の強そうなところも好ましかった。
王妃はマルティナのプレゼントを侍女に渡すと、少し遠くに下がらせた。
「もしお嫌だったら断っていただいても良いのだけれど、侍女を少し下がらせていただいても良くて?」
上品にカップを持ち上げながら、そうマルティナに言う。
マルティナは少し眉を上げると、ゲルデに目で合図をした。ゲルデはすっと下がり、王妃の侍女と同じ場所まで離れた。
「ありがとう。わたくしを信頼してくれて」
王妃は嬉しそうに微笑んだ。
「わたくし、回りくどい言い方が苦手なので、単刀直入にお伺いするわね。話というのは、他でもない、ヴィルヘルム卿のことなのだけれど。彼と結婚する気はないかしら?」
マルティナは思わず紅茶のカップを取り落としそうになった。
「本当に単刀直入に仰いますのね」
「あら、腹の探り合いなんて時間の無駄ですわ。遠回しに探りを入れるよりも早いじゃあありませんか」
かろうじて礼を失するような音を立てずに済んだカップを、そっとソーサーの上に置いたマルティナは、うーん、と頬に手を当てて考える。
「どうしてそのようなお話をなさるのかを、お伺いしても?」
マルティナの返答に、王妃はカップを持ち上げたままにっこりと目を細めた。
「あなたに、王国の敵にはなって欲しくないからですわ」
マルティナは目を見開いた。
「それは、どういう」
話が急に不穏な方向に矛先を変えたことに密かに動揺しながら、マルティナはそっと聞き返す。
これは単なる恋だの愛だのの話ではないのかもしれない。
マルティナの心臓がわずかに音を立て始めていた。
王妃は笑った形の瞳をそのままに話す。
「私から詳しくは申し上げられないのですけれど、あなたと王国の絆を盤石にしておきたいのですわ。お相手としてはヴィルヘルム卿がベストですけれど、そうね、ユーグ卿でもかまいませんわ。
もし他に気に入った騎士がいれば、騎士爵を授与してあなたの婿にするのに相応しい立場にするわ。ただし、今後しばらくは皇国に戻らないでいただきたいの。公爵夫妻をしばらく王国に呼んでいただいても良くてよ」
王妃のにこやかな説得に、マルティナは唇をぎゅっと引き結んだ。
「……それはつまり、皇国と戦争をするおつもりですか」
王妃はふっと笑みを浮かべる。
「わたくし、頭の回転が速いひとは大好きよ。その上、剣技も強いなんて、ますます手放したくありませんわ。騎士達の評判も良いですし」
「……お答えください」
静かに返すマルティナに、王妃は真顔になった。
「王国から戦争を仕掛けることはございません。これは国王陛下も望んでおられませんし、我が国に利はひとつもありません。国境に山脈があるので統一するにも難のある地域だと考えていらっしゃるでしょうし、わたくしもそれに同意しますわ。しかし」
そこまで言って、王妃は声の大きさを一段落とす。
「シャイネンの皇帝陛下のご容態が良くないことはご存知でしたか?」
「!?」
さっと変わったマルティナの顔色を見て、王妃はマルティナが知らなかったことを悟ったようだった。
「侯爵閣下もあなたにはまだ知らせていなかったようですわね。つい一週間ほど前に、皇帝陛下が病に倒れたという一報が入りました。まだごく一部の貴族しか知らないはずです。もちろんすぐ回復されるかも知れません。しかし、一週間経っても続報がないのが気になります」
マルティナはこくり、と喉を鳴らした。
もし、皇帝陛下が身罷るようなことがあれば、次の皇帝はあの皇子だ。しかも今、正妃としてもっとも近いのはローザリンデ。
あの二人に国を統べることができるのだろうか……?




