3-5. 騎士として
何がどうしてこうなってしまったのだろうか。
ベレニスの前に座っているヴィルヘルムも、額に指を置いて頭を抱えていた。
不意に、ベレニスが「ガタン」と席を立ち、うつむいたままマルティナの横をすり抜け、戸口から出て行った。
マルティナはその背中に何も声をかけられずに見送る。
「ベレニス卿はどうされましたの……?」
マルティナがおずおずと口を開くと、近くにいたユーグが目をそらした。側にいたマルコも視線をうろつかせている。
ヴィルヘルムを見たが、話したくない、というように口を引き結んでいた。先ほどまで楽しげにマルティナと話していた女性騎士達も気まずそうに口を閉ざしている。
「もう一杯ずつ、飲みましょうか!」
暗い空気を振り払うようにマルコが声を上げると、騎士達がそうだな、そうしよう、と弱々しく賛同し、それぞれ手に杯を持つ。
しばらくは気まずい空気が残っていたが、三十分ほどもすると元の盛り上がりを取り戻し、夜半前にお開きとなった。
歓迎会が解散となったあと、マルティナはヴィルヘルムと一緒に、拾った辻馬車に乗っていた。
常日頃は子爵家の馬車でそれなりの大きさであるため、あまりヴィルヘルムとの近さを意識したことはない。しかし辻馬車は狭く、向きあって座ると膝がつくかと思うほどの近さだ。
マルティナはちらとヴィルヘルムを見上げる。ヴィルヘルムは皮のマスクの下の目を閉じ、腕組みをしていた。
「御機嫌が悪そうですわね」
マルティナが声をかけると、ヴィルヘルムはぱっと目を開いた。
「そんなことはありません」
慌てたように否定する。マルティナはふむ、と口に手をあてて首をかしげ、呆れたように言った。
「気になるのでしょう? ベレニス卿のことが」
マルティナがそう指摘すると、ヴィルヘルムはうっと口をつぐんだ。
マルティナは、アルコールが入って少し気が大きくなっていた。
「いったい何がありましたの? 彼女が泣くなんて、よほどのことですわ」
「分からないのです。……私は彼女には……特に何も言っていないのですが、突然泣いてしまった」
「……何か失態をした方はみなさんそうおっしゃるのですわ。自分は何もしていないのに壊れた、自分は何もしていないのに相手が憤慨してしまった、など」
マルティナの辛辣な物言いに、ヴィルヘルムはぎゅっと目を閉じた。そして吐き出すように言う。
「本当に私は、彼女には何も言っていないんです」
マルティナは首を少し倒し、諦めたようにため息をついた。
「では何が?」
ヴィルヘルムは思い出しながらぽつぽつと語る。
「ベレニスが目の前に座っているときに、ユーグがマルティナ嬢と私のことを、揶揄ってきたのです。婚約間近だという噂を聞いたと……。
私は否定したのですが、他の騎士達も『一緒に暮らしておいてそれはない』だの『未婚の令嬢に傷を付けておいて責任を取らないのか』などと言いだして、それでユーグが……」
ヴィルヘルムはそこまで言って、口に手を当て、言いよどむ。
「ユーグ卿が?」
マルティナが続きを促すと、言いにくそうにヴィルヘルムは続きを話した。
「……ユーグが、『別に婚約者でないのならば、ティナ嬢を我が伯爵邸に喜んで招待しよう』と……。『私も次男だし、彼女の婿になる資格はあるからな』と言ったのです。
いえ、酔っ払っての事だと思います、深く考えていったことではない冗談だと思ってください」
「そうですか。確かにそれも悪くはありませんわね」
マルティナがそう言うと、ヴィルヘルムはぱっと顔を上げた。
マスクの奥の、銀色に燃える瞳に見据えられ、マルティナはたじろいだ。
「マルティナ嬢はユーグ卿と結婚することになっても良いのですか?」
ヴィルヘルムの固い声色に、マルティナは訝しむように眉を寄せる。
「貴族ですもの、いつかは結婚しなければいけませんわ。皇子殿下との婚約はわたくしがつぶしましたし、わたくしには現在婚約者がおりません。ユーグ卿の仰るとおり、彼は伯爵家の次男で家格に不足はありませんし、剣を尊ぶ我が家を束ねるに充分な剣技を身につけておいでです。年齢も特に離れているわけではありませんし……そうですね、思い当たる障害は特にありません。
まあ、本当に結婚するとなるとまずはお父様に確認せねばなりませんけれど、そうなったとして、特に問題はないはずですわ」
「そう……ですよね。それは、そうだ。私は、余計な事を」
マルティナの言葉を聞いたヴィルヘルムは、急激にしおれていった。
「余計な事?」
マルティナは目をすがめて聞き返す。
「ええ、ユーグの言葉についカッとなってしまい、『軽率なことを言うな』、『ケーリッヒ子爵家が預かった方なのだから、責任を持って最後まで子爵家が面倒を見る』と言ってしまったのです」
「あらまあ」
マルティナは口を開けてそれだけしか言えず、黙ってしまう。
「……そうしたら、ベレニスが何故か急に泣いてしまって」
「でしょうね」
思わず、マルティナは勢い良くベレニスに同情した。
「えっ何故ですか?!」
本気で分からないといった様子のヴィルヘルムに、マルティナは呆気にとられる。
「だって、それは……」
口を開いたまま、マルティナは次の言葉が継げず、そのまま息を吐いた。
馬車はがたがたと子爵邸に向かって進んでいる。
マスクの中で銀に煙る、ヴィルヘルムの困惑したような瞳を見返して、マルティナは口を再度開いた。
「ヴィルヘルム卿がおっしゃった『責任を持って最後まで子爵家が面倒を見る』というのは、『わたくしとの婚約を見据えている』と言っているのと変わりませんわ」
「ああ、なるほど。……それで、どうしてベレニスが泣くのでしょう」
マルティナはすっかり酔いの醒めた頭をかしげる。
困ったひとだ。
本当にベレニスの気持ちが分かっていないとすれば、自分が彼女の気持ちをここで言ってしまうのは、のちのちベレニスとの関係にとって良くないだろう。
「……想像になってしまいますので、わたくしが申し上げることはできません。ベレニス卿に直接確認された方がよろしいのではないですか?」
ヴィルヘルムはぐっと息を詰めた。マルティナはしばらくヴィルヘルムを見ていたが、ふう、と息を吐くと窓の外を見た。そろそろ子爵邸だろうか。
「ああ、それから一つお伺いしたいのですけれど」
ヴィルヘルムの方に目を向け直す。マルティナはもののついでだと思い、確認することにした。ヴィルヘルムもマルティナの方を向く。
「ヴィルヘルム卿は、結婚はしない主義だと他の騎士の方からお聞きしたのですが、それは何故ですか?」
「ああ……それは、私の出自が少々複雑だからです。子爵家の養子として家に入っておりますので、妻となる方がかなり苦労されると思っておりました。
次男で爵位を継ぐわけでもありませんので、受け継ぐ財産もありません。ですので、騎士団長となる前はそう考えて、そう話してもおりました。女性にも興味がありませんでしたし。
ですが、団長ともなれば、騎士爵も期待できますので、今は」
ヴィルヘルムは下を向く。
「今は違うと?」
「……そうですね、私の出自を知っても尻込みせずにいてくれるような強い女性であれば結婚しても良いのでは、と、今は思っています」
そう言うと、ヴィルヘルムはマルティナの目を見た。
ゆらめく銀の瞳に射すくめられ、マルティナは身動きが取れなくなる。
「……どういう」
そう言いかけたところで、がたん、と馬車が止まった。
御者が御者台から下りていく音がする。外から扉が開かれると、ヴィルヘルムが先に下りる。
「お気を付けて、マルティナ嬢」
そう言って口元で笑う。優雅に手を差し伸べるヴィルヘルムの手に、マルティナは動揺した。
思わず騎士見習いの立場だということを忘れて、その手に手を重ね、馬車を降りた。




