3-3. 騎士として
「見事な試合であったな」
突然、練武場に声が響いた。
振り返ると、ケーリッヒ子爵が立っているのが見える。
今日は王との謁見があるとかで、マルティナ達よりもかなり早く屋敷を出たと聞いていたが、王との謁見が終わったのだろう。
練武場の入り口に立って黙って試合を見ていたらしい子爵に、マルティナも含め、全員が敬礼する。
ケーリッヒ子爵はマルティナの父よりもひとまわりほど年齢が上ではあったが、かくしゃくとしており足腰も達者だ。
しかとした足取りでマルティナに大股で近寄ってきた。
マルティナの前に立つとケーリッヒ子爵はうすく微笑んだ。
「さすがはアードリアンの娘だな。やつと毎日鍛錬していたのであろう」
「はい、毎朝父と、あとは侯爵家の騎士達と鍛錬を重ねておりました」
額の汗を流れるままに、上気した顔で姿勢良く答えるマルティナに、ケーリッヒ子爵はハンカチを取り出して渡した。マルティナは受け取って額の汗をおさえた。
「ありがとうございます」
ケーリッヒ子爵は汗を拭くマルティナに目を細めた。そうして、じろりと周囲に立つ騎士達を眺めた。
「さあ、毎日王国騎士団として鍛錬を重ねているはずなのに、箱入りであったはずの侯爵令嬢に負けたもの達は、いったいいかがしたかな」
騎士達はびくり、と肩をすくませる。
「これはいっそう鍛錬に力を入れねばなるまいな。さて、手始めとして練武場十周から始めようか」
えええ、と一瞬声が上がるが、ケーリッヒ子爵の苛烈な緑の瞳にぎろりと睨まれ、声は一瞬で封殺された。
マルティナは一瞬くすりと笑ったが、使っていた木剣を拾うと片付け、渋々走り始めた集団に自分もついて行った。
マルティナが訓練に参加するようになって三週間が過ぎた。
毎日ではなく、基本的にはケーリッヒ子爵が登城する日に合わせて行っているため週に三回ほど。
それでも、十回ばかり鍛錬に参加するうち、徐々に騎士達とは打ち解け、鍛錬中に良く話すようにもなっていた。
まだ夏の暑さは続いているが、フレリア王国は山からの風が海に向かって吹き下ろす地理のためか、シャイネン皇国よりも空気が乾燥していて過ごしやすい。特に朝晩は涼しすぎると感じることもあり、徐々に秋の気配が入り込んできていた。
「フレリア王国は秋が早いのね……」
昼食後、手洗いに行ったあとに空を見上げてマルティナは呟いた。
回廊の両脇に植えられた百日紅は、鍛錬に参加し始めた頃には満開だったが、今はもうあまり花を付けていない。
昼の陽射しはまだ強いが、汗をかき始めたら止まらない、という、じめじめとした暑さはここ数日なかった。
(シャイネン皇国とは植えられている木も少し違いますわね)
まだ午後の鍛錬が始まる時刻にはしばらくあり、マルティナが一人でぼんやりと庭木を眺めていると、突然、女性の険しい声が聞こえてきた。
「ですから、マルティナ嬢が鍛錬に参加することで風紀が乱れていると言っているのです」
直接的に名指しされている。
カツカツと、練武場から足音が近づいてくるのも合わせて聞こえてきた。
マルティナは思わず、柱に隠れてしゃがみこみ、そのまま中庭までにじり出て庭木の陰に身を潜めた。
「先日も言ったが、具体的にどのように風紀が乱れているのだ」
答える声はヴィルヘルムだった。
ため息まじりのその声は、何度も同じやりとりをしたのであろうことが伺えた。
「彼女がいない場所でも、いる場所でも、男性の騎士達は浮き足立っています。身なりにばかり気を遣うものもおりますし、ユーグ副団長など、鍛錬中に食事に誘うなど、もう公私の区別がついておりません。それに……」
コツ、と足音が柱のちょうど陰で止まった。
「それに、なんだ」
「……団長のいるケーリッヒ子爵家に滞在していることで、団長の婚約者ではないかという噂も広まっているのです。
団長は困らないのですか?
以前から、一生結婚はしないとおっしゃっていたではありませんか」
庭木の隙間からそっと覗くと、聞き覚えがある声だと思ったとおり、訴えているのはベレニスだった。
顔を歪ませて、ヴィルヘルムを問い詰めている。
「おかしなことを言う。本当に婚約者だという噂が広まっているのであれば、ユーグが食事に誘うわけがないだろう」
ヴィルヘルムは冷静にベレニスの話の矛盾点をついた。
「では本当に婚約者ではないのですか」
「婚約者ではない」
「ではなぜ、ケーリッヒ子爵家にいつまでもご滞在なのです。王国の客人であれば王城にいらっしゃればいいではないですか」
ベレニスは食い下がった。
もはや、風紀が乱れることが問題なのか、ケーリッヒ子爵家にいるのが問題なのか、聞いているマルティナにも分かるほど話は矛盾している。
「それはアードリアン・エーレンベルク侯爵閣下と、ケーリッヒ子爵が旧知の仲であるからだ。何度も話しただろう」
「ですが」
「くどいぞ、ベレニス。何故そんなにこだわるのだ。
それに女性騎士達と一緒の訓練時に男性騎士達が浮き足立つのは今に始まったことではない。お前が参加するだけでも目の色が変わる騎士達はたくさんいるぞ。お前の自覚がないだけだ。
それに、自分だってユーグと一緒に食事に行くことくらいあるだろう」
「そっ、それとこれとは。貴族令嬢と私とは立場が異なります」
言いよどむベレニスに、話は終わりだとばかりにヴィルヘルムは再度歩き出した。
あとに残ったベレニスは、しばらく唇を噛んで下を向いていたが、やがて踵を返すと練武場へと戻っていった。
(見てはいけないものを見てしまいましたかしらね)
ベレニスの姿が見えなくなってから立ち上がると、マルティナが隠れていた植え込みの脇から急に声がした。
「いやあー、青春〜って感じだねえ」
ぎょっとして振り返ると、ユーグが立っていた。
「ユーグ副団長、いついらしたんですか」
マルティナが目をすがめると、ユーグは片眉をあげてにやっと笑う。今日も無精髭が生えている顎をさすった。
「君がここに隠れるのをあっちの方から見かけて、何か面白そうな事が始まるのかなと思って、そっと近づいてきて見てた。予想通り面白いものが見られて嬉しいよ」
そういって庭の奥の方を指す。
何故あんなところに。マルティナはふう、と息をついた。
「嬉しくありませんわ。わたくし、何故ベレニス隊長から目の敵にされているのかと思っていましたら、隊長は団長のことがお好きだったのですわね」
好きな相手の家に未婚の見知らぬ女が滞在しているのだ。それは心穏やかではいられまい。
「それベレニスに言ってやんなよ〜。彼女、自覚なしなんだよな〜」
俺が言うと否定して怒るしさ、とユーグはぼやく。
「団長は気づいていらっしゃらないのですか」
「あいつが気づいてると思う?」
「気づいていらっしゃらないようでしたわね」
マルティナの言葉に、ユーグは「そうなんだよ」と人差し指を立ててマルティナを指すと、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「だから青春〜ってね〜」
頭に両手を回し、ぶらぶらとした足取りで練武場に向かって歩き出すユーグに、マルティナはついていく。
しばらくして、ふと、浮かんだ疑問をユーグにぶつけてみた。
「……団長は、一生結婚なさらないと、ベレニス隊長がおっしゃっていましたが、何故ですの?」
ん? とユーグが片眉をあげる。
「まー、隠してるわけじゃないと思うんだけど、俺が勝手に言ってまわる事じゃないからなあ〜。そのうち本人に聞いてみたら良いんじゃない?
ちなみに俺は結婚も全然オッケーだからね! あっ、そうだ、まだティナ嬢の歓迎会してないよね、よっし俺が企画するからね〜」
「いえ、それは必要な」
「いいっていいって遠慮すんなよ、あ、マルコ〜!! いいところにいた、ティナ嬢の歓迎会しよって話をしてたんだよ、お前、店おさえるの手伝えよ」
マルティナの断りに、かぶせるように言い放つユーグに、マルコが「えっ歓迎会すか、そういえばやってませんでしたね!」と答えるのを聞く。
ユーグは、ごきげんのまま練武場の面々に向かって声をかけていった。
「もう」
マルティナはふぅ、とため息をつくと、後ろを振り返る。
ヴィルヘルムの姿は、まだ見えなかった。




