2-6. 隣国へ
ややあって、皇帝夫妻と皇子が姿を見せた。
すっかり暮れた庭へ優雅に進み出てくる皇帝夫妻に遅れ、皇子とその横にはローザリンデの姿があった。
マルティナは皆と一緒に礼を取りながら、密かにホッとする。
皇帝の挨拶が始まると、宰相の影になる位置に、ヴィルヘルムがすっと体を隠すようにした。
まるで、皇族から見える位置にはいたくないような動きだ。
(……? マスクをしているから目立ちたくないのかしら)
ヴィルヘルムの仕草は自然で、横にいるマルティナ以外は気づいていないようだった。
いや、ダルセー伯爵は気づいているのか、ヴィルヘルムを隠すように背を伸ばし、体の正面が皇帝に向くように立っている。
皇帝は朗々とした声で話し続けている。
「フレリア王国からはるばる来てくれた使節団の方々とは、貴重な情報交換の場が持てた。
また、こたびの会合で新たな貿易品を取引することも決められた。これは我がシャイネン皇国にとっても、隣国フレリア王国にとっても有意義なものとなろう。あらためて礼を言おう。
使節団の長、ダルセー伯爵」
皇帝に紹介され、ダルセー伯爵は胸に手を当てて礼をする。
後ろに控えていた使節団も、みなそろって頭を下げた。
「今宵は使節団を送り出すための夜会である。個人的に世話になったり縁を結んだものもおるだろう。
みな存分に交流し、別れを惜しんでくれ。使節団の帰国の途が穏やかなものとなるように祈る。それでは乾杯」
皇帝が杯を掲げると、音楽が鳴り出した。みな思い思いに飲み物を口にし、話に花を咲かせはじめる。
「マルティナ嬢、何か召し上がりますか」
ヴィルヘルムが杯を傾けながらマルティナに尋ねる。
「いいえ、お父様から、今日は何も口にするなと言われておりますの。控え室にいるゲルデに飲み物を預けておりますし、来る前に軽食を食べてきたので心配いりませんわ」
そう答えるマルティナに、ヴィルヘルムは「それが良いでしょう」と頷いた。
「剣技に堪能だと伺っていますが、本当ですか」
突然、横からダルセー伯爵が話に入ってきた。
金色の前髪の一部が、ひょこんと上がっている。
マルティナは笑顔で頷くと、いたずらっぽい口調で
「たしなむ程度ですけれども」
と付け加えて笑った。
ヴィルヘルムもおかしそうに口元をおさえている。
「ご謙遜を。こいつが誰かの腕前を褒めることなど滅多にないのですよ。団員からは氷の騎士団長とか、鬼の騎士団長と呼ばれているくらいです。
もしこいつに褒められたら、団員は嬉しさと怖さのあまり泣くことでしょう。そんなヤツなのに、令嬢の動きはべた褒めでした。
誇って良いと思いますよ」
ダルセー伯爵は、ははは、と口を大きく開けて笑った。
屈託のない笑顔が貴族らしくないが、好感が持てる笑顔だ。
(何故かしら、人を惹きつける力があるわ)
マルティナは扇で口元を隠しながら目元だけで微笑んだ。
「マルティナ侯爵令嬢様」
その時、背後から聞き慣れたローザリンデの声が聞こえた。
マルティナは笑顔を貼りつかせたまま、ゆっくりと振り返る。
てっきり皇子と一緒かと思ったが、ローザリンデが一人でここまで来たようだった。マルティナは警戒を少しゆるめた。
「ローザリンデ子爵令嬢、ごきげんよう。お久しぶりね」
「お久しぶりでございます。お元気でいらっしゃいましたか」
ローザリンデは皇子に贈られたのであろう、赤色の豪奢なドレスを着ていた。
所々黒のレースが使われているのは、皇子の黒の瞳に合わせたのか、それとも、もともとはマルティナに着せるためのドレスで、黒髪に合わせて作らせていたのだろうか。
ローザリンデのストロベリーブロンドと、可愛らしい雰囲気や見た目には、驚くほど似合っていなかった。
ドレスに合わせたのか、ローザリンデにしてはやや濃く施した化粧も、大人っぽいと言うよりも背伸びをしすぎている印象だ。
しかし、ローザリンデの顔は優越感に満ちあふれていた。マルティナは心から笑顔になり、ローザリンデに祝福を述べる。
「ついに公的な場所に皇子殿下のパートナーとしていらっしゃいましたのね。おめでとうございます。
ドレスは贈られたものでしょうか? とても素敵ですわ」
マルティナにかけられた言葉に、嬉しさを隠しきれない様子でローザリンデは頷くと、目を伏せ、マルティナにすり寄った。
「マルティナ様とお呼びしても? いろいろとご助言くださってありがとうございました。
教育はこれから頑張らなければいけませんけれど、わたくし、今とても幸せですわ」
それは本心のようだった。輝くような笑顔のローザリンデに、マルティナはふふ、と笑いかける。
「それはようございました。わたくしはこれから一年間、フレリアに遊学させていただくつもりですけれど、失恋による傷心で、というのは真っ赤な嘘ですので、どうぞご安心なさって。
わたくしは心ゆくまで、剣技を磨いてくるつもりですわ」
マルティナも囁くように返す。
ローザリンデはほんの少しだけ疑うような、不安を含んだ目を向けたが、マルティナの目をじっと見て、その考えを振り払うように首を振る。
「信じますわ」
そういうと、力強く頷いた。
「ローザリンデ嬢、そこにいたのか」
その時、ハーラルト皇子の声が響いてきた。
二人は揃って皇子の声が聞こえた方を振り返る。皇子は先ほど挨拶で立っていた場所の方から、大股で庭を横切り、二人の方へ向かってきているところだった。
「これは皇子殿下、本日も御機嫌うるわしゅうございます。素晴らしい夜会にお招きいただきましてありがとうございます」
マルティナがスカートをつまんで礼をとると、皇子は軽く頷いた。
「先日の夜会では具合が悪くなったそうだが、もう大丈夫なのかな」
ハーラルトの屈託のない笑顔に、マルティナは扇を口元に当て「おかげさまで」とにこやかに返す。
(ご自分が仕込んだ薬のせいだというのに、しらじらしいにもほどがありますわね)
腹の中は煮えるようだったが、皇子が謀った証拠も、掴めてはない。
侯爵が毒の混入ではないかと皇帝に訴え出たが、マルティナが近衛を昏倒させたことがあだとなり、外部犯の仕業ではないかとの意見が強く、外部からの侵入を捜査する方向に変わってしまった。
(まあ、わたくしがが打ちのめした近衛のことを謝らない代わりだと思って、皇子の言葉は聞き流すことにいたしましょう)
マルティナはそう思いながら、皇子に対して笑顔を浮かべる。
マルティナの顔色が思ったほど変化しないことに鼻白んだ様子の皇子は、今度はマルティナの隣に固まって立っている使節団をじろじろと不躾な様子で眺め始めた。
「マルティナ嬢、使節団とともにフレリアに行くというのは本当なのか?」
「ええ、すでに父が許可を取ったと伺っておりますが」
「いったい、何故……?」
探るような、それでいて誘うような目をマルティナに向ける。
ほのかに口元に微笑が浮かんでいた。
まるで、マルティナが悲しむことなどないのだ、私の元にはいつでも来て欲しい、とでも言いたげな表情に、マルティナは思わず皇子を睨んでしまいそうになり、目を伏せた。
隣にローザリンデがいるにも関わらず、自分に手折れぬ花はないとばかりの言動をする皇子に虫唾が走る。
いっそ、お前の妃になるよりも、剣技の鍛錬をする方がずっとマシなのだ、と言ってしまいたい。
「……フレリアでいろいろ学ぼうと思っておりますの」
気持ちを落ち着かせてマルティナが顔を上げると、皇子は哀れむような表情を浮かべていた。
「いったい何をそんなに儚んでいるのかな」
マルティナの額に青筋が浮いた。
いいえ、何も。
何も儚んでおりませんし、むしろフレリアに行くことが楽しみで仕方がありません。
という言葉をぐっと飲み込む。
隣では、ローザリンデが燃えるような目をして二人を見つめていた。
(これは、わたくしには非がないと思いますわ……)
本当にこの皇子は人の話を聞かない。マルティナはため息をついた。
せっかくローザリンデからの悪意を逸らせたと思っていたのに、なぜ煽るようなことをするのだ。




