2-5. 隣国へ
ヴィルヘルムと一緒に会場入りしたマルティナは、のっけからエレナに問い詰められる事態になった。
エレナは会場に入ってすぐの場所でマルティナに声をかけ、優雅にヴィルヘルムに挨拶をしたあと、好奇心でいっぱいの顔を扇で隠しながら「こちらの方はどなたですの」とマルティナにささやく。
「フレリア王国のケーリッヒ子爵令息様ですわ。
フレリア王国の使節団の護衛としていらしている方なの。
私が王国に滞在する間、お世話になるお家なのよ」
マルティナが言うと、エレナは「まあぁ」と頬を赤らめる。
「未婚の方ですわよね?
それは、将来的にマルティナ様とご婚約なさるという……そういう間柄ですのね?」
すっかり一人で盛り上がっているエレナに苦笑いしながら、マルティナは首を振って否定する。
「そういう関係じゃありませんわ。今日は、先日わたくしが倒れてしまったので、お父様が用心のためにエスコートを頼んでくださっただけ」
「でも……」
エレナは食い下がる。
それはそうだろう。
未婚で妙齢の令息がいる子爵家に、同じく未婚の侯爵令嬢が一年も滞在するというのだ。普通の関係ではあり得ないことだ。
「ご令息って、ご長男なの?」
「ご次男よ」
「ちょうど良いじゃない」
「だから、そういう関係じゃありませんのよ」
マルティナとエレナがこそこそと話している間、ヴィルヘルムは別の男性たちと会話をしている。
マルティナをエスコートしてきたことで、侯爵家の婿の座をひっそりと狙っていた令息達に、一気に囲まれてしまったようだった。
マルティナと似たような事を質問されているようだが、うまく明言を避けてのらりくらりとはぐらかしていた。
(世渡りもお上手ですわね。それにしても、皇子の事など気にせずに申し込んでくださったら、皆様にも可能性があったというのに……。
こうやって別の候補が明確になった途端に、急に沸いて出ますのね)
マルティナは重い扇を口元で開いてふふ、と笑った。
「ま、なんですの、卿を見つめてその笑み、やっぱり憎からず思ってらっしゃるんではなくて?」
エレナが食い下がる。
違いますわ、と重ねて言うマルティナに、揶揄いを含んだ視線を投げる。
しかし、わざと意地悪な視線を投げながらも、エレナの顔は少しホッとしているようにも見えた。
マルティナが、単身で身内もいない王国に一年も滞在することを、彼女なりに心配していたのだろう。
「お父様に聞いてくださる? 私には何とも言えませんわ」
マルティナがいたずらっぽく言うと、エレナは「ま」と笑うと、マルティナの耳に寄ってきて耳打ちをした。
「わたくし、卿がマルティナ様のお婿様になられるのであれば、安心ですわ。
マスクの下はどうなっているか分かりませんけれど、口元は涼やかですし、鼻筋も通ってらっしゃるし、銀の髪は素敵だし、体躯はしっかりしていらっしゃるし、剣の腕も確かなのでしょう?
服の下がどんなにたくましいか、楽しみですわね。
剣で身を立てている侯爵家にもぴったりだと思いますわ。一年でぜひ、良い仲になって帰っていらっしゃって」
そう言ってにっこりと笑顔になるエレナに、マルティナは頬を染めた。
エレナは、既に嫁いだ姉がいるせいか、艶めいた話も好きだった。
「やめて、エレナ」
そういう目で全くみていなかったと言えば嘘になるが、いざ容姿のよさを具体的に並べられると、急に意識してしまう。
確かに、皇子とは比べものにならないほど体格は良いし、騎士団長ともなれば服の下の筋肉も相当だろうと、いらぬ想像をかきたてられた。
(何を考えているのかしら、体格のいい男性など、侯爵家の騎士たちで見慣れているはずなのに)
耳元まで赤くなったマルティナを見て、ヴィルヘルムが不思議そうにマルティナに微笑みかけた。
「何か楽しいお話でも?
飲み物をとりに行ったあとに、使節団の方へ向かおうと思いますが、一緒にいらっしゃいませんか。マルティナ嬢」
マルティナは扇を口元に広げて視線をずらす。
不埒なことを考えていたこともあり、直視するのが恥ずかしい。
「良いですわね、まいりましょう」
ヴィルヘルムを見ないようにしながら赤い顔で頷くマルティナに、ヴィルヘルムは面白そうに口元をゆるめ、エスコートのために腕を差し出した。
ヴィルヘルムとマルティナは、二人でテラスに向かった。
今回の会場は前回とは異なり、開け放たれた扉が外の会場とつながっていて、メインはこの屋外の会場になる。
庭にもテーブルが多数設置されていて、料理もたくさん並べられていた。足下だけではなく、高さのある灯りもそこかしこに配置され、夕闇に包まれ始めた庭全体が幻想的な雰囲気だ。
飲み物は、たくさん並べられているテーブルからあえて二人とも取り、そのままフレリア王国の使節団が歓談しているテーブルまで移動して行った。
侯爵夫妻は先にもう使節団のリーダーである宰相と何やら楽しそうに話している。
マルティナがヴィルヘルムと一緒に側に来たのを見ると、侯爵は「おお、来たかマルティナ」と杯をかかげた。
「ほぼ同じ時刻についたはずなのに、いったいどこで油を売っていたのだ」
呆れたように言う侯爵に、マルティナは「少しエレナと話しておりました」と言い訳する。
侯爵は「まあよい」とうなずくと、近くにいる男性を紹介した。
「こちらが宰相のダルセー伯爵だ。今回の使節団の長を務められている。ご挨拶なさい」
ダルセー伯爵は、眼鏡をかけ、長い金髪を後ろで縛っていた。
目は太陽を思わせる橙色で、とても活き活きとしている。宰相と言うからにはもう少し年配の人を想像していたのだが、三十歳前後で若そうに見えた。
「前回の夜会ではきちんとしたご挨拶もできず失礼いたしました。マルティナ・エーレンベルクにございます。
今回の帰国の途ではご一緒させていただきたく、どうぞよろしくお願いいたします」
マルティナがスカートをつまみ上げて優雅に礼をすると、紹介されたダルセー伯爵も礼を返した。
「これはご丁寧に。フレリアまでは一週間ほどの旅となりますが、どうぞ我が団と気楽にお過ごしください。
それにしても、お美しいお嬢様と一緒に旅ができるとは、私も嬉しゅうございますね」
そう言って、にぱっと笑う顔は少年のようだ。
「宰相殿は、愛妻がいらっしゃるでしょう」
ヴィルヘルムが肘でダルセー伯爵をつつく。
「それはそうだけど、別に妻がいたってこういうのは社交辞令に入るだろう」
「宰相殿が言うと、社交辞令に聞こえません」
「仮にも宰相に向かって社交ができないとは、お前、思っててもそういう事は言うものじゃないぞ」
「社交ができないとは申し上げておりません」
ヴィルヘルムとダルセー伯爵の気安いやりとりに、侯爵とマルティナは目を丸くして驚いた。
「……仲がよろしいんですのね」
マルティナがそう言うと、ダルセー伯爵はぱっとマルティナを見て、自慢げな顔をした。
ヴィルヘルムの肩を抱きよせて、仲の良さを見せつけるようにする。
ヴィルヘルムもかなり大きいと思っていたが、ダルセー伯爵も同じくらいだ。体格も良い。
フレリア王国の男性はみな大きいのだろうか。そっと使節団の面々を横目で見るが、やはり二人だけ飛び抜けて体格が良さそうだった。
「親同士の付き合いで、ヴィルヘルムが十二歳の頃からの付き合いなんです。もう十年は一緒にいるな。な!」
「……そうですね、残念ながら」
マスクからわずかに見える眉根を寄せて渋い顔をしつつも、ヴィルヘルムの方も嫌な様子ではなかった。ダルセー伯爵も心から信頼しているような様子で、マルティナは微笑ましい気持ちになる。
そして、心の内では密かにホッとした。使節団内の仲が悪ければ、同行中に何か不穏なことが起きたとしても、対応ができるだろう。
(皇子がこのまま引き下がってくれれば良いのですけれど)
マルティナは、そっと室内の方を伺い見た。まだ皇族は現れていないようだった。




