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2-3. 隣国へ

 目を開くと、見慣れた天蓋(てんがい)が見えた。

 侯爵邸の自分の部屋だ。

 大窓のカーテンは締め切られているが、隙間から明るい光が漏れている。夜は明けているようだった。

 まだ(まぶた)が重いが、意識がはっきりしてくるにつれ、マルティナは昨晩の出来事を思い出した。そうだ、薬を盛られて気を失ったのだ。

 まさか死んで、また時間が戻っていたりして?

 そう不安になって手を見るが、少なくとも十五歳の手ではなさそうだ。数日前の鍛錬でできた小さな擦り傷を見つけてホッとする。

 

 頭を横に向けると、薬がまだ残っているのか、鈍い頭痛を感じた。

 一体どれほどの量を盛ればこうなるのだ。下手したら死んでいた。

 汚い言葉で罵りたい気持ちになったが、口の中が渇いていて声が出ない。

 味に違和感を感じて一口でやめておいて本当に良かった。

 そう思いながら身を起こして水を飲もうとすると、部屋の扉が開いた。

 

「お嬢様、お目覚めになられましたか」

 まだ寝ていると思ったのだろう、ノックをせずに扉を開けたゲルデは、すぐさま後ろにいた女中に湯の用意を指示をして駆け寄ってきた。

 身を起こそうとしているマルティナを助け起こす。

 頭痛に顔を(しか)めるマルティナに、すかさず水差しから水を注いで差し出した。

 

「どこか痛みますか? お怪我はなさっていませんか?」

「大丈夫、ちょっと頭痛がするだけよ。昨夜は……どのようにして帰ってきましたの?」

 水を一息に飲み干すと、マルティナはゲルデに聞いた。

 

「中庭で倒れたお嬢様を、ケーリッヒ子爵令息が会場に運んでくださいました。会場は大騒ぎで……私が呼ばれた時には侯爵閣下は大変お怒りになっておりました。

 休憩室で医師の診察を受けたのち、外傷は特になく、眠っているだけだと診断されたため、侯爵閣下がお嬢様を運んで、連れ帰ってくださいました」

 

 この年で父に抱えられるとは。マルティナはクスリと笑う。

 そして、会場まで運んでくれたのがヴィルヘルムだったと知って軽く息をついた。

 あの体躯(たいく)なら、令嬢を一人抱えるなど大した負荷でもなかったかもしれないが、巻き込んで申し訳ないことをしてしまった。

 

「ケーリッヒ子爵令息にはお礼を申し上げねばならないわね」

「侯爵閣下もそうおっしゃっておりました。……それにしてもお嬢様、なぜ中庭などに?」

 マルティナは黙って考えを巡らせた。

 ヴィルヘルムを追っていったことは話しても良いだろうか?

 

「……たくさんの人に囲まれて少し息苦しくなってしまって。少し風に当たりたくてテラスに出たら、中庭が見えたので、つい」

 

 ヴィルヘルムがどう説明しているかわからない以上、一旦は単独の行動としておいた方が良いかもしれない、と思い、マルティナはそう答えた。

 

「つい、ではありません、お嬢様のあとに、近衛騎士が二人倒れているのも発見されて、それはもう蜂の巣をつついたような騒ぎだったのです。

 曲者(くせもの)が入り込んでいたのかもしれませんし、お嬢様に何かあったらと思うと気が気ではありませんでした。

 本当に無事にお目覚めになってよかったです」

 

 その近衛騎士を()ちのめしたのはわたくしですけれど、という言葉をマルティナは飲み込んだ。

 ゲルデに話したら叱られそうだ。

 

「それは物騒(ぶっそう)な話ですわね」

 やや棒読みのマルティナの言葉に、本当ですよ、警備はどうなっているのかしら、とぷりぷり怒りながらゲルデはマルティナの着替えを用意する。

 

「侯爵閣下がお嬢様がお目覚めになられたら連れてくるようにとの仰せですが、先に湯浴みをなさいませ。

 昨晩は私がお化粧をとり、着替えのときにお体を少しお拭きしましたが、髪は香油がついたままですので。

 もしおなかがお空きになっていましたら、もうすぐお昼ですけれども先にお食事をなさいますか?」

 

 確かに髪は昨日のセットを解いただけなのだろう、もつれている上に、香油のせいかごわごわしてひどい形で固まっている。

「大丈夫よ、おなかは空いていないわ。湯浴みをしたらお父様の部屋へ行きましょう」

 マルティナはそう言うと立ち上がった。


 湯浴みを終え、侯爵の執務室に入ったときには、普段通りのマルティナだった。

 シンプルなラベンダー色のドレスを着て、侯爵に向かって挨拶をする。

「お父様、昨晩はご迷惑をおかけいたしました」

「目が覚めたか。気分はどうだ、悪くないか」

「はい、おかげさまで」

 

 侯爵は机の前から立ち上がると、応接用のソファにマルティナをうながした。

 マルティナが座ると、その前に侯爵もかけ、顎に指を置いた。そのまま髭を触りながら思案する顔をしている。

 マルティナと同じ黒髪に紫の目。その視線はひどく鋭い光を放っていた。

 マルティナは若干の居心地の悪さを感じて座り直す。

 こういう顔をしているときの侯爵は下手に話しかけない方が良い。

 侯爵はさらに少し経ってから、ようやく口を開いた。

 

「外傷はないと医師は言っていたが、お前がやすやすとその辺の(やから)に負けるのは考えにくい。

 倒れるようなことといえば、何かを盛られたくらいしか考えつかん。食事をしていたようには見えなかったが、飲み物か」

 簡潔に自分の聞きたいことだけを確認してくる。

 

 一番頭がフル回転しているときの侯爵だ。余計な事は言わないでおこう、とマルティナは息を吸い、一言で答えた。

「……おそらくは」

 ふむ、と侯爵は少し視線を天井に向けてから、マルティナを見て目をすがめる。

 

「皇子の近衛が二人、中庭で倒れていたが、アレはお前がやったのだろう?」

 マルティナはきゅっと口を引き結んだが、ややあって諦めたような表情で頷いた。

 

「はい。わたくしを、客室に連れて行くよう皇子殿下に指示されていたようです。

 素直について行っていたら、今頃、お父様は別の事で頭がいっぱいだったと思いますわ」

「そうか。……薬も皇子殿下の手のものがお前に飲ませたのだろう。フレリアに行く前に何としてもお前を手に入れたかったようだな」

 冷静に話しながらも目は冷ややかな色を宿している。

 

(これは、ものすごく怒っていらっしゃいますわね)

 

 自分の不注意くらいは謝っておいた方が良いかもしれない。

「お父様」

「なんだ」

「勝手に側を離れ、単独行動をいたしまして申し訳ございませんでした」

 マルティナが頭を下げると、侯爵は短く「よい」と答えた。

 

「結果的には無事だったのだ。だが、目的を達成できなかった皇子が、再度何かしら仕掛けてくるだろう事には備えておかなくてはいけないな」

「わたくしはもう明後日の夜会には行かない方がよろしいでしょうか」

 侯爵はマルティナの言葉に少し考え込んだ。

 

「お前の身の安全の方が大事だが、行かなければ体調が悪いのかと勘ぐられ、使節団と一緒の国境越えを皇帝が渋ることも考えられる。

 健在であり、フレリアに行くのは全く問題がないことを示しておいた方が良いだろうな」

 誰に、とは聞くまでもない。皇帝と皇子に対してだろう。

 

「ただし、一人になるな。ゲルデに飲み物を持たせるから、それ以外には飲食しないようにしてくれ。

 私もできるだけ側にいるようにするが、今回はヴィルヘルム卿に挨拶もさせたいから、ベティを連れて行かなくてはいけない。

 二人を私一人で守るのは難しいのは分かるだろう? しかし会場内に侯爵家の騎士は同行させられないのでな、迷惑ついでにヴィルヘルム卿にお前のエスコートも頼んでおいた」

 するすると話す侯爵に、マルティナは従順な様子で頷きかける。

「はい、承知いたしま……、

 ……はい? 今、なんとおっしゃいましたか?」

 

 聞き間違いか、ヴィルヘルム卿にエスコートをさせると聞こえた気がした。

「ベティを連れて行くと」

「そこではありません」

「ヴィルヘルム卿にエスコートを頼んだ」

「そこです」

「何か問題が?」

 侯爵はにやりと口角をあげた。

 マルティナが口を開けて抗議をする前に、侯爵はすばやく言葉を継ぐ。

「子爵家の次男だ。婿にぴったりではないか」

 

 かか、と笑うと侯爵は先に立ち上がった。マルティナは、開けた口をはくはくとさせ、そのまま「お父様……」とだけいうと、諦めたような顔で息を吐いた。

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