1-12. はかりごと
茶会が終わり、見送りの時間になる。マルティナはわざとローザリンデの馬車が最後に来るように手配をしていた。
最後に残ったローザリンデは、自分の家の馬車がなかなか来ないことで何かを察したのか、マルティナの側には寄らず、何かと侍従たちに声をかけていた。
マルティナには最低限の挨拶だけをしてさっさと帰るつもりだろう。
「ローザリンデ子爵令嬢」
マルティナが近づいて声をかけると、ローザリンデはびくっと肩をすくませ、振り返ってマルティナを認めると、背中を伸ばし、つんと顎をあげた。
何を言われても引く気はない、という意思の表れのようだ。
だから、マルティナが次に放った言葉には面食らったようだった。
「……次の夜会でぜひ、侯爵家の休憩室をお使いになっていただきたいのよ」
ローザリンデが疑うような目でマルティナを睨む。
「てっきり、皇子殿下には近づくなとか、わたくしは休憩室を使うな、と言われるのだと思っておりましたが、そうではなく、使って欲しいとおっしゃったのですか?」
「ええ、そう申し上げましたの」
マルティナがにこりと微笑むと、ローザリンデはますます訝しげに眉を寄せた。
「何故ですの」
「あなたお一人ではなくて、皇子殿下と使っていただきたいんですの」
マルティナの言葉に、ローザリンデは理解ができないというように首を振った。
「……何をおっしゃっているのかわかりませんわ」
「あら、今さら知らないふりをされなくても大丈夫よ。
皇子殿下をつれて、侯爵家の休憩室を使っていただきたいの。
そうね、ソファがありますから、そこが見えやすくて良いと思いますわ。そこで皇子殿下とできるだけ仲良く過ごしていただきたいのよ」
ローザリンデは、まじまじとマルティナを上から下まで見つめた。まるで、良く分からない生き物と対峙したかのようだった。
「ローザリンデ様が移動されて、そうね、十五分後くらいにわたくしが休憩室に行けばよろしいかしら?
できるだけ夜会が始まってすぐで、誰も使っていない時間か、花火に皆が夢中になっている時間が良いでしょうね」
マルティナが輝くような笑顔で言うと、ローザリンデは気味が悪そうに答えた。
「何を企んでいらっしゃるの」
「あなた、皇妃になりたいのでしょう?」
マルティナが優しく問うと、ローザリンデは眉を寄せながらもかすかに頷く。
「わたくしが手助けして差し上げる、と言っているのです」
そのとき、侍従が「バールケ子爵家の馬車が整いました」と声をかけてきた。
ローザリンデは、応とも否とも答えずに、馬車に向かいはじめる。マルティナはその横を歩いていく。
「休憩室に行く前に、わたくしに教えてくださいね。見逃してしまうと困りますから」
馬車に乗り込むローザリンデにダメ押しのようにマルティナが言うと、ローザリンデはやや迷いながらも唇を引き結び、頷き返した。
花火のために離宮で催された夜会は、予想通り盛況だった。
家格の別なく招待状が出されたらしく、貴族はほとんど参加している。
色とりどりのドレス姿の令嬢が会場にひしめいており、夜になっても高い気温に後押しされてテラスへの窓は全て開け放たれ、開放的な雰囲気が強くなっていた。
(あっという間に噂という噂が広まりそうですわね)
マルティナも公爵夫妻と一緒に歓談を楽しんでいたが、近くをすれ違うローザリンデがマルティナに目くばせしたのをみとめると、
「お父様、お母様、わたくし、エレナ伯爵令嬢を探してお話してまいりますわ」
といい、エレナ・ヴォイド伯爵令嬢のもとへ向かった。
数人の令嬢と歓談していたエレナはもちろんマルティナを歓迎する。
しばらくしてグラスの割れる音が会場に響いた。
飲み物を持った侍従が近づいたときにマルティナが飲み物を求め、振り向きざまにつまづいて、エレナのドレスに赤ワインをこぼしてしまったのだ。
「まあ大変、どうしましょう、エレナ、ごめんなさい。そうだわ、わたくし、休憩室にいくつか控えのドレスを置いておりますの。着替えましょう、エレナ」
そうして数人の令嬢とともに向かった先の休憩室で、ローザリンデと皇子の逢瀬が広く目撃されることになったのだ。
「お嬢様、屋敷に到着いたしました」
そっとゲルデに揺り起こされる。マルティナは目を開けた。いつのまにかうとうとして夢を見ていたようだ。
「眠るつもりはなかったのに。疲れていたみたいだわ」
「ここのところずっと気を張り詰めていらっしゃいましたから」
ゲルデは目を開けたマルティナに、ホッとしたように笑った。
マルティナも安心したように微笑む。
「これで、お父様からパートナーについてもお断りを入れてもらえるわね」
「ようございました」
ゲルデとともに馬車を降りると、マルティナは侯爵邸を見上げた。
皇国建国時から続く侯爵家の邸宅はとても大きく古い。マルティナの慣れ親しんだ大好きな家だ。
しばらく家を離れることは気が進まなかったが、きっと隣国に行っている間にローザリンデは皇子の子を身ごもるだろう。そうすれば家格の差など関係なく、正妃か側妃に召し上げられるはずだ。
「湯浴みをしたいわ。今日は安心してゆっくり眠りたいの」
「はい、薔薇を使ったお湯にいたしましょう」
ゲルデの言葉にマルティナは「嬉しいわ」と笑み、侯爵邸の玄関をくぐった。
それからしばらくマルティナは朝の訓練を休み、どこにも出かけなかった。
ショックを受けているという情報を広めたいからだったが、当の本人はけろっとしており、部屋に運ばせた朝食もぺろりと完食していたし、部屋では木剣を振り回していた。
「明日には使節団が到着すると侯爵閣下から申し伝えるよう承りました」
ゲルデが報告すると、マルティナは素振りを止めずにそのまま答える。
「もうそんな時期なのね。夜会はいつかしら」
「使節団が滞在する一週間のうち、三日目と五日目に催されるとのことです」
「そう」
剣を下ろして汗を拭く。
「ああやっぱり部屋の中だけだと体がなまるわね。練武場に出て誰かと手合わせしようかしら」
そう呟いたとき、執事が部屋に来て「エレナ・ヴォイド伯爵令嬢がお見舞いにいらっしゃいました」と告げた。
マルティナは「通して」といい、汗をぬぐい終わると、窓を開けて窓際に置いてある椅子に腰掛けた。しばらくして通されたエレナに、にっこりと微笑む。
「いらっしゃい、エレナ」
「マルティナ様、少しご気分は良くなりました?」
エレナは心配そうな顔をして、勧められるままにマルティナの前の椅子にかける。テーブルにはお茶とお菓子が手際よく並べられていった。
「ありがとう。そんなに心配されるほど落ち込んではいないのよ。元気に過ごしているわ」
「それならばよろしいのですけれど」
エレナはため息をついた。
「ローザリンデ子爵令嬢は数日は大人しくしていたそうですけれど、相変わらず夜会に行っているそうですわ」
「そう」
(わたくしが、皇子と逢うように手紙を書いたからですけれど)
マルティナは外を見る。
今日は朝からしのつく雨だ。六月に降り損ねた雨を取り戻すかのように、夜会の翌日以降、雨続きだった。
ハーラルト皇子は、目の前に美味しい果実が、しかも簡単にもぎとりやすい果実があるのに、我慢ができるタイプの人間ではない。
目の前にけなげな様子のローザリンデがうろうろしていれば、誰かにダメだと諫められても逢瀬を重ねることだろう。
諫めるような人間が周りにいれば、だが。
マルティナは、ふっと笑った。
「エレナ、わたくし、あなたに知らせなくてはならないことがありますの」
「悪いお話じゃありませんわよね」
エレナが不安そうに尋ねる。
マルティナは微笑を浮かべる。
「わたくしにとっては悪いお話じゃありませんわ。
……今度の使節団の帰国と一緒に、フレリア王国にしばらく遊学に行くつもりですの。そうね、一年くらい」
えっ、とエレナは持っていたフォークを取り落とした。からん、と音を立ててテーブルに当たり、そのまま床に転がっていく食器を、マルティナは眺めていた。
「失礼しました。……寂しいですわ……。お戻りになるまで一年も……」
涙がこぼれないように目をしばたかせるエレナの手を、マルティナは優しく握った。
「エレナにだけは正直に話すわ。わたくし、本当に、……ほんとうに、皇妃にはなりたくありませんでしたの。
ですから、こうなって本当にほっとしているのです。皇国を離れるのも、皇子殿下との話を完全に消してしまいたいからですわ。だから、泣かないで。エレナ」
マルティナもエレナと離れることだけは侯爵邸から離れるのと同じくらい寂しかった。
でもここでぐずぐずしていては、また皇子や皇帝から婚約へ向けての策を弄される可能性が高い。せっかく皇子側の過失で逃げられるチャンスなのだ。不意にするわけにはいかなかった。
「あなたには、助けられたわ。エレナ。本当にありがとう」
それは、嘘偽りのない本心だった。
利用して申し訳ないという気持ちと、エレナだけはこんなはかりごとからは縁遠く生きて欲しい気持ちがないまぜになって、マルティナも泣きそうだった。
外では、さあぁと音を立てながら雨が降り続き、エレナの泣いている声を優しく打ち消していった。




