1-10. はかりごと
令嬢達のカップにお茶がゆきわたり、色合いも鮮やかな菓子が目の前に並べられると、声をひそめて遠慮がちに交わされていた会話が、徐々に大きくなっていく。
マルティナは令嬢達の間を飛び交う話題を、笑みを浮かべて聞く側に回っていた。
笑いさざめくような声が中庭に満ちていく。
マルティナはその平和な風景をぼんやりと見ていた。
(この茶会のように穏やかな人生を、前世でも歩めたら良かったのですけれど)
紅茶のカップを置いて、フルーツを使った菓子を口に運ぶ。旬の赤い果実が載った一口サイズの菓子を口に入れると、酸味と甘味がほどよく合わさって口内に広がっていった。
(最近侯爵邸の温室で作られた新しい果実だったけれど、なんと言うんだったかしら。お父様が名前をつけていらしたのよね……)
菓子を食べながら考え込んでいるマルティナに、近くに座っていた令嬢が遠慮がちに声をかけた。
「あの、マルティナ様、お伺いしても?」
「何かしら」
マルティナは令嬢に向かって、口角をあげて微笑む。
もっとも美しく作られた笑顔に、令嬢は少し頬を染め、隣の令嬢と顔を見合わせた。
「あの、皇子殿下から花束を毎日お受け取りになっていると、父から聞いたのですが、それは本当のことですか?」
そういうと、キャッと隣の令嬢とはしゃぐ。マルティナは少し眉を寄せて困った顔を作った。
その話を嫌がっているようには見えないよう、少し笑顔も添える。
「困りましたわ。本当に噂が広がっているんですのね」
扇を優雅に口元に広げた。エレナが「こほん」と咳払いをする。
「マルティナ様が困っておられますわ」
「いえ、いいのよエレナ、皆が気になるのは当然のことよ。この国の皇妃が誰になるか、というお話ですもの」
マルティナはそう言いながら、ローザリンデを見た。
ローザリンデは興味がなさそうに菓子をつまんでいるが、耳と意識はこちらに向いているのが分かる。マルティナはローザリンデにも聞こえるように言った。
「花束は毎日いただいておりますわ。それに、昨日の早朝にも皇子が急に侯爵邸にいらっしゃいまして、お父様と少し慌ててしまいました」
扇から出ている目を恥ずかしそうに伏せる。ローザリンデの視線がこちらに向いたのを気配で感じた。
目の端で確認すると、睨みつけるような視線でこちらを見ている。
「でもまだ、婚約の申し込みではございませんの。
夜会のパートナーを申し込まれただけでしたので、わたくしが皇妃になると決まったわけではありませんわ。
ですから皆さん、どうかまだ噂はお控えになっていただけると嬉しいですわ」
(本当はできるだけ広めていただきたいですけれど)
マルティナが本音を隠して微笑むと、きゃーーっ、と令嬢達から黄色い声があがる。
「パートナーですか? 夜会って、いつですの?」
「それはもう婚約申し込みも秒読みですわ。まあ、なんてこと、嬉しいわ。今後もずっと仲良くさせていただきたいですわ」
「お揃いのドレスとかお作りになるんですの? なんて素敵なんでしょう」
令嬢達が嬉しそうに騒ぎ立てるのを、マルティナはにこやかに見ていた。
「夜会は、来月ですわ。隣国のフレリア王国から使節団がいらっしゃるんですって。その歓迎の夜会に招待いただきましたの。
そんな大事な席にパートナーとして出るなんて、とても緊張いたしますわ。出席なさる方も多いと思いますが、どうかわたくしを助けてくださいね」
「マルティナ様でもご不安になられるのですね。わたくしもおそばにおりますわ」
エレナがマルティナの手に自分の手を重ねてきた。
マルティナはエレナに向かって「ありがとう」と微笑む。その向こうのローザリンデの怖い顔には、気づかないふりをしながら。
令嬢達の盛り上がりが一通り落ち着くと、マルティナは「少し庭をご案内いたしましょう。薔薇園に行きたい方はどうぞついていらして」といって立ち上がった。
それを機に、令嬢達は少しずつ席を移動したり散歩をしたり、仲の良い令嬢達同士で固まったりし始めた。
マルティナが令嬢達を薔薇園に案内してそこでのお茶を勧め、一人戻ろうとすると、ローザリンデがぽつんと薔薇園の入り口にいた。
(あら、どこで誘おうかと思っていましたのに、好都合ですわね)
マルティナは首をかしげた。
「ローザリンデ子爵令嬢、どうされましたの」
マルティナが声をかけると、ローザリンデは弾かれたように顔を上げた。
「どうもいたしませんわ。見事な薔薇でしたので、少し見とれておりました」
目の前の淡いピンクの薔薇を指でなぞる。
「少し散歩いたしませんこと?」
マルティナが誘うと、ローザリンデはうなずいた。
「楽しんでいらっしゃいますか?」
特にローザリンデのことを気にしていないような口調で言うと、ローザリンデは「ええ」と言葉少なに答える。
そのまま黙ってしまったので、庭を案内していると、不意に強い口調でローザリンデがマルティナの言葉を遮った。
「マルティナ侯爵令嬢様は、皇妃になられたいのでしょうか」
マルティナは少し黙って答えた。
「わたくしが決める事ではありませんわ」
ローザリンデはすぐにまた質問をする。
「皇子殿下のことがお好きなのですか」
「……わたくしの感情が、ここで重要でして?」
マルティナがにこりと微笑むと、ローザリンデは挑みかかるような目をして、マルティナに言った。
「わたくしは、皇子殿下をお慕い申し上げております」
「……そうですか」
マルティナが特に興味もなさそうに言うと、ローザリンデはさらに言葉を継ぐ。
「マルティナ様はそれでよろしいんですの? わたくしはお慕い申し上げていると言っているのです」
「わたくしが決める事ではありませんので……」
マルティナが困ったように言うと、ローザリンデは怒った表情になった。
「ではわたくしが、たとえ皇子殿下と深い仲になったとしても、ローザリンデ様は気にされないとでもおっしゃるのですか?!」
マルティナの目が、キラリと光った。
「皇子殿下があなたを選ばれたのであれば、それはしょうがないことでしょう。わたくしはまだ婚約者でもありませんし、パートナーとして正式に紹介されているわけでもございません。文句を言えるような間柄ではありませんわ」
ローザリンデは呆気にとられた表情をしている。
「わたくしはもともと、侯爵家の後継者として育てられていたのです。もし婚約が整わなかったとしたら、その立場に戻るだけですわ」
マルティナが挑発するように微笑むと、ローザリンデは顔を赤くして唇を噛んだ。
バールケ子爵家には兄が二人いる。ローザリンデが子爵家を継ぐ可能性はかなり低いだろう。であれば、できるだけ良いところに嫁ぐしか、ローザリンデの生きる道はない。
そこを、マルティナが嗤ったことに気がついたのだ。
その後は一言も発しないまま、マルティナとローザリンデが席に戻ると、エレナが慌てたように寄ってきた。
「マルティナ様、また薔薇が届きましてよ!」
執事が花束を抱えている。茶会の真っ最中に届くように手配するなど、皇子も本当に計算高いことだ。
マルティナはオレンジ色の薔薇の大きな花束を受け取ると「まあ」と唇を綻ばせた。
執事に「みなさまに分けて差し上げたいの。一本ずつ包んで」と言うとカードだけを取って渡す。
カードは近くにいたゲルデに「あとで読むわ」といって渡した。
ちら、と振り向くと、ローザリンデが青い顔をして目だけをギラギラとさせていた。
(頑張ってちょうだいな。正妃がいるというのに皇子殿下と深い仲になれたあなたなら、婚約者もいない状況で深い仲に持ち込むなんて、わけないことでしょう?)
そう思いながらマルティナが微笑むと、ローザリンデは悔しそうに唇を固く引き結んだ。




