1-1. はかりごと
「いいからここを開けなさい」
マルティナ・エーレンベルク侯爵令嬢は侯爵家の休憩室の前で立ちはだかる騎士に対して毅然とした態度で述べた。
扉の前で最初えらそうに振る舞っていた騎士達は、マルティナの剣幕と威圧感に、顔を見合わせて迷う様子を見せはじめている。
「ここは、エーレンベルク侯爵家用の休憩室でしょう? わたくしの友人達とわたくしはこちらに入らなければならない用事がありますの」
そう言って扉の前からどくように指示をする。
黒く濡れたようにも見える美しい黒髪を結い上げて真珠を散らし、夜会用の紫色のドレスを優雅に着こなしたマルティナの強い言葉に、騎士達は後ろに下がる。さらにアメジストのように煌めく紫の瞳ににらまれ、しぶしぶ扉の前から体をどかせた。
「さ、エレナ、こちらにいらして」
マルティナは後ろに控えていた女性に声をかける。
エレナと呼ばれた女性は薄い茶色の髪を巻いて肩に垂らした可愛らしい令嬢だ。雰囲気に似合う淡い桃色のドレスを着ていたが、胸元からスカート部分にかけて、赤ワインのシミが大きく広がっていた。
マルティナとエレナの侍女がエレナの脇に控え、様子を見に来た令嬢も二人ほどその後ろにいる。
マルティナは、人数がいることを確認すると、ピカピカに磨かれた金色のドアノブを押し、一気に扉を開いた。
「キャーーーーッッ」
という叫び声があがったのは、部屋の中からだったのか、外からだったのか。どちらからも上がったのかもしれない。
扉の正面に置かれた大きなソファには、しどけなく寝転がってスカートから脚をむき出しにしている令嬢と、その上に覆い被さらんばかりにして令嬢の身体を抱き込み、ズボンをさげて半分尻が見えかかっている令息がいた。
マルティナは、すっと扇を広げて口元に広げる。寝転がっていた令嬢は、令息の腕の中からマルティナを認めると、慌ててスカートを手でおろし、脚を隠した。
「な、なんでマルティナがここに?」
うわずった声でズボンを上げ、服を整えているのは、このシャイネン皇国の皇子、ハーラルトだ。
「何故って、ここは、我が侯爵家の休憩室ですが? 皇室用とお間違えになったのでしょうか」
視線を逸らして呆れたように言うマルティナに、ハーラルトは「ちがう」と怒りのこもった声で答えた。
「ローザ、ここは君が使える休憩室だと言ったじゃないか」
ドレスを直そうとしている女性に、ハーラルトは強く問い詰める。
赤みがかった金色、ストロベリーブロンドと呼ばれる美しい髪を乱して、ようやく起き直ったばかりの令嬢は、泣きそうな顔になり、小声で言った。
「ええ、こちらの休憩室は、使って良いと言われていましたの」
「誰に?!」
「マルティナ侯爵令嬢様に……」
「そんなこと、一言も言ってなかっただろう?!」
服を、少なくとも下半身の服を直し終わったらしいハーラルトは怒りを抑えきれない様子で令嬢に詰め寄る。令嬢はびくりと肩をふるわせた。
「あら、嘘じゃありませんわ」
マルティナが会話に割って入った。
「なに?」と剣呑な声でマルティナを睨みつける皇子は、いつも気取ってぴしりとなでつけている銀髪を乱して額に散らしていた。その黒い瞳は羞恥のためか、怒りに燃えている。
マルティナはふう、と息を吐き出した。
「先日の茶会に招待した令嬢達には、本日の夜会で気分が悪くなったり休憩したい場合は、こちらの侯爵家用の休憩室を自由に使って良いと、お話しておりましたの。
会場から近いですし、不躾な殿方に追われてもすぐ逃げ込めますでしょう? まさかこういう使われ方をされるとは思っておりませんでしたので」
不快な表情を隠しもせず、口元だけは扇で形ばかり覆って、マルティナは皇子に反論した。
「もちろんその中にローザリンデ子爵令嬢もいらっしゃったのですわ。ですから、彼女の言っていることは間違いではありません。彼女にはこの休憩室を使う権利がありましたの。
殿下にはございませんでしたが」
マルティナの言葉に、皇子は顔を赤くした。
「それはそれとして、わたくしのお友達がこちらで着替えたいのですけれど、そろそろ出ていっていただいてもよろしいでしょうか?
殿下がこちらにいらっしゃると、着替えができませんので」
今にも湯気が出そうな顔色のハーラルト皇子は、かかとを鳴らしながら大股で部屋を出て行った。
扉が閉まったあと、騎士に怒鳴る声が聞こえてくる。
(まあ、今世では直す服があっただけ、マシかしらね……)
前世の記憶を思い返し、扇を畳んでため息をつくマルティナに、侍女のゲルデがそっと近づいた。
「大丈夫ですか、お嬢様」
「大丈夫よ」
マルティナは振り返り、にこりと口角を上げた。
「ごめんなさいねエレナ。巻き込んでしまって。わたくしのドレスで申し訳ないんだけれど、ゲルデと一緒にあちらの衣装室から好きなドレスを選んでお着替えになって。
もし良ければお湯も使うと良いわ。ワインがかかったところがベタベタするでしょう? わたくしは、少し、ローザリンデ令嬢とお話がありますから、こちらにおりますわ」
マルティナの言葉に、エレナ伯爵令嬢はこくこくと頷く。
「皇子にはがっかりいたしましたわ……。あんな……」
青ざめて呟くように言うエレナに、マルティナは「しっ」と指を口に当てた。
「こんなところで軽率な発言をしてはいけませんわ。
さ、わたくしが不注意でワインをこぼしてダメにしてしまったドレスの代わりに、是非お好きなものをお選びになってね。プレゼントさせていただきたいのよ」
「そんな、マルティナ様のドレスをいただくなんて」
「いいのよ、エレナ、わたくしの気が済まないの。わたくしのためだと思って。
ゲルデ、どのドレスを差し上げても構わないわ。装飾品も合うものを選んで差し上げるのよ」
「はい、お嬢様」
まだ恐縮してキョロキョロするエレナを、ゲルデは浴室の方へ誘ってゆく。
「さて、他の皆様は会場にお戻りになって。会場の花がこうも何人も姿を消しては、みながっかりしますわ」
ついてきたものの、まだ部屋の中で所在なさげにしていた令嬢二人に、マルティナは優しく声をかける。二人は、ほっとしたように扉を開けて出ていった。
きっと会場に戻り次第、今のことを噂し始めてくれるだろう。
マルティナはローザリンデ子爵令嬢を振り返った。先ほどまでソファでぶるぶると震えていたはずの子爵令嬢は、うってかわって落ち着いた様子で服を整え終わり、髪を直そうとしていた。
「侍女はいらっしゃるの? 髪を直すなら呼びましょうか?」
マルティナが声をかけると、ローザリンデはにっこりと笑う。
「あら、お気遣いありがとうございます。
本日の目的は達成しましたから、わたくしはこのまま帰りますわ。馬車までそれなりの見栄えになっていたらかまいませんの」
マルティナがローザリンデの近くの椅子に腰を下ろすと、ローザリンデは「ふふ」と上機嫌そうに笑った。
「本当によろしかったんですの? 殿下とわたくしを近づけさせるなんて」
喜色を浮かべるローザリンデに、マルティナは、ふっと笑みをこぼした。
「首元に赤い花が散っていますわ。何かでお隠しになる? それともそのまま帰られるかしら? 皇子殿下も性急ね、あそこまで節操がないとは思っていませんでした」
ローザリンデは首元に手をやる。しばらく考えていたが「お父様に見られた方がうまくいくかもしれませんわね」と一人言のように呟いた。
「マルティナ様、どうして皇子殿下との縁談が出そうなこのタイミングでわたくしにお声をかけられましたの?」
「あら、あなた、ずっと皇子殿下に思いを寄せていたのではなくて? わたくしは身分関係なく、純粋な恋を応援したかっただけなの」
マルティナは含みのある笑みを浮かべながら豪奢な椅子の背もたれにもたれかかる。ローザリンデは、疑い深い目でマルティナの様子をうかがっている。




