漆黒の宝玉
精神世界に戻ったメイブは困惑していた。それを見たウェンディゴはたまらずメイブに質問する。
「新緑の宝玉の中で何か問題があったのか?」
「問題があったなんてもんじゃない。フォルトナの知らないところで、フローラさんが何者かに精神攻撃をされているの。それに今回は、なぜかフローラさんの記憶世界が混じっているわ。」
「フォルトナの記憶からヒントを探す旅だ。フローラが何をされたかは重要だとは思えないが、ひとまずは気に留めておけば良いだろう。フローラの記憶が混じっているとしたら、それはフォルトナが原因ではない。お前の中にあるオリバーの異能や加護が、記憶世界とリンクしてしまった可能性が高いな。どちらの性質も記憶の再生と体験という意味で酷似しているからな。そして加護はフローラの異能だ。フローラの存在がオリバーの加護の能力に混じっていても不思議ではない。」
「なるほど。私をここに連れて来た加護自体に、フローラさんの記憶が混じっているというのね。では次に進むわ。次の宝玉はどれかしら?」
「並びの順番だと漆黒の宝玉だ。そして、今回の問題、それが黒である以上、この記憶が一番怪しいと言えるな。メイブ……この記憶は心して見るがいい。」
「わかった。いってきます。」
メイブが漆黒の宝玉に触れると、飛び出した風景は、とてつもなく大きな豪邸とその入口にある門だった。若き日のオリバーとロイスが対峙している。
「消え失せろ。」
「頼む。オリバー。一目だけで良いからアネモネに会わせてくれ。」
「糞野郎が。……全部貴様のせいだ。いいから、ここから消え失せろ。」
ロイスは、オリバーの言葉尻に悪い予感を感じている。そして、オリバーの胸ぐらを掴み問いただしていた。
「何がだ? 全部俺のせいって何がなんだよ?」
「お嬢様はお前のせいで変わってしまった。アネモネは奴隷の身分に落とされ、三か月間以上も虐待を受け続けた。そして、今は憔悴しきった状態でどこかに売られてしまったよ。これも全部お前が自重しなかったせいだ。婚約者の家の家政婦に入れ込んだお前が全部悪い。お前の顔を見るだけで、胸糞悪いから早く消えろ。」
「は? ……どういう事だよ。虐待……奴隷……売られた?アネモネと会えなくなってからもう半年。その半分以上は辛い日々を送っていたと言う事なのか?」
「言葉通りの意味だ。だからもう消え失せろ。――消えろと言ってるだろうがっ!」
オリバーは力の抜けたロイスの腕を振りほどき、体を掴むと勢いよく地面に叩きつける。
「アネモネ。……俺のせいだと。……俺はまったく気付かずに、学園生活を楽しんでいた。……フローラ!ふざけんな。アネモネは何も悪い……」
ロイスはしばらく落ち込んだ後で、何かを考えると、勢いよく駆け出していった。メイブにはわかっていた。オリバーはロイスの姿を見て密かに何かを期待していたのだ。そして、ロイスが走り去った後で、メイブが思った通りオリバーはその気持ちをつぶやいていた。
「お嬢様申し訳ありません。ですが、アネモネをこのまま見捨てる事は出来ません。せめてアイツがなんとかして……。」
***
ロイスはフローラが学園にいる間を見計らって、アネモネに会いに行っていた。そして、今度はフローラに直接会わなくてはならない。アネモネが家政婦を辞めた以上、フローラに気を遣う必要もなくなっていた。だからこそ、フローラに会った瞬間に物凄い剣幕で問い詰めていた。
「フローラ! 貴様。アネモネにどんなに酷い仕打ちをしたんだ?」
「あら。ロイス様。酷い事をされたのは私の方ですわよ。アネモネはたった一人だけ、私が気を許していた親友だったんです。それが私からロイス様を奪おうだなんて。許せない。許せない。絶対に許せない。あんな醜悪な女。死んでしまえば良いのに。」
「なんて心の汚い女だ。完全に外面に騙されていた。アネモネは最初から最後まで俺を拒絶していた。アネモネを心から愛していたのはむしろ俺の方だ。どこに売った? その場所を言え。」
「そうですか。やはり言っていた通りになったわね。良いですわ。一緒に行きましょう。」
メイブはそのやり取りの中で、先程、新緑の宝玉で見たコンラートとのやり取りを思い出す。記憶世界ではそれから三か月が経過しているようだが、メイブにとってはつい先刻の事だ。コンラートと一緒にいた謎の女アンジェリカ。そして、その話の中に出て来たギルバート。三人、もしくはその仲間が、ロイスのこの行動を予測していたのかも知れない。少なくともロイスは――言っていた通り――に行動しているのだから。メイブはそれどころか、ひょっとしたらあの時点から計画していた事の一部なのかもしれないと考えていた。
そして、このフローラの変貌ぶりは、間違いなく今も右手にあるブレスレットの効果であった事が窺える。
ウェンディゴが言った黒い記憶の事もあり、メイブは不安を募らせていた。
フローラは学園の外に待機させておいた馬車にロイスと一緒に乗り込む。二人は、そのまま数時間、馬車に揺られていた。
「いったい。どこまで連れて行く気だ?」
「もう着いていますよ。ここはスカルポン領内です。スカルポン領にはクピドと呼ばれる、小さな社があります。アネモネは正しくはまだ売っていません。そこにいるんですよ。」
「ありました。あの社です。」
フローラの言葉と共に、馬車から飛び降りたロイスは、駆け付けるとその建物の扉を開ける。
「アネモネー。どこにいる? ……なんだあれは。 アネモネ大丈夫か?」
小さな部屋のつきあたりには、歪んだ黒い空間があった。その中には大きな黒い翼を持った男が待ち構えている。ロイスの心に不安が募る。部屋はこの一室だけ。だがアネモネの姿がない。
「モンスター……亜人なのか? 貴様は何者だ。 アネモネはどこにいる?」
「貴様とは我の事か? 大天使ルシフェル様と言えば理解出来るか?」
「大天使だと? そんなものは知らん。……異能は【模倣】か。ステータスは少し高いようだが、俺とは相性が悪かったな。俺の能力を【模倣】しても、訓練がなければまったく攻撃には使えないぞ。討伐されたくなければ大人しくアネモネを返せ。」
ロイスの言葉と共に、ルシフェルは笑い出す。
「ぎゃははははは。なんたる無知。人間如きに討伐されるわ……。そうか。今の人間には歴史が正しく伝えられておらぬのだな。で、我に鑑定をしたのか。」
「貴様何を言って――」
「『口を閉じろ。』」
「……。」
「『開けてもよいぞ。』ところで鑑定結果にこの能力は存在するか?」
「……ハァハァハァ。貴様何をした。」
ロイスはどうようしていた。ルシフェルの命令の言葉と共に、まったく、口が開かなくなった。それに異様な圧力で気を抜けば膝から崩れ落ちそうになっている。
「冥府の刻印で神に堕とされた悪魔の性質やステータスを、異なる天使の性質の欠片で見れるわけがないという事だ。天使の言葉で我が伝わらないなら、今の我は堕天使。すなわち悪魔であるというのではどうだ?」
「悪魔。おとぎ話、それが邪悪な存在だという事は分かる。」
「いかにも。あの人間は下級の者を魔王と呼んでいたがな。」
「あの人間? お前が魔王なのか?」
「いいや。我は堕天使達の頂点にいる立場だ。もしそれらの悪魔が魔王ならば、大魔王や超魔王とでも言うのだろうな。」
「そんな事はどうでもいい。アネモネを返せ。素直に返してくれればお前には何もしない。」
「取引とは対等な立場があってこそ成立するのではないか? 絶対的強者は全てを自分の思い通りに出来るのだ。『動くな。お前は口を閉じろ。』フローラ入って来い。」
「クピド様、約束です。私達に永遠の愛を。」
「………………………。フローラ……糞野郎。そんな事の為に……。」
「これは驚きだ。我が力に抗い言葉を発するか。ではもっと強力にしよう。『男、黙れ!』」
「クピド様。お願いします。アネモネの生贄のかわりに私達に永遠の愛を。」
ロイスはフローラの信じられない言葉に、嫌悪と怒りの表情を浮かべる。フローラはアネモネの命と引き換えに、ロイスとの永遠の愛を得ようとしていたのだ。だが、ロイスからは言葉が出ない。体が微動だにしない。
「………………。」
「フローラ残念だったな。あれは嘘なのだ。だが、その者とは永遠の因果で結ばれる事になろうぞ。一時的にでも同じ魂を宿す事になるのだからな。」
「そんな……クピド様。それでは約束が違います。」
「欲に駆られたお前が悪いのだ。だが、アネモネだけでなく、お前達にも重要な役割がある。その過程で永遠の因果で結ばれる事になる。今後は輪廻転生の中で、常に近しい関係で生まれ変わるであろう。」
「酷いわ。私はロイスの愛が欲しいだけなのです。」
「知るか。我が現世に蘇る為には、我の中にある1つの大きな魂を、3つの魂の欠片に分けそちらの世界に一つずつ渡す必要がある。お前等の世界ではそれを異能と呼ぶのだろう? もっとも天使や悪魔の魂は3つの魂の欠片で強大な1つの魂となり完成する。その点で言うと、お前等人間の持っている異能とは出来損ないの力だと言えるな。下等な人間如きに与えられる魂の欠片は、天使のそれとは違いたった1つだけなのだからな。」
「何の話?」
「わからんか。このゲート。こちら側が地獄で、そちら側が現世だ。太古の昔、女神デーメーテールに戦いを挑んだ我らの軍勢は敗北し、天使の器と魂に死者と同じ性質の冥府の刻印を押され地獄に閉じ込められた。刻印により悪魔の魂に代わった3つの魂の欠片。そうだな。ここでは悪魔の欠片とでも言おうか。」
「悪魔の欠片?」
「冥府の刻印を押された悪魔の魂は、死者が冥界から出られないように、その状態のままでは地獄の門をくぐれない作りになっている。だが、悪魔の欠片を3つに分離すればどうなると思う? 三分の一程度の刻印効果で、我を地獄に縛り付ける事が出来ると思うか? そうかフローラ。お前は我を恋の天使だと思っていたんだったな。我はお前等の世界で言うところの大魔王だ。そして、現世に復活する為にお前等を使う事にした。お前等は悪魔の欠片の預け先として、アネモネは転生体の母体としてだ。」
「魔王ですって……そんな。私はなんて事を。」
「勘違いするな。もっとずっと格上で言葉にするなら大魔王だという事だ。例えば、魔王とやらは、【門】の魂の欠片を持った者がゲートを開き下級悪魔から魂を抜き取る。人間そのものが魔王となっただけの存在だ。我からしたら肉体も借り物の魂もとても脆弱なのだ。我の場合は人間には転生するが、我自身の器と本物の悪魔の魂となる。それも我は悪魔の中で最も強い存在なのだ。」
「どうしよう。私はとても恐ろしい事を。」
「これは、お前等に我の悪魔の欠片を1つずつ持たせて、我がこの門をくぐるという話だ。我には【暴食】がある。欠片はのちに回収すれば済む話なのだ。とはいえ、悪魔は器にも強大な冥府の刻印の効果がかけられている。人間に転生せねば、冥府の刻印の効果を弱体化してもゲートを渡れぬがな。しかし、一つだけ困った事に【堅忍不抜】の方は、我の【暴食】が通用しない。お前等の成長次第では手が付けられない可能性がある。喰らう方法は転生後に考えるとするか。『男。発言する事だけを許す。』」
ルシフェルの何らかの異能が解け、ロイスは発言する事だけを許される。
「べらべらと余計な情報を喋ったな。俺がお前の企みを知った以上。そんな事は絶対に阻止する。」
「ぎゃははは。それは無駄な事だ。お前の記憶は後で消しておくからな。まずはアネモネの生命力をこの時間に集中させる。我の母体としては最高だが、出産後は残りかすになるだろう。むしろ死の可能性すらもあるか。『アネモネ出て来い。』」
「アネモネに何をするつもりだ? や……やめろ。」
「『口を閉じろ。』フローラお前は褒めてつかわす。よくぞこの場所に二人を案内した。では、始めるとするか。移植後しばらくは、お前等ではなく我の中の方に悪魔の欠片の効果が残留する。転生後しばらくはそちら側には渡れないが、【堅忍不抜】が効果を発揮する前に、お前等の記憶を消せば良いだろう。『二人ともそこから一歩も動くな!』」
悪魔はアネモネに手を翳すと、アネモネの生命力が光となり体全体が輝きだす。次に悪魔の心臓から黒い光の玉が二つ飛び出し、ロイスとフローラの中に入っていく。
メイブは悪魔がアネモネにした、その後の恐ろしい光景に目を伏せていた。瞬きすらできず、まったく動けないロイスは絶望の表情を浮かべてから、涙を流しながら怒り狂っている。ロイスは悪魔の力に対して最大限に抗っているようで周りの空気が震えている。メイブはその状況に耐えられずロイスだけをただ見つめている。
あまりにも残酷な光景に、メイブもまた涙を流していた。泣きながら徐々に体が薄く透けていく。
メイブが記憶世界から出て来た時、ウェンディゴは想定通りだと感じていた。フォルトナの心が受けたダメージがその宝玉を黒く染めていると感じていたのだ。
「何が起こったのかは、あえて聞くまい。お前の心で判断しろ。」
「そうね。私も詳しくは言えないわ。でも、フォルトナとフローラさんの運命の因果関係は理解出来た。なぜ、フォルトナがフローラさんの子として誕生したのか。二人は同じ悪魔ルシフェルの悪魔の欠片を宿す事になったの。そして、この漆黒の宝玉で、フォルトナを元に戻す糸口は掴んだと思う。」
「そうか。あとは後半3つの宝玉だけだ。」
「あと3つか。私も頑張らなきゃ。これだけの事があったのだもの。あとは記憶を辿りながらフォルトナをどう説得するか考えるだけだと思うわ。」
「そうだな。次は蒼穹の宝玉だ。」
悲しみを乗り越え勇気を奮い立たせるメイブ。しかしメイブから見たロイスの悲しい生涯。この時点では、まだはじまりに過ぎない。