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M.M.の微笑

作者: 黒森牧夫

 M.M.の告別式には私も出席した。生前の彼の交友関係がどの様なものだったかは知らないが、礼拝堂の座席に着いていたのは十人に満たなかった様に思う。訛りの抜け切らない日本語よりもラテン語の発音の方が遥かに美しいR神父の進行の下、柔らかな春の日差しに包まれて、一時間程で、極く簡素だが温かい心の込もったお別れの儀式が執り行われ、その後その内の何人かは近くの安食堂へと場所を移し、彼の母親を囲んで互いに彼の思い出話に花を咲かせた。彼の家族でその日出席していたのはその母親だけだったのだが、母子家庭だったと云うことはそこで初めて知った。私はM.M.とはゼミや講議で何度か一緒になったことがあっただけで、個人的な親交は殆ど結んでいなかった為、こちらから語るべき材料はどうにも持ち合わせが無かったのだが、それでも皆と一緒になって切れ切れに語られる死の直前の彼の様子や人となりについての話に耳を傾け、一度か二度などは瞳を潤ませさえもした。それは実にさっぱりした集まりで、じめじめしたところや陰気な悲壮さの影は微塵も無く、私達は互いに穏やかに彼の死を受け入れ、各々これでいいのだと思えるやり方で悼んだ。私達はそこで同じ悲しみを共有することで、まるでもう何年も前から親しい付き合いをしている者同士の様に理解し合い、互いにほほえみを交わし、終わった後は誰もが、出席して良かったと云う風に平和裡な満足感を顔中に湛えていた。

 私が彼の病室へ見舞いに行ったのは一度切りだ。付き合いが浅かったと云うのも原因のひとつだが、そもそも入院期間がそれ程長くはなかった。彼が入院した時私は彼と同じゼミを受講していた。学期途中で急に来なくなってしまったのだが、ゼミをさぼる者が一人や二人出るのは珍しいことではなかったし、私も彼には特に興味も無かったので然程関心は払わなかったのだが、その内人伝てに、彼が倒れて入院したらしいと云うことを聞き知った。何でも遺伝病で治す方法は無いらしく、もう先は長くないと云うことだった。やかましい位に生が横溢するキャンパスに突然齎された間近い死の報せは、確かに一瞬小波(さざなみ)の様な動揺を引き起こし、真剣な表情を作り出してみせることもあったが、関心の無い形而下的な向きはそんなことは直ぐにすっかり忘れてしまった様に元通りの日々を振舞い、逆に元々死に近しかった者達はそれもまた世界の一部なのだとして受け入れ、寄り添い、そしてやはり元のひっそりとした生活に戻って行った。私は後者だった。或る日そのゼミが終わった後で、きっかけはどんなことだったかもう忘れてしまったが、皆で彼の見舞いに行こうと云うことになった。それで後日日取りを決めて集まることになったのだが、出席していた六人だか七人だかの内、参加への意志を表明したのは三人だけで、他は調整が付かないやら気が進まないやらで辞退した。只、後で聞いたところによると、その内の一人はどうやら後で他の者と見舞いに行ったらしい。

 当日は日差しはもう春だが風はまだ冬の、水槽の底のどんよりと様に晴れ上がった日だった。私達は午後の早い内に研究室前に集まることにしていたのだが、一人が仲々現れなかった。二人で三十分以上待ってはみたものの一向に連絡も無く、携帯電話も繋がらなかった為、Sと私は仕方無く彼を待たずに見舞いに行くことにした。尚これは次のゼミで会った時に聞いたのだが、何と彼はこの日の朝、アルバイトによる過労から倒れ、病院に担ぎ込まれていたらしい。他人の見舞いに行こうと云う時に自分が緊急入院しているのだから洒落にもならないが、 生活費と学費を稼ぐ為に彼が普段から憔悴していたことは知っていたので、そのことを知った時私達は何と言えばいいのか言葉に詰まった。M.M.が入院した病院は大学から三つ離れた駅から七、八分程歩いた街中に建っていた。歩き乍ら私達は、見舞い品を何か買っておこうと話し合ったが、私達であれば花なんぞよりも菓子折りか何かの方が正直嬉しいだろうが、病院側から色々と食事制限が課されている可能性のことを考えて、結局無難なところで花を一束、病院の隣の花屋で買うことに落ち着いた。

 病院の中は流石に都会の真ん中に建っているだけあって可成り手狭で息苦しい感じがして、引っ切り無しに人がせかせか歩いていた。しかも西側だか東側だかどちらだかもう忘れてしまったが、片側の棟が改築工事をしていた為、使える通路やエレベーター等も幾つか制限されていて、全体からどうにも気忙しい印象を受けた。彼の病室は随分高い階にあって、病棟がくの字形に折れている所の内側の一番底に当たる場所に位置していた。病室は苦も無く見付けられたが、私達が訪れた時には丁度看護士が何かの検査をしている最中だったらしく、私達は暫く扉の外で待たなければならなかった。中で待っていようと思えば出来たのだが、何せとにかく狭い部屋だったのだ。私達は直ぐ近くにあった他に誰も居ない、車一台分のスペースさえ有りそうにない待合室に移動し、そこで十分程時間を潰した。その隣りはガラス張りのベランダになっていて、沢山の小さな鉢植えが置いてあり、外に出てみると、息の詰まる様な病院の空気から解放されることが出来た。高い所にあるだけあって遠くまで見渡すことは出来たものの、ゴミゴミと密集した醜怪な街並が延々と続くばかりで、見ていて心晴れるものではなかった。こんな光景がこの世の見収めになるのでは惨めだ、とふと思ったことを憶えている。萎縮した様に身を縮こまらせ乍らも全身に日を浴びている安っぽい花々は、当然乍ら何も語ってくれようとはしなかった。

 看護士が病室から出たのが見えたので私達はその場を後にし、彼女から十分までですと注意を受けてから、M.M.の居る死の定められた場所へと入っていった。非常に狭い部屋で、手前に彼の居るパイプベッド、奥の方にもう一人の入院患者のベッドが置いてあり、真ん中で白いシーツによって仕切られていて、向こう側は半分以上見えなかった。足元の片付けられた通路の幅は限られていて、一脚だけ置いてある円い腰掛けに座ってしまえば、後はそれ以上の身動きは出来ないだろうと思われた。ベッドも壁もシーツも白、彼が着ている患者用の服も白い色をしていたが、ベッドの脇に茶色い小棚があり、その上に細口の白い花瓶が置いてあって花が生けてあるのが、唯一色彩の単調さを破っていた。花はどんな種類のものだったかは憶えてはいないが、薄い黄色の花弁をオレンジ色の縁が取り巻いていたことだけは鮮明に印象に残っている。

 彼はベッドの上に身を起こし、大きな枕に背中を預けてぐったりと私達の方に顔を向けていた。元々浅黒かった肌は不健康などす黒さを増し、厚い瞼は半ば閉じられ、それでも少し俯いていたら凝っと何かを考え込んでいる様に見えたことだろう。彼が入院してから一ケ月も経っていなかったことでもあり、流石に目に見えて肉が落ちたりはしていないようだったが、それでもじわじわと憔悴と消耗の色が全体のトーンを決定付けて来ているのは明白だった。私達が持って来た花束を手渡すと、彼はそれを持った儘ぽつりぽつりと———元々口数の少ない男だったのだが———礼を述べた。それから私達は近況報告をし合い、凡そこうした場面で想定され得るもっとも平凡で詰まらない会話をぎこちなく交わした。早く良くなって、などと無責任な励ましを出来る訳も無いので、今日の具合を尋ねると、今朝は少し頭痛がしたがもう良くなったと云う返事が返って来て、私達は阿呆の様に「それは良かった」を繰り返した。これは病室を出た後で担当の看護士を掴まえて聞いたことなのだが、この頃には既にもう彼は時折錯乱の兆候を見せ始めていたらしい。尤も彼は錯乱すると騒いだり暴れたりすると云うタイプではなく、寧ろむっつりと黙り込んでしまうと云うタイプの病人だったので、手間は掛からないらしいが、ぱっと見ただけでは病状が判り難いと云うことであった。彼とのこの時の会話を思い出す時常に決まって表面に浮かんで来るのはこのことだ。具体的に何を話したか———極くありふれた他愛も無いことに違い無いが———はさっぱり憶えていないのに、その時既に彼の精神が時に異常を来し始めていたと云う一事ばかりが、どうにも気になって仕方が無くなる。私達はお座なりなたどたどしい会話を続け、十分経たない内にそこを辞去したのだが、終始曖昧な微笑を浮かべていたM.M.の顔が、去り際にちらっとだけ見せた表情の変化の意味を、私は今だに測り難ねているのだ。その瞬間、私はちらりと横目でSの表情を窺ったのだが、どうやらSは全く気付いていないか、或いは全く気付いていない振りをしている様に見えた。帰りのエレベーターの中でもう一度見てみたが、Sの疲れた顔には何もそれらしきものは浮かんではいなかった。私がM.M.の表情の中に見たのは、不器用な労りに対する不器用な安らぎでも、避けられぬ間近な終局に対する諦めや悲しみと云ったものでもなかった。それは軽侮と憤怒だった。それは唇の端に現れたと思ったらもう直ぐに消えてしまったので改めて確認することは出来なかったのだが、私はその瞬間確かに、彼の顔の表情の中にはk、その鈍感な外見を裏切っている何ものかが存在している様に見えたのだ。とにかくそれが私が彼の姿を見た最後だった。

 あれから三十年位以上の月日が経ち、M.M.についての記憶は他の確認出来ない儘終わってしまったことどもや知られない儘に終わってしまったことどもの大海の中に紛れて霞み、薄らぎ、私が経験した幾つもの死の風景の中で、比較的能く憶えてはいるがそれ程重要な意味を持たないものの部類に入れられて長いこと放置され、極く稀に取り出して改めて眺めてみる程度だった。彼のことにはそれ程関心があった訳でもないし、況して好意を抱いていた訳でもない。彼にはハッとさせられる様な知性の閃きを窺わせるところも無かったし、驚嘆すべき想像力を発揮するところも見たことが無かった。彼は無口で不愛想で余り学究熱心ではなく、どちらかと言えば私が軽視する類いの人間だった。若し彼があの時病に冒されずに生き続けていたとしても、彼とは精々ゼミで時々口を利く位で、後はそれ切りその儘、細い縁も自然消滅に任せるが儘になっていたことだろう。私は今では彼のフルネームさえ———当時は知っていた筈なのだが———憶えてはいないし、彼の心境どころか何に興味があったのか、どんなことに価値を見い出していたのかと云ったこともまるで知らない儘だ。彼は私にとって、全く何等特別重要な意味を持たない存在だったのだ。だが、私が最後に見た彼の微笑を思い出す時、ふと疑問が過ることがある。あの微笑が私の読み違えなどではなく、ひょっとして彼は少しは私が探究するに足る複雑さを備えた精神だったのではないか、見掛けの軽薄な仮面の下に、深いアイロニーかユーモアを理解し得る知解力を備えていたのではなかったのか、と。そのことを思うと、私は時々、自分は彼の冥福を祈ってやれそうな気がすることがある。もう少し彼のことをよく知っておけば良かったのではないかと、微かな無念と懐かしさを覚えることが出来る様な気がすることがある。

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