5 類は友を呼ぶ率が高すぎるのは、どういうことだ。
再び静けさが訪れる。研究室はクーラーがよく効いていて気持ちいい。ただ待っているだけだと暇だ。
昨日はずっと斉藤に連れまわされていたせいで、疲れが蓄積されていたのだろうか。なんだか眠くなってきた。私は博士が戻るまで、しばらく寝ることした。
どのぐらい寝たのだろう。目が覚めると、目の前にはスマートフォンを構えている教授がいた。シャッター音が鳴る。どうやら私の写真を撮影していたようだ。
「なんだ。起きたのか。すまぬな、うるさかったかな。孫に文鳥のことを教えたら、写真を送れとお願いされたものでな。もう目的は達したから、気にせず寝てくれてかまわんよ」
そう言った教授はスマートフォンをポケットに片付けると、自分の席に戻ってしまった。もしかして、この人は少し変わってはいるが、そんなに悪い人ではないのかもしれない。
ふいに扉が開いた。やっと博士が戻ってきたのかと思ったが、どうやら違ったようだ。
入ってきたのは、黒髪ロングの長身な女性だった。真っ黒な男物っぽい、細身のスーツを着ている。シャツはグレーで、黒の細いネクタイを締めている。
背が高くてスラっとしているのが、まるで宝塚の女優さんみたいで、なんだか格好良い。
「なんですか、この子」
黒服女は、カゴの中にいる私を覗き込んでいる。綺麗な顔立ちをしているが、無表情すぎて怖い感じである。
博士の知り合いは、嘘つきの斉藤以外は、こういう顔の筋肉を使いたがらないタイプが多いのだろうか。類は友を呼ぶ率が高すぎるのは、どういうことだ。
それにしても、どうしてこの人は、真夏に黒服のスーツなんてものを着ているのだろう。就活のためのリクルートスーツとは毛色が違うし、どこかで仮装パーティでもしているのだろうか。
そういえば、ちょうどこの前、斉藤が見ていたホラービデオに、黒づくめの服を着て、長い髪で顔が隠れた女がカメラに写っているなんていう話が出てきた気がするが、まさか人間ではないなんて、オチじゃなかろうな。
だから、こんなに暑い日に真っ黒なスーツを着ていても、汗ひとつかいていないなんてことは。
ゾゾゾッと背筋に何かが走ったような殺気を感じて、できるだけ女から距離を取る。この研究室に生息する人間は、なんだか近寄りたくないタイプが多すぎる。
「このシロという文鳥くんは、博士が預かっているらしい」
教授が振り向いて答えた。だが振り向く時に椅子を回しすぎたのか、三回転ぐらいしている。表情は真面目なままだ。
相変わらずうっかりなのか、わざとなのかわからない。こちらを笑わせようとして、気を使っているのならやめてほしい。
「斉藤のことだから、どうせやっかい払いをしようと、企んでるんじゃないのかと思わんでもないのだが。ほら、あのアイドルグループの、推しメンとやらが結婚してから、いろいろ行動が怪しかっただろう」
その言葉を聞いて、黒服女も一瞬だけ眉をひそめた。斉藤の信頼されてないっぷりは異常である。さすが斉藤だ。
「またですか。しばらく落ち込んでいて、静かだったんですけどね」
黒服女がスマートフォンを出して、画面を確認してから小さく笑った。笑った女は案外可愛いかった。部屋に入ってきたときの能面のような表情より、よっぽどいい。もっと笑っていればいいのに。
「どうやら斉藤は昨日、猫を飼い始めたみたいですね。スコティッシュフォールドのミミちゃんだそうです」
投稿写真を表示したスマートフォンを、黒服女がわざわざ私にも見せてくれた。どうせ垂れ耳だから「ミミ」とでも名付けたのだろうが、相変わらずペットの名前のつけ方が雑である。さすが悪い方に、期待を裏切らない男、斉藤だ。
「あなたのご主人様はこういう男だから。残念だけど、もう家には戻れないかもしれないね。博士なら、斉藤みたいなことはしないだろうから、大丈夫だと思うけど」
真っ白な垂れ耳の猫を、抱っこしている斉藤の自撮り写真が、弾けるような笑顔でイラっとする。嘘をついてまで、私を人に押し付けておいて、よくもそんな笑顔を見せていられるな。まったくもって神経を疑う。
やはり私がもし人間になれた日には、まっ先に斉藤を、グーでパンチしてやらねばなるまい。
席を立った教授は、コーヒーメーカーの前に行くと、深いため息をついた。
「今どきの大学生は、どうしてすぐにバレる嘘をつくんだろうか。ワシにはよくわからんのだが」
教授は煮詰まって色の濃くなったコーヒーを、マグカップに注いでいる。
手に持っているカップには、可愛らしい猫のイラストが描かれていた。パステルカラーの器がやけにファンシーだ。さすがに本人の趣味ということはないだろうが、家族からのプレゼントとか、孫娘とお揃いという類のものなのかもしれない。
だが、シワシワの指先との対比が不釣り合いで、見ているこちらが落ち着かない。もう少し年齢にあったチョイスはできなかったのだろうか。
「教授、私も今どきの大学生ですが、斉藤と一緒にしないでくれませんか。彼の一連の行動は一般的ではありません」
黒服女が不機嫌そうに教授を睨んでいる。
「では言い直そう。今どきの斉藤はどうしてこんなにも、すぐバレる嘘をつくのだろうか」
「知りませんよ。それは斉藤に直接聞いてください。私は斉藤の考えをトレースできるほど親しくありませんし」
「ほう。では先ほど博士なら大丈夫と判断したということは、彼の考えをよくトレースしているということになり、それだけ博士とは、特別に親しいということになるのだろうか」
「な、なぜそこで博士が出てくるんですか」
黒服女が焦っている。少しだけ頬が赤いようだ。
「君たちはよく研究室で、こっそりとチャットの類をしているのではないのかね。まるでピンポンをしているかのように、君たちのタイピングが、交互に繰り返されているのが、散見されるように感じるのは、気のせいだろうか」
「……教授の気のせいです」
「それは残念だ。まぁ普段は他人に対して、あまり関心を抱かないタイプの君が、博士のためにわざわざ斉藤のSNSの裏垢を探し出してまで、噂の真相を確認したという行動が、実に興味深かっただけだ」
「この文鳥のためにやったことであって、別に博士のためではなく……」
「ただの冗談だ。君と博士の関係に関する考察に、深い意味はまったくないよ」
教授はシワシワの指で口ひげを撫で、一瞬だけうっすらと笑みを浮かべたが、すぐに真顔になった。
「だから、その分かりにくい冗談はやめてください」
黒服女は眉間にしわを寄せる。教授は口の端を片方だけ、わずかに上げた。一瞬だけ。
「そんなに心配しなくても、博士は騙されているのを承知で預かっていると思うんだがね」
「そんなことはわかっています。でも彼がいつも断りきれずに、厄介事を押し付けられてるのを見るとイライラします」
「バカな子ほど可愛いというものだし。やはりそういう」
「教授……違いますから」
「では、同族嫌悪というやつかな」
「なんのことですか」
「君も厄介事を、押し付けられているタイプだからな。去年の学祭も、君と博士が裏で取り仕切っておっただろう。君たちが断らないのを知っていて、群がってくる学生が、うちには多いからな。優しい人は、気苦労が絶えんものだ」
「私は別に……。彼があまりにも、雑用を請け負いすぎているのを見かねて、少し手伝っただけですから」
黒服女は目線を落とした。同族嫌悪という指摘に、心当たりがあるのだろうか。
教授が口ひげを撫でている。
「だが大丈夫だよ。彼はそこまでバカな男ではない。本当に嫌なことや、相手のためにならないと思ったことは、きちんと断っている。そこが君とは違うところだな」
「……それは私に対する嫌味ですか」
「観察してわかったことを、報告しているだけにすぎん。それが嫌味に聞こえるのなら、君にとって図星ということではないかな。もう少し彼を見習ったほうが、良いということかもしれんよ」
「見習うなんて、そんな」
「結局のところ本当に譲れないものは、諦めたらいけないということだ。例えば、自分の人生だとか」
黒服女がハッとしたように顔を上げ、教授を睨んだ。
「そういえば最近また、古いバージョンの人工知能を掘り出しているようだが、一年前に凍結したアレを復活させてどうするつもりなのかね。まさか事故に遭う前の、博士の思考をトレースでもしようとしているなんてことは」
「いえ、そんなつもりは」
「あれはもう今の彼とは違ってしまっているから、研究対象としては、意味がないと思うんだがね。執着するのは良くないよ。君のためにも、彼のためにも。忘れたまえ」
教授は黒服女の肩をポンと叩いて、二杯目のコーヒーを注ぎに行った。
「私は記憶力だけはいいんです。彼のように簡単に忘れることはできません。ですが、わざわざ助言いただいたことは感謝いたします」
黒服女は右手首をぎゅっと握った。赤い紐がちらりと見える。
ミサンガというやつだろうか。なにか願掛けでもしているのかもしれない。あんな紐にすごい力があるとは思えないが、人間の女というのは、よくわからない呪いなんかが好きなものなのだ。
私だって、似たような願掛けをしていた。もちろん効果なんかあったら、今こんなところで文鳥になんか、なっていない。
「この研究室の黒幕である君に、助言だなんて、そんな大それたことは、怖れ多くてワシには無理だ」
「黒幕ってなんですか。私は何も企んでませんけれど」
「スライドなんかをやるときに、いつも君が黒幕を取り仕切っとるじゃないか。元々の歌舞伎用語で言えば、君は黒幕ということになる」
「それはそうですが。そういう意味では、今はほとんど使いませんし」
「予算の申請も、ほとんど君が行っておるだろ」
黒服女が、面倒臭そうな素振りをちらりと見せる。
「誰もやらないから、仕方なくやってるだけです」
「つまり君は名実ともに、この研究室の黒幕だということだ。それにこのところ、いつも黒い服ばかり着ておるからな。立派な黒幕だよ」
「そんなこと言われましても」
教授は、口ひげを触りながら言った。触りすぎではなかろうか。きっと癖なのだろう。
「そう言えば、君が博士と一緒に作った、新作アプリ『家庭教師AIくん2号』の試作品、結構評判がいいそうじゃないか」
「おかげさまで。正式なリリースはまだ先ですが、手応えはありますよ」
「良いね。第一弾の時は買い切りのみでも、結構な売り上げがあったようだが、今回の第二弾は、今流行りの課金要素なんかも入れてみてはどうだね。もっと儲かるかもしれんよ」
黒服女は苦笑する。
「それはどうでしょうか。元々人工知能の研究開発が目的なので、別に儲けるためではありませんし」
「そうかな。君は今のうちに自分の切り札を用意しておいたほうが、良いと思うのだがね」
「切り札?」
黒髪の女は怪訝そうな顔をした。教授は口ひげを撫でている。
「今後生み出される資金を、こっそり秘密結社に流す準備を、しておかないといけないだろうから」
「はい?」
しばしの間、冷たい沈黙が部屋に蔓延した。
「そのわかりにくいジョークも、いい加減にしないと、本気で怒りますよ、教授」
黒服女の右手には、ボールペンが強く握られている。腕が震えているようだ。今にもへし折られそうな勢いである。
文鳥になってからというもの、あのような尖ったものは、やたらと恐怖を感じるのは気のせいだろうか。
もしあのボールペンがそばにあったら、やたらめったらとつついてしまいそうだ。とにかく何かしら危険な予感しかしない。
「おぉ、ついに伝説のボールペンが見られるのか」
「伝説のボールペンってなんですか」
「斉藤から聞いたのだが、過去に君を怒らせた時に、何度かボールペンによる粛清が、行われたという噂を聞いてな。触れてはならないことを探ったワシは、とうとう粛清されるのだろうか。実にワクワクするではないか」
真面目な顔をした教授と、無表情の黒服女が会話していると、どこまで本気なのか冗談なのかよくわからない。
重すぎる沈黙を切り裂くように、扉が開いた。