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文鳥は斉藤を殴りたい。  作者: 入口トロ
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4 もしかして鳥にも厄年とかあったりするのだろうか。

 蝉がうるさく鳴いている。なぜあいつらは、あんなに狂ったように鳴きわめくのか。


 今までずっと意味がわからなかったが、今日の私は、その気持ちが少しだけわかる。同じように鳴きわめきたい気持ちでいっぱいだ。


 とにかく暑い。博士の部屋が暑すぎるからだ。オンボロアパートの時点で、嫌な予感はしていたが、私が住み始めた翌日に、クーラーが壊れるというアクシデントに見舞われた。


 よりによって、今年の最高気温を突破した日に故障とは、前途多難である。


「ごめんな。夕方には修理の人が来るみたいだから」


 窓を開けっ放して、扇風機を回しているが、ぬるい風がかき回されているだけで、一向に涼しくならない。せっかく水を新しくしてもらって、水浴びをして暑さを乗り切ろうとしても、その水すら、すぐにぬるくなってしまう状態だった。


 博士の首筋にも、汗が粒のようになって流れている。黒いTシャツの襟ぐりには乾燥した塩の結晶が浮かんでいた。肌から流れる汗がすぐに蒸発して、また濡れてを繰り返すぐらいに暑いのだ。


「このまま部屋に置いていって、大丈夫かな。鳥も熱中症になったりするんだろうか」


 博士は心配そうに、鳥カゴの中の私を見つめている。


 無理やり押し付けられた私のことを、こんなに心配してくれるなんて、やっぱり博士はいい人のようだ。斉藤とは大違いである。


 博士はさきほどから、いろいろとネットで調べたり冷蔵庫を開けたりと、部屋の中をうろうろと歩きまわって忙しい。温度計を睨みながら博士が言った。


「今日の最高気温とやらを、すでに超えちゃってるんだが。どうしたもんだろう」


 博士は鳥カゴを開けると、カゴの四隅にティッシュを巻いた保冷剤を置いた。少しだけひんやりとした冷気が漂ってくる。


「これで少しはマシだといいけど」


 少しはマシだぞという気持ちを込めて、チチッと鳴いておいた。


「餌も水もちゃんと変えて……よし、これで大丈夫かな」


 そういえば、先ほど開けていた冷蔵庫には、何も食料らしきものは見当たらなかった。昨日この家に戻ってきてから、博士が食事らしきものをしているのも見ていない。


 少食なのか、それとも、こんなオンボロアパートに住んでいるぐらいだから、貧乏すぎて食費を節約しているのかもしれない。私の心配をしてくれるのはありがたいが、博士も少しは、自分の体の心配をしたほうが良いのではないだろうか。


 デジタルの置き時計を見た博士が声を上げた。


「やばい。もうこんな時間か」


 博士が着替えようとするも、汗だくになっているせいで、シャツが絡み付いて、脱ぐのに手間取っているようだ。


「だから汗の機能はいらないって言ったのに。でも先輩、凝り性だから……」


 汗の機能? 先輩が凝り性とは、何の話だろう。だが私は言葉がしゃべれるタイプの鳥ではない。質問などしようがないのだから、黙っているしかないのだ。


 男の着替えは斉藤で見慣れているが、色白でヒョロっとしたもやしっ子の斉藤と比べると、博士の体は筋肉質だった。


 それもムキムキのボディビルダーのような、いかにもジムで鍛えましたという不自然な筋肉ではなく、しなやかで引き締まったいい筋肉だ。さすがにボルダリングをやっているだけあるということだろうか。


 斉藤の裸を見てもなんとも思わなかったが、博士の裸はちょっとだけドキリとしてしまった。文鳥になってしまった私が、人間の男を見て鼓動が早くなるなんて、少々変な気持ちである。私は疲れているのだろうか。


「やっぱり連れて行こう。研究室の方がマシなはず」


 着替え終わった博士は、カバンと鳥カゴを手にして部屋を出た。





 外も灼熱地獄である。アルファルトから照り返す熱気が半端ない。夏の地球は、いくらなんでも本気を出しすぎだ。


 いったい地球は何がしたいのか。生息している生き物をそんなに苦しめたいのか。地球と話すことができるのなら、小一時間ほど説教したい気持ちである。


 私はといえば、またしても鳥カゴの中で揺られて、すでにグロッキー状態になっている。まだ厄日は続いているようだ。もしかして鳥にも厄年とかあったりするのだろうか。


「大丈夫か、シロ。もしかして揺れて気持ち悪くないか」


 時々カゴの中を覗いて、心配そうに博士が声をかけてくれる。


 まったくもって斉藤と大違いである。なるべく揺れないように、気を使って運んでくれているのがよくわかる。暑くて揺れるという状況は同じでも、少しの気遣いで、こんなにも違うということを、私は学習した。


 やはりペットにとって、飼い主の良し悪しは大きく影響する。この博士という男は、間違いなく良い部類だ。何があってもこの男についていこうと、私は心に固く決めた。


 まぁもちろん私には、選択肢なんてものは存在しないのだけど。




 大きな門が見えた。博士が通っている大学の正門のようである。誰もが名前を知っているような、有名大学だった。なかなか手間と金のかかっていそうな立派な門だ。


「もうちょっとだから、我慢してくれよ」


 まばらに行き交う学生の間を縫うように、博士が大学の構内へ入るとすぐに脇道にそれた。緑に囲まれた細い道を通っていく。道を抜けると小さな公園のような場所に出た。


 白いベンチが木漏れ日に照らされている。


 それまで通ってきた場所に比べると、少しだけひんやりとしている。吹き抜けた風が木々を揺らす。こんな場所を飛び回れたら気持ちよさそうだと思って、チチッと鳴いて飛んでみる。博士は足を止めた。


「ここ気持ちいいだろ、秘密の庭への通り道みたいで。このあたりは、大学で一番好きな場所なんだ」


 鳥カゴを覗き込んで博士が微笑んだ。なかなかいい笑顔である。


 カゴごと運ばれて酔ったせいで、気持ち悪いのはどうしようもないが、こんなにいい笑顔が見られるのなら、我慢した甲斐があったというものだ。


「もうすぐだ、頑張れシロ」


 そう言った博士が、私を連れてたどり着いた場所は、大学の離れにある研究室だった。長い廊下には、いくつもの扉がある。その中の一つを開けて、博士は入室した。


 机がいくつか並んでいる。本だらけで片付いていない汚い机もあれば、整理整頓されている机もある。その中でも一番綺麗な机の上に、博士は鳥カゴを置いた。どうやら博士は几帳面な性格のようだ。


「ここならクーラーが効いてるし、うちより安心だろ」


 机の上に置いた鳥カゴを、博士が覗き込んできた。クーラーの涼しい空気のおかげで、体もかなり楽になった。大丈夫だと返事をするつもりで、小さくチチッと鳴いておいた。


 部屋の奥に座っていた老人が、私の鳴き声に反応したように作業の手を止めた。顔を上げて私を見ている。


「なんだ、それは」

「すみません、教授。うちのクーラーが壊れてしまいまして。家庭教師のバイトが終わったら、すぐに戻るので、しばらく置かせてください」


 教授と呼ばれた老人が、椅子から立ち上がり、こちらに近づいてきた。白い綿シャツにサスペンダーをつけている。髪も口ひげもロマンスグレーで、いかにも頭の良さそうな老紳士という佇まいだ。鳥カゴをじっと眺めて、気難しそうな表情をした。


「なんだ。次は鳥の研究でもするつもりか。確かに鳥が思考していると実証された例が、ヨウムであった気がするが、さすがに鳥をモデルにした人工知能は、先鋭的すぎるのではないかな」


「違いますよ。研究対象ではありません。シロって言うんですが、斉藤のペットです。お母さんが倒れたから、実家に帰るって言うんで。その間、預かってるだけです」


「なんだ、斉藤か。彼の言うことは、話半分で聞いておけよ」

「あーまぁ、はい」


 博士は、苦いものを口にしたような、なんとも言えない表情をしている。斉藤の本性はしっかりバレているようだ。やはり、わかる人にはわかるようでなによりである。


 教授は人差し指を鳥カゴにつっこんできた。その指先からヤニっぽい臭いが漂っている。どうやら教授はヘビースモーカーのようだ。


 以前、斉藤の部屋に遊びに来た友達にも、同じ臭いをさせているやつがいた。私がそばにいるのを承知で、何本もタバコを吸われて、不愉快な気持ちになったことを思い出す。


 まったくもって斉藤といた時は、ろくなことがなかった。今思い出しても腹立たしい。やはり斉藤は殴るべきかもしれない。


 嫌な臭いがする指から離れるように、なるべく私は、宿り木の隅っこに逃げることにした。


「おや、嫌われたかな」

「教授の指が、タバコ臭いからじゃないですか」


「なんだ。てっきりワシの指先から放たれた、暗黒エネルギーに、恐れをなしたのかと思ったよ」


 教授は真面目な顔をしている。ちょっと何を言っているのかよくわからなかったが、ジョークのつもりだったのだろうか。


 微妙な空気が流れる中、博士は呆れたような表情をして、小さな咳払いをした。


「教授、真顔で冗談を言うのは、やめたほうがいいですよ。突っ込んでいいのかわかりづらいんで。みんな困ってますから。じゃ、しばらくシロのことお願いしますね」


 少しだけ遠慮気味にそう言った博士は、研究室を出て行った。家庭教師のバイトに行ったようだ。研究室は静かになった。


 研究室には私と教授だけが残された。


「なんだ。みんな困っていたのか。それは知らなかった」


 教授は肩を落としている。落ち込んでいるのだろうか。


 ちょっとばかし、さっきは拒絶しすぎたかもしれない。悪いなとは思ったが、タバコの臭いが苦手だということが早めに伝わったのは、私としては助かるのだが。一応お詫びの気持ちとして、申し訳ない程度にチチッと鳴いておいた。


 教授がじっと見ている。まるで実験動物を観察するかのように、見る角度を変えるためにカゴの周りをうろうろしている。なんだか気まずい。


 口ひげを撫でながら教授が言った。


「なんだ。犬や猫と違って、ぱっと見では性別はわからんのか」


 私はメスだ。チチッと鳴いて、そう伝えたかったがもちろん伝わらない。


 前に一度だけ斉藤が、お見合いシーンの撮影だと言って文鳥を連れてきたが、相手が求愛のぐぜりを歌ったりダンスを踊ったりもせず、近寄ることも一言の会話もないままで、なんだかおかしいなと思っていたら、どうやら相手が同じメスだったということがわかり、破談に終わったことがある。


 さすがは斉藤である。メスとメスをお見合いさせるなんて、残念な斉藤ぐらいしかやらない。


 たぶん私をオスだと勘違いしているのだろう。おかげで私は未だに処女ならぬ、処雌である。


「ずっと不思議に思っていることがあるのだが」


 顔を上げると、教授がカゴに顔を近づけてじっと見ていた。うっすら笑った気がする。なんだか怖い。


「君たちのような文鳥くんは、生まれた時から、そんなに姿は変わらずに成長するのに、どうしてニワトリというやつは、ああも変貌してしまうのだろうか」


 教授は神妙な顔をしている。ふざけているつもりはないようだ。そんな話を文鳥の私に聞かせて、何がしたいのだろうか。あまりにも理解不能で、首をかしげるしかない。


「ヒヨコの時はそれはそれは可愛らしいのに、大人になった途端に、あの真っ赤なトサカに、キック力のある足、戦う気満々の勇ましい姿になってしまうのは、なぜだろうか」


 そんなことを言われても。知らんがな、である。


「どうして、隙あらば相手を攻撃するような、凶暴な性質になってしまい、あのように奇怪な鳴き声を放つようになってしまうのか。とても不思議でならなかったのだが。君は何か知らないかね」


 この世界を作った、神様にでも質問して欲しい。


「なんだ。知らんのか。それは残念だ」


 私は首をかしげていただけなのに、否定をしたのだと、勝手に解釈されてしまったらしい。言葉は伝わらないが、真意が伝わったのなら、それでよしとしよう。


「実はつい最近、小学生に入ったばかりの孫娘が、ひょんなことからヒヨコを手に入れてしまったようでな。いじめっこが嫌がらせのつもりで、勝手にカバンに入れてきたそうだ。それも毎日一羽ずつ、合計七羽になるまで続いたらしい」


 今時の子供は、なかなか変わったいじめをするものだ。いや、それもしかして、小学生の男子が、好きな子にいじわるしちゃう系なのではないか。


 などと思ったりしたが、私には意見する義理も能力もないので、適当に相槌を打つように、チチッとだけ鳴いておいた。


「本人はヒヨコは可愛いから、まぁいいか、などと呑気なことを言っていたのだが、まさかあのような姿になるとは、想像だにしていないようでな。いずれは凶暴な姿に成長してしまうのだとワシが説明しても、どうしても理解してくれないのだよ。ニワトリの実物を見せても、あの可愛いヒヨコとは、まったく別物だという認識のようだ」


 小さな子供に、それを理解しろというのは、確かに難しいかもしれない。時間が解決するとしかいいようがないのかもしれないが。


「ワシも若かりし頃は、いつかは遺伝子操作によって、ヒヨコのままでいられるようになったりしないのだろうかと考えていたものだが、未だにその技術は実現されていないようだし。このままではきっと、七羽のヒヨコがすべて、凶暴なニワトリに成長してしまった時に、孫は絶望してしまうのではないかと、気が気ではないのだが」


 教授は口ひげを撫でながら、私のほうをじっと見た。


「文鳥くんを黄色くして、すり替えるというのを考えてみたのだが、どうだろうか」


 どうだろうかもクソもあるか。そんなこと許されるわけないだろ。

 そう思いながら、私は抗議するように、チチッと鳴く。


「冗談だよ。さすがにワシの孫は、そこまでおバカさんではない。ほかの方法を考えねばならんな」


 教授はニヤリと笑みを浮かべる。

 もしかして博士が戻って来る前に、うっかり実験とかされたらどうしよう。


 なんてことを考えて少々ビビっていたが、その心配は杞憂に終わったようだ。教授は興味を失ったのか、部屋の奥に戻って、自分の机で作業をし始めた。




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