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文鳥は斉藤を殴りたい。  作者: 入口トロ
3/29

3 脳みそはちっこいけれど、鳥にだって感情はあるのだ。

「俺だって離れるのは辛いよ。でも実家までシロは連れてけないし」


 斉藤がまた嘘をついている。離れるのが辛いだと? どの口がそれを言うのだろうか。一ミリもそんなことは思っていないくせに。


 博士に本当のことを教えてやりたいが、あいにく私はただの文鳥だ。いくらさえずっても、羽ばたいて見せても、私の気持ちなんて伝わらない。それが歯がゆい。


 そもそも斉藤が私を飼い始めたのだって、不純な動機でしかない。好きなアイドルの推しメンが、白い文鳥のことが好きだった、それだけだ。


 斉藤が急に文鳥を飼いだしたのも、写真に撮って、SNSに投稿しまくっていたのも、なんとか文鳥好きのアイドルに興味を持ってもらおうとするための、道具にされていただけなのだ。本当に文鳥が好きだったわけではない。


 だからこそ推しメンが、年の離れた男とできちゃった結婚をして、アイドルグループを脱退したというニュースが流れた瞬間、斉藤は私の写真をぱったりと撮らなくなった。


 わかりやすい男である。それからずっと捨てるわけにもいかないから、仕方なく世話をしていただけだったのだ。


 最近はやたらとネットで、猫の画像を見ているなと思ったらこれだ。新しく見つけた結衣ちゃんというアイドルの推しメンが、猫好きだったというオチが待っていたわけだ。あんまりにもほどがある。


 私は今まで半年という短い期間とはいえ、斉藤という男に飼われていた恩義もあるし、ペットなんだから飼い主のいいなりになるのは、ある程度は仕方がないと思っていた。


 だが、ものには限度というものがある。ずっと道具としてしか見てもらえてなかったのはわかっていたし、これだけ嘘をついてまで、誰かに押し付けようという態度を見せられると、もう飼い主に対する感謝の気持ちなんてものはない。


 正直もっとマシな飼い主の元に行けるのなら、ありがたいぐらいである。


「でも大家さんに見つかったら、あんまりよろしくないしな」


 博士はしぶっている。当然の反応である。無理なものは無理と断るべきだ。


 もしトラブルに巻き込まれたくないなら、断固とした態度をとったほうがいいし、騙されて押し付けられるというのは、博士が可哀想である。


 けれど背に腹は代えられぬ。もうこれ以上連れまわされるのも限界だ。もしここで断られたら、今度こそ斉藤が保健所へ向かって、私が処分されてしまう可能性だってある。それだけは避けねばならない。


 文鳥に転生したというのは不本意ながら、しぶしぶ受け入れていたとはいえ、だからといって、必要なくなったからと不可抗力で殺されるのも気分が悪い。


 もし今度死んだら、うっかりゴキブリなんかに転生でもしたら、目も当てられない。殺虫剤をかけられて死ぬなんて、無様な死に方はごめんだ。


 正直な話、この博士というメガネ男は真面目そうだし、嘘つき狼青年の斉藤よりは、まともな人間だろう。飼い主はこの男になったほうが、私としては喜ばしいことなのかもしれない。


 博士には悪いが、これはもう事故だと思って、諦めてもらうしかないのではないのか。


 練習で疲れているせいか若干顔は怖いが、よく見れば地味なさっぱり系とはいえ、結構いい男である。受け答えも誠実そうだし、斉藤より仲良くやっていけるかもしれない。


 そうだ、きっとこれはピンチではない。チャンスなのだ。


 狼青年こと斉藤よ。なんとか理由をつけて、この男に私を引き取らせろ。そのためなら嘘をいくらついても許してやる。最後の最後に、心から応援してやる。頑張るがいい。


 能ある鷹は爪を隠すというではないか。その全然隠しきれていない嘘つきの能力を、今こそ炸裂させるべきである。


 斉藤が本気を出せば、その適当な嘘つきっぷりは、さらなる高みに到達するはずだ。


 私は信じてもいない神に、必死に祈りを捧げていた。

 どうか斉藤がうまく博士を騙せますように、と。


「ほかのやつにもそう言われて断られたんだよ。でもきっとお前なら助けてくれると思って。親友だろ。頼むよ」


「親友って。最近は試験のノートを借りに来るときと、合コンのメンツ合わせのときしか連絡してこないやつに、親友って言われると、いろいろ言葉の定義に揺らぎが生じるというか」


「そんなこと言うなよ。心配なんだよ。俺がいない間に、シロがうっかり部屋で死んでたりしたらと思うと……」


 斉藤は泣きそうな顔で懇願している。涙なんて一粒も出ていないうちから、目元に手をやって、涙を拭う素振りをしている。


 どうせこれも嘘である。本当はこれっぽっちも心配なんかしてないくせに。この斉藤という男は、嘘を突き通すためなら、涙ぐむ素振りならいくらでもやる。そういう男である。


 いいぞ。もっとやれ。頑張って泣き落とせ。


「博士は、シロがどうなってもいいっていうのか」


 斉藤にそう迫られた博士が、困ったような顔で、私のことをじっと見ている。


 アピールするチャンスだ。

 ほらこの白い羽根を見ろ。桜色の美しいくちばしを。このつぶらな瞳を。気になるだろ。もし優しくしてくれるなら、手の平の中で眠ってやってもいいぞ。


 私のアピールを見た斉藤が、すかさず合いの手を入れるように畳み掛ける。


「こんなに可愛いんだぞ。可哀想だろ。すぐに死ぬよ。死んじゃうよ」


 勝手に殺すな。だがこのまま行き先が決まらないと、本当に死ぬかもしれない。


 私は宿り木の上で、小刻みに飛び跳ねる。オスのように、ぐぜりと言う求愛の歌やダンスはできないけれど、できる範囲で必死に可愛く振る舞った。


「わかった、わかったから」


 思いのほか博士は、あっさりと陥落した。


 斉藤の嘘泣きに騙されるぐらいなら、きっと博士はお人好しだろう。それならば好都合だ。人情に厚い人間なら、斉藤のように自分の都合で私を捨てるようなことはしないはず。


 だが唯一のネックといえば、博士が住んでいるのが、ペット禁止のアパートだという点。いつ大家に見つかるか。それが私の鳥生の分かれ道になりそうだ。


「いいのか。ありがとう。これ餌な。世話の仕方は、まぁ適当にネットでググってくれ」


 餌の袋をリュックから出して、博士が持っている鳥カゴの上に乗せた。世話の仕方すら自分で調べろという斉藤は、情け容赦のない極悪人である。


「あとこれ」


 斉藤はボロボロになったリモコンを取り出した。


 それを見ると、なぜだかわからないが私はうずうずした。ボタンのやわらかそうな部分を見ると、無性にかじりつきたくてしょうがない。


 そう。特にその丸いぽっちのところとか。柔らかいぽにょっとした感じが実に良い。この感覚、人間にはわかるまい。私だって、人間だった時はわからなかったのだから。


「部屋で遊ばせてたら、なかなかカゴに戻りたがらない時があるんだ。そういう時はこれ置いといたら、すぐに食いつくから。じゃ、しばらく頼むわ」

「しばらくって、いつまでだよ」


「とりあえず一週間。でも長引いたら、夏休みいっぱいぐらいになるかもな」

「またそんな曖昧な」


 本当は二度と引き取るつもりなんかないくせに、しばらくということにしておかないと、博士に引き取ってもらえないと思ったのか、斉藤はまた適当な嘘を言ったようだ。


 けれど、本当に夏休みが終わったら、どうするつもりなのだろうか。


 もしかしたら博士が、しばらく飼っているうちに情が移って、自ら飼いたいと申し出ることを期待しているのだろうか。


 いや、そこまで考えていないだろう。どうせいつもの行き当たりばったりで、この場さえ乗り切れば、それでいいと思っているだけかもしれない。


「また連絡するから。じゃ、よろしくな」


 そう言った斉藤は、まるでスキップでもしているのではというぐらい、軽やかな足取りでジムを後にした。きっとその足でペットショップに向かい、アイドルの推しメンが飼っているのと同じ猫を購入するに違いない。


 どうか斉藤が飼い猫にまったく懐かれずに、ひどい目に遭いますように……なんてことは願ったりはしない。そこまで私はゲスではない。


 むしろ、これであの嘘つき男の茶番に付き合わされることもなくなると思うと、実にせいせいする。


 別に悲しくなんかない。そう思おうとするけれど、やっぱりちょっと寂しかった。


 脳みそはちっこいけれど、鳥になった私にだって感情はあるのだ。私を厄介払いできたからといって、あんなに喜ばなくてもいいじゃないか。


 あんまりだ。やっぱり斉藤を殴りたい。


「どうしよう。鳥は飼ったことないけど、本当に大丈夫かな」


 鳥カゴを手にした博士は、途方にくれたような表情をしていた。


 ふいに何かに気づいたように、カバンが置いてある場所へ向かう。スマートフォンを出して、じっと見ると声を上げた。


「しまった。明後日から合宿だ」


 博士はスマートフォンと鳥カゴを見比べて、うーんと唸っている。


「兄ちゃんは今、猫飼ってるし。弱ったな」


 突然、厄介者を押し付けられた博士には同情するが、あんな嘘つき男と友達になるほうが悪いのだ。世の中はわがままな人間を中心に回っている。振り回される側に拒否する権利など初めからないのだ。


「まぁ、なんとかなるか。今の僕だって、なんとかなってるわけだし」


 博士は考えるのをやめたのか、じっと私を見て、しっかり目を合わせてから言った。


「とりあえず一週間よろしくな、シロ」


 博士が鳥カゴに人差し指を入れる。握手のつもりだろうか。


 私は宿り木をぴょんぴょん跳ねて、博士のそばに移動してみた。爪をつついていると、指先で首や頭を撫でられた。


 思ったよりひんやりしていて、なんだか気持ちいい。もっと撫でて欲しい。そう思いながら私は、頭や体を博士の指に擦り付ける。


「これは確かに可愛いな」


 少しだけ博士が笑った気がする。悪くない。いや斉藤に比べたら百倍良い。


 むしろ好みだ。真面目そうな口ぶり、誠実そうな表情、初対面で鳥を夢中にさせる指使い。これはなかなか良い人間だ。


「初心者だから迷惑かけるかもだけど、しばらく我慢してくれよな」


 斉藤にかけられた迷惑に比べたら、きっと博士にかけられる迷惑なんて、大したことはないだろう。


 とりあえず私の新しい飼い主が決まったようである。今すぐ鳥生が終わるという、最悪の事態は避けられた。素直に喜ぶことにしよう。


 もし大家に見つかったらどうしようとか、夏休みが終わった頃にどうなってしまうのか……なんてことは今は考えたくもない。


 私にはどうしようもないことだから、考えても仕方がないからだ。運良く生き延びられることを祈ることしかできない。


 真っ白な入道雲が、青空に広がっていた夏の日、こうして私と博士の共同生活が始まった。




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