29 文鳥は斉藤を殴りたい。
入ってきたのは博士ではなく、斉藤だった。
非常用の鍵を持っていると話していたから、それを使って勝手に入ってきたのかもしれない。
「やっぱりいねぇな。なんだスマホ忘れてったのかよ。いい加減なやつだな」
さっき電話をかけてきたのは、斉藤だったようだ。訪問する前に電話をかけるということを学習したようだが、少なくとも『キングオブいい加減』な斉藤にだけは、『いい加減なやつ』だなんて、博士だって言われたくはないだろう。
「博士さんって人、そんなにいい加減なんですか。でも、誰にだって、失敗ぐらいありますよ」
そう言いながら、斉藤に続くように部屋に上がってきたのは、見覚えのある男だった。二度と会うとこはないと思っていた、あの男子バスケ部の部長をしていた、愛しの先輩ではありませんか。
どどど、どうして、こここんなところに。
心の中でカミカミである。気持ちはわかるが、もう少し落ち着け自分。これでは斉藤のことは笑えない。
「さっき話してたのが、このミミちゃん。な、可愛いだろ」
「本当だ。SNSの投稿写真で見たのと、そっくりですね」
部長は満面の笑みを見せる。今日も笑顔が眩しい。どこからどう見てもイケメンで爽やかだ。
あの事故から半年以上も経っているのに、文鳥の姿になってもなお、キュンとしてしまう。女子高生だった頃の恋心は、そう簡単に消えるものではないらしい。きっと部長は、大学生になってからも、いろんな女の子をキュンキュンさせているのだろうか。
ふわりと白猫を抱き上げた。
白猫は部長の胸に抱かれている。フサフサの頭や喉を撫でられた白猫は、うっとりとした目で、部長を見つめている。
なんて、なんて羨まけしからん。
わ、私だって、私だって撫でてもらいたいっ。
「なんなら、僕が飼いましょうか。この子可愛いし」
可愛いとか言われちゃってるし。私だって言われたいっ。
白猫が勝ち誇ったような表情を浮かべている。
まただ。また目の前で美味しいところを持って行かれる。こんなことなら、私だって猫に生まれたかった。
結局、転生したって、こういうことになるのか。理不尽すぎる。この世界の神様は、そんなに私をいじめたいのか。
「マジか。助かるわー」
「兄さんが困ってるなら、お安い御用です。こういう場合は助け合いが大事ですもんね」
っていうか、兄さんってどういうことだ。盃を交わした的な、そういう慕っているという意味での兄さんなのだろうか。
「僕が生まれる前は、猫を飼ってたらしいんで。母もきっと喜びます」
部長の母親は、シングルマザーらしいと聞いたことがある。やっぱり親思いで、いい息子なんだろうなーなどと感心していたのに。
「結衣ちゃんが復活する日を、僕はずっと待ってますから。絶対に兄さんと同じ大学に編入して、結衣ちゃんと同級生の座を射止めます。兄さんには負けませんよ」
お前もかーっ!
部長の好きな女って、結衣ちゃんこと女子高生アイドルの猫宮なのかよ。なんてこった。どいつもこいつも。いい加減にしろ。
「おう、受けて立ってやる。だが結衣ちゃんは、無類の男嫌いだ。いくらお前でも、返り討ちにあうだけかもしれんぞ」
「兄さんと一緒にしないでください」
私も部長の意見に同意だ。
ジンマシンが出るかどうかのセンサーにされた分際のくせに。残念な斉藤と、紳士的な部長を同じにしないでいただきたい。
斉藤はニヤニヤとしている。
「甘いな。お前には俺と同じ血が半分流れている。俺でジンマシンが出たということは、お前にだって拒否反応が出る可能性はゼロではない」
半分同じ血? まさか、斉藤の父親の隠し子って、部長のことだったのか。兄さんって、本当に兄弟なのかよ。どうりで顔が似ているはず。
だがなんでよりによって、この斉藤と部長が、義理の兄弟だなんて。あー最悪だ。そんな情報知りたくなかった。なんてことをしてくれたんだ。本当に斉藤は余計なことしかしない。
イラついてしょうがないタイミングで、再び階段を上る足音がした。複数人が近づいてくる。今度こそ博士が帰ってきたのだろうか。
「なんだ、来てたのか」
玄関のドアを開けたのは、予想通り博士だった。だが、さらに背後には先輩と教授、孫娘もいる。足音が多かったのはそのせいのようだ。
六畳一間に入れる人数ではない。老若男女がぎゅうぎゅうに部屋に集まっていると、なんだか暑苦しい。酸素が薄くなっている気すらしてくる。
斉藤が博士たちの顔を見ている。
「みんなお揃いで、何しに来たんすか」
お前が言うな。だいたいここは博士の部屋であって、お前の部屋ではない。
「うちの孫がスコティッシュフォールドは、まだ一度も触ったことがないというから、連れてきたのだよ」
教授が孫娘の頭を撫でた。
「いずれ脅威となるやもしれん、ニワトリどもに対抗するために、なんなら新しく猫を招くという案もあったのだが。もう先約がいたようだね」
「すみません、教授。今、こいつが引き取ってくれるって話になってて」
斉藤がみんなに部長を紹介している。すぐにみんなと打ち解けたようだ。
初めての人ばかりでも、物怖じせずに対応できる部長は、さすがコミュニケーション能力の高さには定評のある男なだけある。人たらしなのは血筋なのか。だが、斉藤と同じ血が、半分も流れているとは思えないほどの爽やかさだ。
孫娘はキラキラした目で、手を伸ばす。
「猫ちゃん、触りたい」
部長がしゃがんで、孫娘に触れるように、白猫を差し出した。
「ふわふわ。可愛い」
孫娘はたっぷりと白猫を撫でる。なんで花音ばっかり。この前は私といっぱい遊んでいたくせに。なんだか、ものすごくムカムカしてきた。
もし斉藤が私を飼わなければ、こんな思いをすることはなかったのに。
あいつが白猫を飼わなければ。あいつが私たちを捨てようとしなければ。あいつが部長を連れてこなければ。何もかも悪いのは斉藤だ。
やっぱり許せない。
私は鳥カゴから飛び出して、斉藤の頭を突いた。
「いででで、シロ、やめろって」
誰がやめるか。何度も何度も。突いてやる。お前のせいだ。何もかもお前が悪い。
博士が首を傾げながら、鳥カゴと私を見比べている。
「あれ、なんでカゴの扉開いてるんだろう。ちゃんと締めたのに。どこか緩んでたりしたのかな」
「自分で開けられる子も、たまにいるらしいから。新しいのに変えたほうがいいかもしれないね」
先輩が答える。
濡れ衣だ。あんまりじゃなかろうか。扉を開けたのは、白猫の花音なのに。犯人呼ばわりするのはよしてください。
博士が心配そうに、私を見上げている。そんな顔したって、私は斉藤を突くことをやめるわけにはいかない。この怒りがおさまるまでは、ずっと。
「シロはなんで、こんなに怒ってるんだろう」
「ただ単に、斉藤にムカついてるだけじゃないのか」
先輩は腕組みをしながら、苦笑する。
その推理は正解だ。
「文鳥くんを博士に押し付けたりするからだ。因果応報というやつだな」
教授がいつものように、無表情のまま「ははは」という声を出して、不気味な感じで笑った。それにつられるように、私に攻撃されている斉藤を見て、博士も、先輩も、部長も、みんな笑っている。
笑い事じゃない。こんな男が存在するせいで、私はひどい目にあっているのだ。懲らしめてやる。最後まで責任を持って飼えないようなやつは、ペットなんて飼うんじゃねぇ。
特に、お前。斉藤のことだ。
どうか神様、私を人間にしてください。そうすれば、きっと斉藤を殴ってやれるのに。
あの実験を続けたら、いつか本当に人間みたいになれるかな。
でも文鳥って、きっとそんなに長生きじゃないはず。それまで生きていられるかどうかが、一番の問題だ。
たくさん実験して、いっぱい修行して、あの美少女義体を完璧に操って、いつの日か、絶対に斉藤を殴ってやる。首を洗って待ってろよ、斉藤め。
斉藤がぎゃふんとなる顔を想像しながら、その日が来るのを、心待ちにしていよう。
部長が白猫をケージに入れる。
「じゃあ、編入試験用の夏期講習があるので、そろそろ失礼してもいいですか」
教授の孫娘が、ちょっとだけ悲しそうな顔をした。
「猫ちゃん、バイバイ」
部長は後光がさしそうなぐらい、優しい菩薩のような笑顔で答える。
「遊びたかったら、いつでもうちにおいで」
「わかった。お兄ちゃん、大好き」
孫娘は部長に抱きついた。まだ恋を知らないはずの少女までメロメロにするとは。なんたるイケメンオーラ。
またライバルが増えてしまったじゃないか。どうしてくれるんだ。何もかも悪いのは斉藤だ。そうに違いない。
「俺も行かなきゃ。頼むよ、シロ。そろそろ許してくれよ。ほーら、お前の大好きなリモコンだぞ」
ぽにょっとしたボタンのついたリモコンだ。私はうっかり気を取られて、ボタンにかじりついた。顔を上げた時には、もう斉藤の姿はなかった。
やられた。してやられた。斉藤のやつ。バカにしやがって。
私を見た先輩が、クスッと笑った。くっそー、絶対バカな子だと思われた。
「じゃあ、猫問題も解決しましたし、私たちも解散しますか」
「僕もバイトがあるんで。シロ、おとなしく待っててくれよ。勝手に外に出たらダメだよ」
博士は私をリモコンごと、カゴの中に戻して、扉をしっかりと金具のようなもので固定してしまった。これではもう出られない。
きっとあの白猫に会うこともないだろうし、また普通の文鳥に逆戻りのようだ。
これから白猫は、ずっと部長と一緒に暮らせるのか。
羨ましい。でも、私だって博士と暮らせるから、それでいいんだもん。
そう思い込もうとしたが、やはり白猫のあのドヤ顔が忘れられない。
あーイライラする。必死に私はリモコンのボタンを突いた。何個かボロボロになってしまったが、知ったこっちゃない。
博士たちが部屋を出て行って、静かになるかと思ったら、教授が一人だけ戻ってきた。
「時に文鳥くん、確認しておきたいことがあるのだが」
なんですか、というつもりで私はチチッと鳴いた。
「ノートパソコンをいろいろいじっていたようだが、あの一連の会話文は、君と白猫によるものなのだろうか」
ば、バレてる。どうして。私たちが会話していたメモは、白猫が削除したはず。
「実は、博士にもし何があっても大丈夫なように、あのパソコンは研究室とつながっているのだよ。わかるかね、その意味が」
わかるけど、わかりたくないです。
「心配しなくても、あの入力された文字列のログは、まだ斉藤には見せておらんよ」
まさかなにか、私は恐喝でもされてしまうのだろうか。
「ここは言語のわかるもの同士、話し合いをしようじゃないか。もちろん、そんなに斉藤を殴りたいというのなら、協力は惜しまんよ」
怖くなって、私は宿り木を隅っこのほうまで、ぴょんぴょん跳ねながら移動した。
「もし、義体をもっと自在に操れるようになったら、君たちをアイドルユニットとして、売り出すことも可能かもしれんな」
アイドルユニット? なにそれ。ちょっと面白そう。
教授は少しだけ口元をあげて、うっすらと笑ったが、すぐに元の無表情に戻っていた。
「なんなら、これまでのことを手記にでもまとめたらどうかな。それを読ませれば、少しは斉藤も改心するかもしれない。……望み薄ではあるが」
手記をまとめる?
なんだか面倒なことになりそうな予感しかしない。どうやらこれからの私の鳥生も、ままならないようだ。
だが、もし本当に手記なんか書くことになったら、そのタイトルはもう決まっている。
絶対に『文鳥は斉藤を殴りたい。』にしてやろう。
なんてことを心に誓いながら、私はチチッと鳴いた。




