27 やはり、この猫は何かおかしい。普通ではない。
無事に実験を終えて、再び平穏な日々が訪れた。
博士がペット可な家を見つけるまでは、今しばらくは、このオンボロなアパートにやっかいになることになりそうだ。斉藤を少しだけ殴れたあの記念日から、数日が経ったある日、博士の家に斉藤がやってきた。
「博士、お前にしか頼めない。お願いがあるんだ。マジで頼むよ」
どこかで聞いたようなセリフだ。
今回は斉藤が持っているのは鳥カゴではなく、少し大きめなケージだった。中には、やたらと不機嫌そうな顔をした、垂れ耳の白い猫が入っている。例のスコティッシュフォールドだろうか。
「これ、預かってくれねぇかな。ちょっとの間だけでいいから」
博士は呆れた顔をしている。私だって呆れている。
「無理だよ。うちにはシロがいるのに」
「そう言うなよ。カゴに入れとけば、シロは大丈夫だから」
「だからって、さすがにずっと入れっぱなしってわけにもいかないだろ」
そうだ、そうだ。もっと言ってやれ。斉藤のお願いなんて聞く必要ないぞ。私も抗議をするようにチチッと鳴く。
「今ちょっと、うちの母さんが部屋に来てて。猫アレルギーだったらしくて、大変なことになってさ。しばらく頼むよ。母さんが帰るまで、ほんのちょっとだけだから」
どうせこれも、いつもの嘘だろう。また新しく好きになったアイドルが、違う種類のペットを飼っていて、猫が用済みになったというオチに違いない。
ちょっとだけ頼むなんて、永遠に引き取るつもりはないくせに。きっとこの猫も、私と同じ運命をたどることになるにちがいない。ご愁傷様である。
抗議をするように、白猫がニャーと低い声で唸る。よっぽどご立腹のようだ。
こんな馬鹿な男に飼われたこと自体が間違いなのだ。避けようのない不幸というやつである。だが少なくとも、斉藤に飼われるより、博士に飼われたほうが、幸せなのは間違いないだろう。
ただ私が文鳥である以上、猫と同居なんてごめんだというだけの話である。またしても、私の鳥生がピンチを迎えているのかもしれない。
博士が受け取るのをしぶっていたら、斉藤のスマホに着信があった。もちろん断りもせずに、電話に出る。そういう男である。
「すぐ行くから。だーかーらー、行くってば」
アイドルの追っかけをしている仲間かなにかだろうか。時間が押し迫っているという演出のために、偽装工作している可能性すらある。この男ならやりかねない。
「わりぃ、ちょっと待ち合わせしてて、時間がないんだ。じゃあ、頼むわ。餌これな。好きなおもちゃはこれ」
斉藤はキャットフードの袋と、いくつかのおもちゃをケージと一緒に押し付けている。
「おい、ちょっと、だから困るって」
博士の言葉も聞かずに、そのまま出て行ってしまった。まったくもって勝手な男である。
こうして私は今日から、この白猫と同居する羽目になってしまった。白猫はさらに不機嫌そうな、低いうなり声を出した。
私だって、負けじと不愉快だという意思表示をするために、チチッと鳴いた。
しぶしぶといった形で、猫を引き取ることになってしまった博士だが、やはり誠実な人間だけあって、白猫のためにトイレの砂や、寝床となりそうな猫用クッションなど、いろいろと準備をしたようだ。
普通に考えたら、それらはすべて斉藤が用意すべきものである。まったくもって、ろくでもない男だ。
博士はそろそろ斉藤を殴っても許されるのではないのか。私だって殴りたい。
スコティッシュフォールドの白猫は、用意されたクッションには興味がないのか、部屋のあちこちの匂いを嗅いで、調査し終わると、さも当たり前というように、私のカゴの前に来た。
じーっと眺めている。ロックオンされてしまったのだろうか。
カカカカッと、獲物を狙う時の謎の鳴き声をあげている。
怖いです。食べないでください。きっと食べても美味しくないよ。でも一応は鳥だし、もし美味しかったらどうしよう。
斉藤が本当に、ほんのちょっとで戻って来るかどうかは、定かではないが、とりあえずしばらくは、私はカゴの中に閉じこもっていたほうが良さそうである。
博士が心配そうに、私と白猫を眺めている。
「研究室に行ってる間、なるべくおとなしくしててくれよ」
白猫はわかっているのかいないのか、ニャーと返事をした。
博士が荷物をまとめて出て行くと、部屋には私と白猫だけが残された。しばらくの沈黙の後、白猫が軽やかにジャンプして、ちゃぶ台の上に飛び乗った。
テレビのリモコンを器用に押すと、スイッチが入った。まさかこの猫は、自分でテレビを見ることができるのか。
斉藤が操作しているのを見て覚えたのだろうか。それにしたって、あの男の家にやってきたのは、つい最近のことだと思うのだが。
そんなに短期間で、こんな芸当ができるものなのか。よくわからない。稀にみる天才猫というやつなのかもしれない。
テレビの中では、お笑い芸人が漫才をしている。私が昔、人間だった頃に好きだったお笑いコンビだ。少し癖があって、女子に厳しい毒舌系のネタが多く、好きな人は好きだが、嫌いな人は嫌い、そういうタイプのお笑い芸人だった。
そういえば、幼馴染の花音も、このコンビを好きだったなと思い出す。特に女子高生には嫌われがちな芸風だったこともあり、このコンビを好きだというのは、私の周りには花音ぐらいしかいなかった。
昔から好きな男の趣味といい、やたらと好みは似ていたのだ。だからこそタチが悪かった。
似ているのに。同じことをしているのに。必ず負ける人生に疲れてしまった。だから私はあの時、死を願ってしまったのだ。
不意になんだか寂しくなった。あんなに目の上のたんこぶで、離れたくても離れられなかった幼馴染が、嫌で嫌で仕方がなかったのに。こうしてしばらく会わないと、懐かしくなってくるから不思議だ。
とはいえ、今頃はバスケ部の部長と、仲良くしていたりするのかもしれないと、想像するだけでイラっとする。
だが、テレビの中で、お笑いコンビが渾身のギャグを決めた。あまりにもそのギャグが面白かったので、うっかり心の中で笑って、ちょっと反応してしまった。
つい面白いと無意識のうちに、笑いすぎてくしゃみが出る。人間だった頃と同じ癖だ。
まったく同じタイミングで、白猫もギャグの流れたポイントに合わせて、体や尻尾を揺らしている。どう考えても、この白猫も漫才の内容を理解して、笑っているようにしか見えない。
まさか。そんなわけあるまい。猫が漫才を理解するなんて。
いや、人語を理解していそうな猫というのは、案外いそうだから、ごく稀にその領域まで行ける猫だった可能性もあるのかもしれないけども。
さすがにリモコンスイッチとコンボでというのは、ありうるのだろうか。もし、そんなことがありえるとしたら……。
私が思わずチチッと鳴いたら、白猫がこちらを、ちらりと見た。何か言いたげに、ニャーと鳴いた。
のそりとちゃぶ台から降りると、今度は段差を利用して、博士の勉強机に飛び乗った。机の上には、あまり猫が悪さをするとよろしくないものがいくつかある。ノートパソコンや、ミサンガもその一つだ。
お願いだから、博士が帰ってくるまで、余計なことはしないで欲しい。
私がチチッと鳴いて警告をしようとしても、白猫はノートパソコンの前に、足を揃えて鎮座した。
やめろ。さすがに猫がおもちゃにして良いものじゃない。
私の心配をよそに、白猫はノートパソコンに向かって、前足を差し出す。さきほどテレビのリモコンを使ったように、またしても器用にノートパソコンの電源を入れたようだ。
白猫は立ち上げたパソコンの前に座り、前足の爪を使って、一つずつキーボードを打っている。
やはり、この猫は何かおかしい。普通ではない。
パソコンの画面には、『あんたも人間だった時の記憶があるの?』と書かれていた。
まさか。まさかそんな。こいつも転生者なのかーっ!




