25 お前はアマゾンの鳥か。気持ちはわかるが、もう少し落ち着け。
扉を開けたのは、結衣ちゃんこと、女子高生アイドルの猫宮だった。
博士の部屋で別れ際に「じゃあ、また」と言っていたのは、本当にもう一度来るつもりだったということのようだ。
急な再会に気が動転しているのか、斉藤は悲鳴だの嗚咽みたいな、クァーとかホェーとか、またよくわからない声を出している。お前はアマゾンの鳥か。
「ゆ、結衣ちゃんが、ななな、なんでこここに」
ようやく喋った斉藤だが、カミカミである。気持ちはわかるが、もう少し落ち着け。
「私のファンだったんじゃないんですか」
猫宮の視線が冷たい。当たり前である。
いくら義体とはいえ、美少女の手をしっかり握ってスリスリなんかしているのだから。まったく事情を知らない人が見たら、ただの変態だと思われて、その場で罵られてもお釣りがくるぐらいの怪しい状況である。
「いや、ちちち違うんです。これはっ」
斉藤は慌てて義体の手を投げ出した。ぞんざいに扱われた美少女が椅子から転げ落ちる。
なんてことをするんだ。自分ではないのに、不完全とはいえ思考が繋がっているかもしれない美少女義体の衝撃が、一瞬だけ感じられたような気がした。気のせいかもしれない。
博士が床に横たわった義体を助け起こす。まるで本当の少女を扱うみたいに、丁寧に優しく椅子に座らせた。
まったくもって斉藤とは大違いである。斉藤という男は、どれだけ株を下げたら気が済むのだろうか。
「た、ただの実験の一環でして。えーっとその、物体への接触がどのぐらいフィードバックされるかなーとかの数値が」
斉藤は研究用のファイルだかノートだかを必死にめくりながら、しどろもどろで答えるが、言葉を重ねるほど怪しさがアップしている。
猫宮はプイッと顔を背け、博士の元へ歩いていった。
この前のワンピースとは違って、Tシャツとジーンズというラフな格好だ。それでも元アイドルというオーラは消せないらしい。こんな普通の格好をしていても、やっぱり全身から可愛さがにじみ出ている。
猫宮は博士の目をじっと見た。
「先生」
「はい。なんですか」
「私決めました。この大学を受験します。絶対に合格して、この研究室に入ります」
博士は気圧されつつも、教え子を見守るように柔らかく微笑んだ。
「えっと、その……きっと、猫宮さんなら大丈夫だよ。頑張り屋さんだし」
斉藤が持っていたファイルを、バサバサと床に落とした。
「ゆ、結衣ちゃんが、この大学に? この研究室に? 嘘だろ。マジか。そんなことになったら、俺死んじゃうよ」
だったら死ねばいいのに。
相変わらず、クアーだの、キョエーだの、変な鳥みたいな声を出している。お前はそんなに鳥になりたいのか? だったら代わってやろうか?
猫宮は先輩のほうを睨みながら言う。
「だから先生、待っていてください。私、諦めませんから」
どうやら宣戦布告をしに来たようだ。
だが一足遅かったな。もう博士と先輩は、出来上がった後だぞ。もちろん猫宮が大学に入ってくるまで、その仲が続いているかどうかは、まったくもって未知数だ。先のことなんて誰にもわからない。
博士の隣で、宣言を聞き届けた先輩は、にっこり笑って、手を差し出した。
「今からの路線変更は、かなり大変だと思うけど……まぁ、頑張って」
「別にあなたと仲良くするつもりはありません。それじゃあ、用事があるので」
猫宮は先輩の差し出した手を、華麗にスルーし、小さく会釈をして出て行こうとする。
斉藤は慌てて声をかける。
「あ、結衣ちゃん待って。勉強なら、俺が教えるから。手取り足取り熱烈にっ」
前に教授が言っていたフレーズと同じようなことを言っている。
さすがに斉藤の手取り足取りはうざそうだ。用もないのに肩に触ったり、必要以上に顔を近づけたり。きっとシャレにならないぐらい、ろくでもないことをしかねない。
斉藤が後を追いかけようとしたが、振り向いた猫宮がキッと睨んだ。
「結構です」
キッパリと拒絶されて、斉藤は立ち尽くしている。いい気味だ。
少し可哀想に思ったのか、博士が助け舟を出す。
「暗記メインの教科は、斉藤のほうが成績がいいと思うけど」
「大丈夫です。私の先生は、先生だけなので」
どうやら博士以外は、眼中にないということのようだ。
「あと、誤解のないように言っておきますが、私が先生にこだわっているのは、勉強を教えてもらったのが理由ではないです」
「勉強とは関係ない……と」
博士は首を傾げている。
斉藤は微動だにしない。よっぽど心がポッキリ折れてしまったのかもしれない。
「実は私、小さい頃から男の人につけ回されたり、変なことをされそうになったりして、ずっと男の人が苦手でした」
これだけ可愛かったのなら、そういうことがあっても不思議ではない。猫宮には、ありとあらゆる男を引きつけるオーラがありすぎる。ただし肝心の博士には、その効果がないのは残念だが。この場合はしょうがない。
猫宮が切り札とする美しい顔が、博士にとっては判別しにくい整った顔という認識なのだから。相手によっては武器も障害になる。こればっかりは、相性が悪かったと諦めるしかない。
猫宮は目を伏せながら言う。
「だからアイドルになりたかったけど、握手会とか男の人と触れ合わないといけないから、絶対になれない、そう思い込んでました」
猫宮が顔を上げて、博士を見る。その瞳はなんだか急に、キラキラと輝き出したようにも見えた。
「でも先生に勉強を教えてもらってる時、それまでずっとあった男性だけに対する嫌悪感とか、まったく感じなくて。おかげで少しずつ自信がついて、アイドルのオーディションも受けることができて、夢が叶ったと思ってたんですが……」
猫宮は手をぎゅっと握りしめた。
「でも、やっぱりダメだったんです。先生以外の男の人だと、握手会とかやってるうちに気持ち悪くなってきちゃって。ずっと我慢してたんです。でも限界で。だからアイドルを続けるのも諦めることにしたんです」
猫宮は急に斉藤の手を取った。斉藤は鳩が豆鉄砲どころか、散弾銃を食らったみたいに、今にも死にそうなぐらいに固まっている。
「ほら、見てください。これ。最近は男性アレルギーが酷くなって、先生以外の人と握手をしたら、蕁麻疹が出ちゃうんです」
せっかく大好きな結衣ちゃんと握手がまたできたと思ったら、まさかの男性アレルギーのチェッカーとして使われただけだったようだ。
斉藤が泣きそうな顔をしている。これはいつもの嘘泣きではなく、本当のやつだ。勝手に泣いてろ。
「それは……大変だね」
博士もなんとも言えない困った顔をしている。斉藤の心中を察して、気の毒に思って同情しているのかもしれない。
「だから私、先生じゃないとダメなんです。だから何があっても諦めませんから。じゃあ失礼します」
言い切った猫宮は、博士にだけアイドルスマイルを向け、手を振りながら出て行った。
その直後に、斉藤はその場に崩れ落ちた。
「終わった。俺のバラ色の人生が終わってしまった」
床に転がってジタバタしている。まるで駄々をこねている、五歳児の子供のように。なんでそんなに嘆く必要があるのか。そもそも最初から、斉藤の人生がバラ色であるかすら疑わしいのに。
「なんで博士ばっかり。おかしいだろっ」
私から言わせれば、妥当な結果である。普通の神経をしていたら、斉藤ではなく博士を選ぶだろう。私だって博士を選ぶ。
今まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、斉藤の人間的価値が、だだ下がりを続けている、残念な斉藤を選ぶやつなんて、地球上のどこにもいないだろう。斉藤本人以外には。
斉藤のジタバタっぷりを完全にスルーして、先輩が博士に話しかける。
「もしかして彼女は、自分が研究室に入る頃には、博士はすでに卒業している可能性が高いことに、気付いていないのだろうか」
博士は腕を組んで、うーんと唸っている。
「……教えたほうが良いでしょうか」
「まぁせっかくやる気を出しているのなら、自分で気が付くまで、泳がせておけば良いのでは。もし真実を知って諦めるようなら、その程度だったということだ」
先輩もなかなか鬼畜である。敵に塩を送るつもりはないということのようだ。
「あーっ」
大きな声をあげた斉藤が、急に起き上がって、博士を見た。
「もしかして、結衣ちゃんが博士だけ大丈夫って、それ義体だからなんじゃ」
「博士以外だと、生理的に無理という症状が、物理的なものなのか、それとも精神的なものなのかにもよるとは思うが、その可能性はゼロではな……」
先輩の言葉を遮るように、斉藤は食い気味に声を上げる。
「義体なら大丈夫ってことなら、俺も義体になれば、結衣ちゃんとワンチャンあるってことなのか?」
先輩がノートを丸めて、斉藤の頭をパコーンと叩いた。
「冗談でもそういうことは言うな。博士だって、好きで義体を使っているわけじゃないんだから」
「……すみません」
「わかればいいんだ」
さすがに斉藤も反省したようだ。しゅんとしている。一生反省していろ。
先輩は蔑むような、冷たい視線を飛ばす。
「それに彼女にも選ぶ権利があるだろう。諦めたほうがお互いのためになるんじゃないのか」
「ひ、ひどい……やってみないとわからないじゃないすかっ」
「わからないほうが幸せということもあるな」
先輩の嫌味を聞いて、斉藤はムッとした表情をしている。勝手にむくれてろ。
ずっと見守っていた教授が、博士の方をちらりと見る。
「それにしても博士、君はいろんな人の人生を、変えすぎではないかね」
「と言われましても……僕がやろうとしてやったわけではないですし、不可抗力といいますか」
「だからタチが悪いんだろう。さすが天然のフラグ破壊王は、物が違うようだな」
教授はヒゲを撫でながら、少しだけ笑った。
もちろんいつものように、すぐに真顔に戻ったようだ。




