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文鳥は斉藤を殴りたい。  作者: 入口トロ
21/29

21 しょうがないので、斉藤のこともつついておいた。

「すまない。一人で着物を脱いだことがなくて、少し手順がわからず、思ったより手間取ってな」


 先輩がようやく着替えをすませて、戻って来たようだ。いつもの黒いスーツとは違って、白いワンピース姿の先輩は、柔らかな印象になっている。


 人間はよく形からなんて言うが、外側が変わると、ここまで中身も変化するのだろうか。


 もし私の羽根も白ではなく黒やグレーになったら、桜文鳥みたいにシュッとしたりするのかもしれない。もちろん、そんなことを考えたところで、意味がないことぐらい知っている。考えるのは自由だ。


「やっぱり、変……じゃないか」


 少し恥ずかしそうに、そう言った先輩は、いつもよりなんだか可愛らしく見えた。文鳥の私から見てもそうなのだから、きっと博士たちの目にも、そう映っていることだろう。


「全然いいっすよ。やっぱ俺のチョイスは正解だったみたいっすね」


 斉藤が誇らしげにキメ顔をしている。なんだかムカつく。


「あ、でも世界で一番そのワンピースが似合うのは、もちろん結衣ちゃんだとは思うっすけど……って痛っ」


 余計なことを言って、博士に叩かれたようだ。まったくもって一言多いのだ、この男は。


 先輩は博士の方をじっと見た。博士は照れくさそうな表情で小さく笑う。何も言わなくても、先輩の姿を見つめる視線が全力で褒めていることが、きちんと伝わったようだ。


 余計なことを言って怒られる、斉藤とは大違いだ。斉藤の薄っぺらい褒め言葉よりも、博士の沈黙のほうが、先輩にとっては、よっぽどお値段の高いコミュニケーションだったということだろう。


 結局は自分で似合わないと思っていても、他人から見たら意外に似合っているということもあるわけで。それが好意を寄せる相手からの賞賛であれば、自分の中の価値観というものが変化してしまうこともあるのだろう。


 あれほど白いワンピースを嫌がっていたはずの先輩は、ホッとしたような、それでいて気恥ずかしそうな、乙女だけが見せるキラキラとした表情を見せた。


 どうやら、もうこの二人の間に、私の入る余地はないのかもしれない。


 おめでたいことだとは思うが、なんだかちょっと悲しくもあり、イラッともした。


 だから私は、先輩の頭の上に飛んでいき、一応つついておくことにした。こいつめ。こいつめ。羨ましいぞ。


「いたた、なんで」


 困惑している先輩を見て、斉藤が噴き出すように笑う。


「嫉妬してんじゃね。二人が熱々だから」


 なんだと。斉藤のくせに生意気だ。その通りだよ、こんちくしょー。しょうがないので、斉藤のこともつついておいた。


「いてーよ、なんでだよ」


 先輩も博士も笑っている。どいつもこいつも幸せそうで何よりである。


「あ、そうだ。教授から頼まれてた試作品。お前に渡せって」


 斉藤はカバンから、小さなケースを取り出した。博士がケースを開けると、中にはメガネが入っていた。


「じゃ、あとは熱々のお二人で好きにしてくれよ。俺は結衣ちゃんのライブを見に行かなきゃだから」


 立ち去ろうとした斉藤はスマホを見て、変な声を上げた。


「うそだろ……結衣ちゃんが体調不良で、ライブを欠席って。マジかよ。せっかくバイトしてプラチナチケット手に入れたのに。最悪だ、最低だ、嫌だ、もう嫌だぁー」


 その場に倒れ込み、ジタバタと暴れている。テレビの中で子供がおもちゃを買ってくれなくて、駄々をこねるシーンを見たことがあるが、いい年をした大学生がこんなことをするのは初めて見た。


 さすがは斉藤である。実にみっともない。


 博士も先輩も呆れた様子で見下ろしているぞ。少しは仕事をしろ、斉藤の中のまともな大人らしく振舞うという常識よ。


「結衣ちゃんが出ないなら、こんなチケット、ただの紙切れじゃねぇか」


 さすがにそれは言い過ぎではないだろうか。ほかのアイドルメンバーに失礼である。まぁそんな気を使えるような男なら、こんな斉藤には仕上がっていない。残念な男だからしょうがない。


 雉も鳴かずば撃たれまいという言葉があるが、きっと斉藤が雉に生まれていたら、今頃ことあるごとに撃たれまくって、百回ぐらい死んでいることだろう。


 ふいに起き上がった斉藤が言う。


「あ、伝言忘れてた。教授曰く、そのメガネがあれば、黒幕の呪いは解けるだろう……だってさ」


 博士は不思議そうな顔でメガネを見ている。私にもさっぱりわからない。教授の言う黒幕というのは、先輩のことだろうか。


「どういうこと?」

「さぁ?」


 博士も先輩も顔を見合わせ、首を傾げている。


「まぁいいや。んじゃな。俺は心が折れたから、焼け食いしてくるわ。会計は博士につけとくから、あとでちゃんと払っとけよ」


「おい、あんまり高いもの頼むなよ」

「大丈夫。今日は焼肉のほうにしといてやるから」


 斉藤はニッコリ笑って、立ち去った。あの調子では、とんでもなく高い肉を頼みそうである。


「これだから斉藤は」


 先輩の言葉に、私も100%同意した。


「それだから斉藤なんですよ」


 苦笑いをした博士は、つけていたメガネを外すと、ケースから出した新しいメガネに付け直した。周りを見回すようにして、小さく微笑んだ。


「……そうか、教授にはバレていたのか」

「バレていたって、どういうことだ」


 問いかけた先輩に、博士はメガネを差し出した。先輩はメガネのレンズを覗き込んだ。


「認証した人の情報をARで表示しているようだな。これがどうかしたのか」


 難しいことはよくわからないが、メガネを通して見ると、相手が誰だかわかるような機能がついているということだろうか。


「もしかしたら、先輩も気づいてたのかもしれませんが……」

「何の話だ」


「僕、人の顔が覚えられない、相貌失認そうぼうしつにんなんです」

「相貌失認って、そんな」


「普段なら仕草とか声で、見分ける努力をして、なんとか乗り切ってきたんです。でも相手が普段と違う服装なんかをしていると、かなり判別が難しくなりますし、美形な人なんかは、皆顔が整っているので見分けが付きにくく、つい間違ってしまうことがあります」


 猫宮という女子高生が、大学の正門前に現れた時、普段とは違うワンピースを着ていた。わざわざ名前を確認したのは、間違いを避けるためだったようだ。


 先輩から受け取ったメガネをかけ直した博士は、淡々と話を続ける。


「特に大学祭の時みたいに、みんなが同じTシャツをお揃いで着てたりとか、そういう時、ものすごく困るんですよね。それで僕は、うっかり先輩を違う人と間違えてしまった」


 なにか針でも刺されたみたいに、博士は痛そうな表情を見せた。


「その直後からです。先輩が黒い服を着るようになったのは」


 誰かを傷つけてしまったかもしれないという痛みですら、強く感じ取ってしまうぐらいに、博士は優しい人間のようだ。


「ずっと申し訳なく思ってました。今まで僕のために、すみませんでした。でも、このメガネがあればもう先輩は、わざわざ僕のために、黒い服ばかり着なくても良くなります。だから先輩、これからはもう、自分の好きな服を着てください」


 頭をさげる博士のことを、先輩は驚いたような表情で見つめていた。


「博士は誤解している」

「誤解?」


「私はただ、好きで着ていたんだ」

「でも、うっかり間違えてしまった僕に、気を使ってくれてたんじゃ」


「やはり覚えていないのか」

「何をですか」


「大学祭の打ち上げコンパで、好きな色をみんなで順番に話していて、私が黒だと言っただろ」

「……すみません。ちょっと覚えてないです」


 先輩は呆れたような顔をする。


「その時、博士は言ったじゃないか、『わかります。先輩って、黒が似合いそうですもんね』と」

「覚えてないけど……確かに僕なら言いそうですね」


「かなり酔っ払っていた君は、教授が着ていた黒いスーツを私に着せて、『ほらやっぱり似合ってます』そう言って笑っただろ」

「なんか……すみません。やっぱり思い出せない」


「だろうな。あれだけ人に似合いそうとか言っておいて、私がいくら黒いスーツ姿で大学に来ても、あの日以来、これっぽっちも褒めてくれなかったからな」


「……すみません。ただ普段から顔が覚えられないから、どうしても一緒にいた時の言動や声、仕草から感じた色のイメージと結びつけていることが多くて。それが先輩はシュッとした黒の印象だったので、似合ってるなと言ってしまったのだと思います。残念ながら、まったく覚えてませんけど」


「……しょうがない。君はその翌日に事故にあって、記憶の一部を失っているんだからな」


 博士は頭をかいている。


 過去の自分がやらかしたことは、今更どうしようもないのに、記憶にもないことで、恥ずかしくなる気持ちだけは発生させるとは、なかなか厄介な話だ。


「君の記憶になかったとしても、私にとっては、それがとても嬉しかったんだ。小さい頃から母親にフリル付きのピンクや赤の可愛らしい洋服か、派手な着物ばかり着せられていた。男っぽい服装や黒い服なんてもってのほかだった。それがずっと嫌で嫌で仕方がなかった」


 あの母親なら、確かに娘のことにいちいち口を出しそうではある。お金持ちの家ならではの、お作法やしきたりというものがあるのかもしれないが。


「特に背が伸びてからは、拷問みたいなものだった。似合っていないのは、嫌という程わかっていたのに、自分を変える勇気がなかったんだ」


 先輩は真剣な眼差しで、博士の目を見つめている。


「君から渡された黒いスーツを着て、鏡を見た瞬間、とても驚いた。絶対にこっちのほうが似合うって。博士の言うとおりだと。体を電撃が走ったみたいに感じたんだ。そうだ。これからは自分が着たい服を着よう。あの時初めて、そう決心できた」


 先輩の目がキラッと光ったみたいに見えた。何かが心の中で燃えた瞬間、人間の目は輝くのかもしれない。きっと私も、美味しい餌を食べているときは、こんな目をしているに違いない。


「だからそれからはずっと、自分が大好きな黒いスーツを着ていただけだ。好きで着ていたんだから、君は謝る必要なんてない」

「そう……なんですか」


「自分を変えてくれる相手になんて、そう滅多にお目にかかれるものじゃない。君のおかげで、私は自分を変える勇気をもらったのだから。むしろ感謝しているんだよ、博士には」


 先輩は可愛らしい真っ白なワンピースには似つかわしくないような、仁王立ちでドヤ顔をしている。感謝しているといいつつ、なぜ上から目線なのか。


「あの日のことは、君の記憶から消えてしまったかもしれない。私がミサンガなんてプレゼントしなければ、君がこんな体になることもなかっただろう」


 やはり博士の部屋に置かれていた、あのちぎれたミサンガは先輩の渡したものだったようだ。


「だからもう二度と、博士に本当の気持ちを伝える権利は、自分にはないと思っていた」


 先輩は目を伏せ、今にも泣き出しそうな表情で、唇を震わせた。


 ずっとこれまで自分のせいで、博士がやっかいな生活を強いられていることを、後悔し続けていたのかもしれない。


「だが、病室で君が死を選ぼうとした瞬間、わかったんだ。やっぱり君を失うことに耐えられそうにない。だからもう一度、私から言わせてくれ」


 先輩は、博士のことをまっすぐ見つめた。


「博士、君のことが……す」


 突然博士が、先輩の口の前に手を出して、発言を遮った。


「待ってください。僕に先に言わせてください。あのとき言えなかったことを。きっと大会から戻ってきたら、先輩に言うつもりだった言葉を。今言っていいですか」


「いや、私が先だろ」

「いいえ、僕です」


 二人で見つめあってから、噴出すように笑った。


「なら一緒に言おう」

「そうですね、せーの」


 息を合わせた二人は、叫ぶように言った。


「博士、君のことが好きだ。付き合ってくれ!」

「先輩好きです。僕と付き合ってください!」


 言い切った二人は、緊張感から解放されたような、満足げな表情をしている。

 だが先輩の頬に一筋の涙が伝って落ちた。泣き笑いというやつだろうか。


「遅いよ、博士。どれだけ待ったと思ってるんだ」


 その言葉を聞いた博士もまた、先輩のことを見つめ返して、小さく微笑んだ。


「僕もずっと先輩のこと好きでしたよ。覚えてはいませんが、きっと記憶を失ってしまった時間もずっと」


 だがそう言った直後、博士の顔が少しだけ不安げに曇った。


「でも、本当にいいんですか、僕なんかで」

「自分で口説いておいて、後からそれを言うのか。面倒臭い男だな、君は」


「とても大事なことですから。僕は永遠にこのまま、偽物の体のままかもしれないんですよ」

「そんなことはわかっている。君の実験は私が楽しくてやっているんだ。何も問題ない」


 どうやら筋金入りの研究バカのようだ。


「僕の義体が、今回のようにまたいつか、突然接続が途切れるかもしれませんし」

「壊れたら、私がまた直してやるさ」


「もしかしたら、どんどん僕の本体が弱って、記憶を失って、僕が先輩を好きだった気持ちも、またいつか忘れてしまうかもしれませんよ」


 先輩の目が潤んでいるように見えた。


「忘れたっていいよ。またもう一度、好きになってくれればそれでいい。私は記憶力だけはいいんだ。だから私がずっと覚えているから、心配しなくていい」


「わかりました。なら何度でも、先輩のことを好きになっていいですか」


 先輩は少し目を見開いてから小さく笑い、照れ臭そうに言う。


「いいに決まってるだろう。最初からそう言っている。君は本当に面倒臭い男だな」


「そういう男を好きになった先輩だって、面倒臭い女だと思いますよ」

「余計なお世話だ」


 お互いに笑いあって、しばらく見つめあった二人が、顔を近づけて、唇がもうすぐ触れるかもと思った瞬間、博士のスマホが振動した。


 この私でさえ自重していたというのに、こんなタイミングで邪魔をするやつは、一体どこの誰だ。馬に蹴られて死んでしまえ。


「ちょっとすみません」


 博士がスマホを取り出して確認している。どうやら電話だったようである。


「……斉藤か。どうした、焼肉食いに行ったんじゃなかったのか」


 どうやら馬に蹴られて死んだほうが良いのは、斉藤だったようである。

 やっぱり、あいつならやりかねない。いつだって絶妙で最悪なタイミングで、余計なことしかしないのだ。


「カレー? 僕の部屋が大変なことにって、何の話をしてるんだ」


 相変わらず残念な男は、またしても他人を困らせているようである。


「なんか戻ってこいってうるさいんで、一旦部屋に帰ってもいいですか」

「わかった。私も一緒に行こう」


 博士と先輩は公園をあとにする。しばらく歩いてから、どちらからともなく手をつないだようだ。


「いででで」

「痛いってば」


 なんだか幸せそうでムカついたので、二人の頭をつついておいた。




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