20 なんだこいつら、いい友達じゃないか。
斉藤はのんきに手を振って、着物女を送り出すと、博士を見てニヤニヤとしている。怪訝そうな表情をした博士は言う。
「なんだよ、気持ち悪いな」
「で、プロポーズはしたのか」
「してないからっ」
「じゃあ、本当の気持ちは言ったのか」
「……みんなが変なタイミングで来たから、それどころじゃなくなったというか」
「ほい。お前にはこれをやる。まぁ、頑張れよ」
斉藤がポケットから取り出したのはお守りだった。受け取った博士が、少し恥ずかしそうにしている。
「安産って……気が早すぎるだろ」
「え? あれ? 嘘だろ。俺、恋愛成就のお守り買ったのに」
どうやら斉藤は、素で間違えたようである。やっぱり斉藤が残念な男であることは、揺らぎようのない事実のようだ。
「まだシロちゃんと遊びたい」
ぐずっている孫娘を、教授がなだめている。
「そろそろ帰らないと、ピアノの練習に間に合わないんじゃないのかね」
孫娘は、ぷっくりとほっぺを膨らまして不服そうにしていたが、しぶしぶ承諾したようだ。
「博士、また何か困ったことがあれば、いつでも相談してきなさい。君たちは観察対象としては、実に面白いからね。協力は惜しまないよ」
孫娘と手をつないだ教授は、一瞬だけ笑みを浮かべてから立ち去った。
やはり得体の知れない人間である。どうしてこうも博士の周りは、変なやつばかりなのか。きっと何もかも斉藤のせいである。
少し日が陰ってきて、公園の中を風が吹き抜けた。青々とした葉が重なり揺れて、影の隙間から溢れる光が踊るように動く。
ベンチにもたれかかった博士は、私の頭を撫でるようにしながら、ポツリと言う。
「本当に、僕なんかが未来を望んでも良いんだろうか」
「先輩は普通じゃないから大丈夫だろ。たとえ博士が宇宙人でも、気にしないんじゃないのか、あの人」
斉藤は博士の隣に座る。さっそくスマートフォンをいじり出した。話をしている最中に失礼だと思わないのか。きっと思わないようなやつだから斉藤なのである。
「体のことじゃなくてだな」
「違うの? じゃあ何を気にしてるんだよ」
博士は少し言いにくそうにしてから、口を開いた。
「うちの母親ってさ、男作って出て行っただろ。僕、母さんに顔が似てるんだよな」
「だから、なんだよ」
「もしかしたら、そういう不誠実なところも似てたらどうしようって」
「そんなの関係ないだろ」
「関係あるよ。結構遺伝ってバカにならないからな。あんだけ先輩の結納について、偉そうなこと言っておいて、でも結局、僕が先輩のことを裏切ったりしたらって思ったら」
「なんだ、そんなこと気にしてたのか。ばっかだなぁ」
斉藤は豪快に笑っている。
「バカとはなんだよ」
「博士は気にしすぎなんだよ。俺だって今までいろんな嘘ついてきたけど、なんとか生きてるだろ」
「確かにいっぱい嘘をつかれた記憶があるが、いつもなんだかんだで、僕より幸せそうだよな。なんか納得がいかないというか、理不尽なものを感じずにはいられないよ」
やっぱり斉藤は昔から、ろくでもない嘘つきだったようだ。雀百まで踊り忘れずというやつだろうか。
「気にしたら負け。人生なるようになる。それが俺の信条だから。当たって砕けたって別に死ぬわけじゃないし、死ななきゃ別に、いくらでもやり直せるよ」
「いや、お前の場合は、ちょっとは気にしろよ」
「無理だ。こういう性格なんだ」
斉藤は笑っている。
「でも、ありがとう。ダメもとで当たって砕けてみるよ」
斉藤がさきほどから偉そうなことを言っているが、こいつは童貞である。部屋にあるアイドルグッズの下には、童貞を抜け出すためのマニュアル本らしきものが、今もきっとたくさん埋もれているはずだ。
人たらしの割に、一般人の女性にはあまり興味がないらしく、アイドルのおっかけをし続けて、今まで一度も、普通の女子と付き合ったことはないようだ。そういう私も処女ならぬ、処雌なので偉そうなことはいえないが。
魔法使いになってしまうという三十歳には、まだ期限があるとはいえ、かたくなに童貞を守り続けているのは、いわゆる初めてを、大好きなアイドルに捧げたいみたいな、乙女じみたタイプなのかもしれない。
本気でいつかアイドルと付き合えると信じているのだろう。おめでたいやつだ。
だが嘘も方便というか、少しでもふさぎこんでいた博士の気持ちを、上向きにすることができたなら上出来だろう。あんな斉藤でも役に立つことがあるようだ。
「で、すまないけど、母親の病状が長引きそうだから、もうしばらくシロを預かってもらえないかな」
博士が呆れたような表情で、斉藤を見ている。
「その嘘ばれてるぞ」
スマートフォンを取り出した博士は、斉藤が猫と一緒に写っている写真見せた。
「いや、これはだな」
さらに畳み掛けるように、博士は斉藤母のSNSに投稿されたばかりの写真を見せつけた。
「今まさに、アイドルのコンサートを満喫したと、ウキウキな感じの写真を投稿をしているお前のお母さんが、どのような病状なのか説明していただこうか」
斉藤の目が泳いでいる。ものすごく高速で泳ぎまくっている。豆鉄砲を食らった鳩でも、ここまで慌てないだろう。
「それはだな、あれだ、俺と同じ病というか。アイドルにお熱を上げすぎて大変……みたいな」
確かに大変な病のようである。血は争えないということだろうか。
「なんでそんなすぐバレる嘘をつくんだよ。嘘にもついていい嘘と、ダメな嘘があるだろ」
博士は諭すように、斉藤の目をじっと見た。
「シロが可哀想だ。お前が嘘を言って、みんなに無理やり押し付けようとしてたとき、シロがどんな気持ちでいたか、少しは考えろよ」
目を伏せた博士の表情が曇る。
「捨てられるって、結構キツイんだ。それは人間でも、鳥でも一緒だろ」
博士は母親に捨てられたと言っていた。私のように縁もゆかりもない、斉藤という最低な飼い主に捨てられた時ですら、それなりに心が痛んだのだ。
実の親に捨てられたとなると、その苦しみは比べようもないほど、辛いものだっただろう。
「そんなつもりじゃ……ごめん。お前に嫌なこと思い出させるつもりじゃなかったんだ」
また嘘泣きかと思ったけれど、今度は本当に斉藤は涙を浮かべているようだ。
この男が本当に泣いているときは、みっともないからすぐわかる。推しのアイドルが結婚したとわかったときと同じだ。
鼻がピクピクして、目から涙がボタボタこぼれてる。手で拭いもせずに、顔をくしゃくしゃにさせて泣いていた。これは本当に泣いているようである。
「わかったから泣くなよ。もういいから」
博士は斉藤の肩をポンと叩いた。
「でも本当言うと、お前の嘘には、何回も救われてたから感謝してるんだよ」
斉藤が驚いたような顔をして、博士の目を見た。
「小学校の頃、母さんが出て行ってしばらくずっと、お前、僕の母親から預かったって、時々お菓子とかオモチャを持ってきてくれてただろ」
「……そんなことあったっけ」
「いまさら、とぼけんなよ」
「本当に覚えてねーから」
斉藤は照れ臭そうに目を背けた。またこいつ、嘘をついているようだ。こりない男だ。
博士はそんな斉藤を見て、しょうがないなという顔をしてから微笑んだ。
「あれって、本当は僕のためを思って、いっつもお前が、僕の好きなお菓子とかオモチャを、わざわざ持ってきてくれてたんだろ」
「だから違うって。あれはお前の母さんが」
「聞いたんだよ、大きくなってから本人に。そしたらそんなもの渡したことないって、バッサリ否定された」
「そんな……違う、違うんだ」
「あんときは、ありがとな。斉藤は嘘つきだけど、優しいやつだってことは、ちゃんとわかってるから。そういう優しさは、僕だけじゃなくて、動物にも見せてやれよ」
斉藤は真っ赤になっている。
「ばかやろう。俺は優しくなんかないんだよ。勘違いすんな。そんなんだから、いつも俺みたいな嘘つきに騙されるんだからな。いつか詐欺師に騙されて、大変なことになっても知らないぞ」
「大丈夫。お前に鍛えられたおかげで、一般人の考えるレベルの嘘じゃ、騙されない自信がある」
「そういう無駄に自信を持ってるやつが、一番騙されるんだよ」
「かもな」
博士は笑った。泣いていた斉藤も、やっと笑った。
なんだこいつら、いい友達じゃないか。斉藤にもこんないいところがあったとは、まったく知らなかった。ちょっとだけ見直したかもしれない。
「ちゃんとペットを飼えそうな部屋を見つけて引越しして、シロは僕が飼うから。シロのことは、心配するな」
「そっか。よろしく頼むな」
「今度は推しメンが、突然結婚しても、誰かに猫を押し付けたりすんなよ」
「……しねーよ」
「怪しいな」
博士が斉藤の目をじっと見ている。斉藤の目が泳いだ。すでに雲行きが怪しいようだ。今、斉藤の家で飼われている猫が、第二の私にならないことを祈るしかない。
「たまには、シロにも会いに来てやれよ」
「わかったよ。かなり嫌われちゃってるとは思うけど」
同意するつもりで、私はチチッと鳴いた。博士が小さく笑う。
「それはお前が悪いから、しょうがないな」
「でもこれだけは信じてほしいんだ。誰にでもシロを押し付けてたわけじゃない。前にシロの写真を見せたときに、可愛いって言ってたやつにだけ、お願いしに行ってたんだ」
斉藤は手を合わせて、私に向かって頭を下げている。
「それだけは嘘じゃないから。今さら謝っても遅いとは思うけど、いろいろごめんなシロ」
私が斉藤を嫌ったままというのは正解だし、まだお前のことを私は許していない。でも私が人間の言葉を話せなくても、ちゃんと気持ちをわかってくれる相手がいるんだってことを、私は初めて知った。
こんな人間がいるんだ。それがわかっただけでも、十分ではないのか。
同じ人間なのに、博士と斉藤は大違いだ。本当に良かった。斉藤が私のことを捨ててくれて。嘘をついて私を捨てたことは怒っているが、博士という良い飼い主に会わせてくれたことだけは感謝してやる、斉藤め。
そう思いながら、私はもう一度チチッと鳴いた。




