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文鳥は斉藤を殴りたい。  作者: 入口トロ
20/29

20 なんだこいつら、いい友達じゃないか。

 斉藤はのんきに手を振って、着物女を送り出すと、博士を見てニヤニヤとしている。怪訝そうな表情をした博士は言う。


「なんだよ、気持ち悪いな」

「で、プロポーズはしたのか」


「してないからっ」

「じゃあ、本当の気持ちは言ったのか」


「……みんなが変なタイミングで来たから、それどころじゃなくなったというか」

「ほい。お前にはこれをやる。まぁ、頑張れよ」


 斉藤がポケットから取り出したのはお守りだった。受け取った博士が、少し恥ずかしそうにしている。


「安産って……気が早すぎるだろ」

「え? あれ? 嘘だろ。俺、恋愛成就のお守り買ったのに」


 どうやら斉藤は、素で間違えたようである。やっぱり斉藤が残念な男であることは、揺らぎようのない事実のようだ。


「まだシロちゃんと遊びたい」


 ぐずっている孫娘を、教授がなだめている。


「そろそろ帰らないと、ピアノの練習に間に合わないんじゃないのかね」


 孫娘は、ぷっくりとほっぺを膨らまして不服そうにしていたが、しぶしぶ承諾したようだ。


「博士、また何か困ったことがあれば、いつでも相談してきなさい。君たちは観察対象としては、実に面白いからね。協力は惜しまないよ」


 孫娘と手をつないだ教授は、一瞬だけ笑みを浮かべてから立ち去った。


 やはり得体の知れない人間である。どうしてこうも博士の周りは、変なやつばかりなのか。きっと何もかも斉藤のせいである。





 少し日が陰ってきて、公園の中を風が吹き抜けた。青々とした葉が重なり揺れて、影の隙間から溢れる光が踊るように動く。


 ベンチにもたれかかった博士は、私の頭を撫でるようにしながら、ポツリと言う。


「本当に、僕なんかが未来を望んでも良いんだろうか」

「先輩は普通じゃないから大丈夫だろ。たとえ博士が宇宙人でも、気にしないんじゃないのか、あの人」


 斉藤は博士の隣に座る。さっそくスマートフォンをいじり出した。話をしている最中に失礼だと思わないのか。きっと思わないようなやつだから斉藤なのである。


「体のことじゃなくてだな」

「違うの? じゃあ何を気にしてるんだよ」


 博士は少し言いにくそうにしてから、口を開いた。


「うちの母親ってさ、男作って出て行っただろ。僕、母さんに顔が似てるんだよな」

「だから、なんだよ」


「もしかしたら、そういう不誠実なところも似てたらどうしようって」

「そんなの関係ないだろ」


「関係あるよ。結構遺伝ってバカにならないからな。あんだけ先輩の結納について、偉そうなこと言っておいて、でも結局、僕が先輩のことを裏切ったりしたらって思ったら」

「なんだ、そんなこと気にしてたのか。ばっかだなぁ」


 斉藤は豪快に笑っている。


「バカとはなんだよ」

「博士は気にしすぎなんだよ。俺だって今までいろんな嘘ついてきたけど、なんとか生きてるだろ」


「確かにいっぱい嘘をつかれた記憶があるが、いつもなんだかんだで、僕より幸せそうだよな。なんか納得がいかないというか、理不尽なものを感じずにはいられないよ」


 やっぱり斉藤は昔から、ろくでもない嘘つきだったようだ。雀百まで踊り忘れずというやつだろうか。


「気にしたら負け。人生なるようになる。それが俺の信条だから。当たって砕けたって別に死ぬわけじゃないし、死ななきゃ別に、いくらでもやり直せるよ」


「いや、お前の場合は、ちょっとは気にしろよ」

「無理だ。こういう性格なんだ」


 斉藤は笑っている。


「でも、ありがとう。ダメもとで当たって砕けてみるよ」


 斉藤がさきほどから偉そうなことを言っているが、こいつは童貞である。部屋にあるアイドルグッズの下には、童貞を抜け出すためのマニュアル本らしきものが、今もきっとたくさん埋もれているはずだ。


 人たらしの割に、一般人の女性にはあまり興味がないらしく、アイドルのおっかけをし続けて、今まで一度も、普通の女子と付き合ったことはないようだ。そういう私も処女ならぬ、処雌なので偉そうなことはいえないが。


 魔法使いになってしまうという三十歳には、まだ期限があるとはいえ、かたくなに童貞を守り続けているのは、いわゆる初めてを、大好きなアイドルに捧げたいみたいな、乙女じみたタイプなのかもしれない。


 本気でいつかアイドルと付き合えると信じているのだろう。おめでたいやつだ。


 だが嘘も方便というか、少しでもふさぎこんでいた博士の気持ちを、上向きにすることができたなら上出来だろう。あんな斉藤でも役に立つことがあるようだ。


「で、すまないけど、母親の病状が長引きそうだから、もうしばらくシロを預かってもらえないかな」


 博士が呆れたような表情で、斉藤を見ている。


「その嘘ばれてるぞ」


 スマートフォンを取り出した博士は、斉藤が猫と一緒に写っている写真見せた。


「いや、これはだな」


 さらに畳み掛けるように、博士は斉藤母のSNSに投稿されたばかりの写真を見せつけた。


「今まさに、アイドルのコンサートを満喫したと、ウキウキな感じの写真を投稿をしているお前のお母さんが、どのような病状なのか説明していただこうか」


 斉藤の目が泳いでいる。ものすごく高速で泳ぎまくっている。豆鉄砲を食らった鳩でも、ここまで慌てないだろう。


「それはだな、あれだ、俺と同じ病というか。アイドルにお熱を上げすぎて大変……みたいな」


 確かに大変な病のようである。血は争えないということだろうか。


「なんでそんなすぐバレる嘘をつくんだよ。嘘にもついていい嘘と、ダメな嘘があるだろ」


 博士は諭すように、斉藤の目をじっと見た。


「シロが可哀想だ。お前が嘘を言って、みんなに無理やり押し付けようとしてたとき、シロがどんな気持ちでいたか、少しは考えろよ」


 目を伏せた博士の表情が曇る。


「捨てられるって、結構キツイんだ。それは人間でも、鳥でも一緒だろ」


 博士は母親に捨てられたと言っていた。私のように縁もゆかりもない、斉藤という最低な飼い主に捨てられた時ですら、それなりに心が痛んだのだ。


 実の親に捨てられたとなると、その苦しみは比べようもないほど、辛いものだっただろう。


「そんなつもりじゃ……ごめん。お前に嫌なこと思い出させるつもりじゃなかったんだ」


 また嘘泣きかと思ったけれど、今度は本当に斉藤は涙を浮かべているようだ。


 この男が本当に泣いているときは、みっともないからすぐわかる。推しのアイドルが結婚したとわかったときと同じだ。


 鼻がピクピクして、目から涙がボタボタこぼれてる。手で拭いもせずに、顔をくしゃくしゃにさせて泣いていた。これは本当に泣いているようである。


「わかったから泣くなよ。もういいから」


 博士は斉藤の肩をポンと叩いた。


「でも本当言うと、お前の嘘には、何回も救われてたから感謝してるんだよ」


 斉藤が驚いたような顔をして、博士の目を見た。


「小学校の頃、母さんが出て行ってしばらくずっと、お前、僕の母親から預かったって、時々お菓子とかオモチャを持ってきてくれてただろ」

「……そんなことあったっけ」


「いまさら、とぼけんなよ」

「本当に覚えてねーから」


 斉藤は照れ臭そうに目を背けた。またこいつ、嘘をついているようだ。こりない男だ。


 博士はそんな斉藤を見て、しょうがないなという顔をしてから微笑んだ。


「あれって、本当は僕のためを思って、いっつもお前が、僕の好きなお菓子とかオモチャを、わざわざ持ってきてくれてたんだろ」


「だから違うって。あれはお前の母さんが」

「聞いたんだよ、大きくなってから本人に。そしたらそんなもの渡したことないって、バッサリ否定された」


「そんな……違う、違うんだ」

「あんときは、ありがとな。斉藤は嘘つきだけど、優しいやつだってことは、ちゃんとわかってるから。そういう優しさは、僕だけじゃなくて、動物にも見せてやれよ」


 斉藤は真っ赤になっている。


「ばかやろう。俺は優しくなんかないんだよ。勘違いすんな。そんなんだから、いつも俺みたいな嘘つきに騙されるんだからな。いつか詐欺師に騙されて、大変なことになっても知らないぞ」


「大丈夫。お前に鍛えられたおかげで、一般人の考えるレベルの嘘じゃ、騙されない自信がある」


「そういう無駄に自信を持ってるやつが、一番騙されるんだよ」

「かもな」


 博士は笑った。泣いていた斉藤も、やっと笑った。


 なんだこいつら、いい友達じゃないか。斉藤にもこんないいところがあったとは、まったく知らなかった。ちょっとだけ見直したかもしれない。


「ちゃんとペットを飼えそうな部屋を見つけて引越しして、シロは僕が飼うから。シロのことは、心配するな」

「そっか。よろしく頼むな」


「今度は推しメンが、突然結婚しても、誰かに猫を押し付けたりすんなよ」

「……しねーよ」

「怪しいな」


 博士が斉藤の目をじっと見ている。斉藤の目が泳いだ。すでに雲行きが怪しいようだ。今、斉藤の家で飼われている猫が、第二の私にならないことを祈るしかない。


「たまには、シロにも会いに来てやれよ」

「わかったよ。かなり嫌われちゃってるとは思うけど」


 同意するつもりで、私はチチッと鳴いた。博士が小さく笑う。


「それはお前が悪いから、しょうがないな」

「でもこれだけは信じてほしいんだ。誰にでもシロを押し付けてたわけじゃない。前にシロの写真を見せたときに、可愛いって言ってたやつにだけ、お願いしに行ってたんだ」


 斉藤は手を合わせて、私に向かって頭を下げている。


「それだけは嘘じゃないから。今さら謝っても遅いとは思うけど、いろいろごめんなシロ」


 私が斉藤を嫌ったままというのは正解だし、まだお前のことを私は許していない。でも私が人間の言葉を話せなくても、ちゃんと気持ちをわかってくれる相手がいるんだってことを、私は初めて知った。


 こんな人間がいるんだ。それがわかっただけでも、十分ではないのか。


 同じ人間なのに、博士と斉藤は大違いだ。本当に良かった。斉藤が私のことを捨ててくれて。嘘をついて私を捨てたことは怒っているが、博士という良い飼い主に会わせてくれたことだけは感謝してやる、斉藤め。


 そう思いながら、私はもう一度チチッと鳴いた。




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