表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
文鳥は斉藤を殴りたい。  作者: 入口トロ
2/29

2 今すぐにでも人間になれるのなら、斉藤を殴りたい。

 斉藤が訪れたのは、いかにも貧乏学生が住んでいそうな、二階建てのアパートだった。


 モルタルの壁が所々はげ落ち、階段も錆びていて今にも壊れそうだ。どう考えても金持ちは住んでいそうにない。やっぱり嫌な予感しかしない。


 斉藤が安っぽい扉をノックする。返事はない。斉藤はくじけずに何度も拳を叩きつけた。近所迷惑だと怒られても、しょうがないぐらいに大騒音である。


 この家への訪問で通算十五回目のアタックなのだ。斉藤が周りに悪いと思うような、繊細な神経をしていたら、こんなに続けられるわけがない。


 図々しいことには定評のある男なのだから、相手がなかなか出てこないぐらいで諦めるわけがない。どうせこの家の住人にも断られるはず。それでもしばらくの間、茶番に付き合うしかない。


 もし私が人間になれたなら、一番最初にしたいことは斉藤を殴ることである。


 もちろん鳥が人間になれるなんて奇跡が、絶対に起こらないのはわかっている。ただのしがない文鳥が思い描くささやかな夢である。


 だが人間だった私が、鳥に転生したぐらいなのだから、その逆だって、いつの日かありうる可能性だってなくはないのではないか。できればあってほしい。祈るぐらいは許されるはずだ。


「なんだ、いねぇのかよ」


 いくら扉をノックしても出てこないところを見ると、やはりこの家の住人はいないようだ。斉藤はスマートフォンを出して電話をする。だったら最初から、先に連絡をしてから訪問すればいいのに。バカじゃなかろうか。


「今、暇? あぁ、練習中だったのか。じゃあそっち行くから。ちょっと頼みたいことがあるんだ」


 電話を切った斉藤は、再び私を連れて歩き出した。どうやら電話の相手がいる場所まで行くようである。

 いったいこの茶番は、いつまで続くのだろうか。私は抗議するつもりでチチッと鳴いた。





 連れて行かれたのは、こじんまりとしたジムだった。


 人間が壁を必死に登っている。ボルダリングというスポーツらしい。何度かテレビでやっているのを見たことがある。人工的に作った壁を登っていくスポーツだ。


 筋肉質な人々は、腕を伸ばして壁の突起物を掴んではよじ登り、引っ掛けた脚の力で体を引き上げたりしている。


 少し離れた場所へ体を揺らした反動で飛び移ったり、黙々と体全体を使って壁を登っていく。一番上に到達できた人は、みんな笑顔だ。何がそんなに楽しいのだろうか。よくわからない。


 私のように鳥になってしまった身からしたら、わざわざ体を酷使してまで、どうして高い場所へ登りたいのだろうと不思議に思ったりもする。鳥ならば空を飛べば、あのぐらいの高さは一瞬だ。


 だがいくら空を飛べたとしても、これまでずっと鳥カゴや、部屋の中でしか飛んだことのない私には、偉そうなことは言えない。


 本当の意味で空を飛んだことはないからだ。きっと壁を登っている人間が見たであろう景色のほうが、空に近いだろう。少しだけ羨ましい気がした。


 壁登りを中断して降りてきた男に、斉藤が声をかけた。


博士はかせ、怖くないのか。一度落ちて頭打ったくせに」


 博士と呼ばれたのは、メガネをかけている背の高い男だった。たぶん斉藤と同じ大学に通う学生だろう。なぜ博士と呼ばれているのかはわからないが、確かに頭の良さそうな顔をしている。


 だが服装はあまりよろしくない。襟首が伸びきったTシャツと、子供時代のものでも使い続けているのか、寸足らずなジャージのズボン。頭は寝起きかなというぐらいにボサボサで、鳥の巣みたいな髪の毛をしていた。


 どうやら博士という男は、身だしなみには、あまり気を使わないタイプのようだ。せっかくスタイルは良さそうなのに台無しである。


 汗だくで息が上がっている状態で博士は言った。


「ちょうど落ちた前後の記憶がないからなぁ。別に怖くはないよ。体の調子をチェックするには、このぐらいの運動も適度にしといたほうがいいみたいだし」

「ならいいけど。ほどほどにしとけよ」


 小さく頷いた博士が、シャツで汗をぬぐいながら言った。


「で、僕に何か用事があったんじゃないのか」


 斉藤は博士の目の前に、私が入っている鳥カゴを出した。


「博士、お前にしか頼めない。お願いがあるんだ。マジで頼むよ」

「頼むって、なにを」

「しばらく預かってもらえないか。これ、文鳥。可愛いだろ。シロって言うんだ」


 鳥カゴを押し付けられた博士は、五秒ぐらい固まっていた。状況を理解するまで多少時間がかかったようだ。

 わかる。その気持ちは痛いほどよくわかるぞ。


 これまで斉藤がお願いしたすべての人間が、同じような反応をしていた。私だって見ず知らずのスズメやインコを突然連れてこられて、「今から鳥カゴの中で同居しろ」なんて言われたら、同じような反応をしただろう。


「ちょ、ちょっと待てよ。うちのアパート、ペット禁止なんだぞ」


 さっそく雲行きが怪しくなってきたようだ。ついさっき見た、オンボロなアパートの見た目からして、そんな予感がしていたが、仕方がないことかもしれない。


 あんな壁の薄そうなアパートで、ペットなんて飼ってしまった日には、隣人同士のバトルが夜な夜な勃発してしまう。実に懸命な判断である。


「だいじょーぶ。たぶん犬とか猫ほど鳴き声しないから」

「そういう問題じゃないだろ」

「田舎の母さんが倒れたんだ」


 また始まった。これから斉藤の口から出てくる言葉はすべて、真っ赤な嘘である。


「倒れた?」

「だから実家に帰らないと行けなくなってさ。でもこいつ置いていけないし。やっと高速バスのチケットが取れたから、夜にはこっちを出る予定なんだ」


 斉藤の母親はピンピンしている。むしろアイドルの追っかけをするために、全国を飛び回ってるぐらいに元気だ。


 昨夜も電話があって、「コンサートで上京するので、時間があったら会わないか」という話をしていた。母親自ら上京して来るのだから、斉藤が実家に帰る必要なんてものは、どこにもない。


 斉藤は、さっき訪問した家でも、同じ嘘をついていた。懲りずにまた嘘を重ねるつもりのようだ。


「命に別状はないらしいんだけど、しばらく安静にしてろってことらしくて。うちの親父、家事とかなんにもできねーから。代わりに俺が面倒見ないと」


 これも嘘だ。ここ最近の父親は、いつも一人でほっておかれていることに慣れているので、むしろ料理も家事も一人でできる、女子力高い系おじさんだったはずである。


 前に斉藤の家に様子を見に来た母親が、あれやこれやとタッパーに入った料理を押し付けながら、ドヤ顔で息子に自慢していたぐらいだ。


 斉藤母が好き勝手に、アイドルの追っかけをするために身につけた口癖は、「大人なんだから、自分の世話ぐらい自分でしろ」だそうだ。


 夫の調教に成功したのだ、という勝利宣言かなにかだろう。よっぽど斉藤父は、尻に敷かれているらしい。きっと今頃はぺっちゃんこになっているに違いない。


 というわけで残念ながら、私の飼い主は狼少年なのだ。


 もちろん、生物学的には人間である。ただ、いつもその場限りの嘘をついて生きてきた男という意味で、狼少年だと私が勝手に分類しているだけだ。


 とはいえ大学生を少年というのは微妙かもしれないので、狼青年とでも呼べばいいのだろうか。


「実家に。それは、大変……だね」


 博士は心配そうに斉藤を見ている。


 おい騙されるな。この男が言っていることは、全部嘘なんだぞ。

 私はチチッと鳴いて教えようとするが、伝わらないようである。


 斉藤が私を捨てようとしている理由は単純だ。新しく好きになったアイドルの推しメンが、スコティッシュフォールドという猫が好きだった。だから、新しく猫を飼おうとしている、ただそれだけである。


 猫の写真をSNSでチラつかせて、少しでもアイドルと接点を持とうとするがためだけに、この斉藤という男は、猫を飼うつもりなのだ。


 猫が部屋に来るとなると、当然のことながら、鳥である私は邪魔になる。だからこの私を誰かに押し付けるつもりで、必死に嘘をつきまくっているのである。


 こいつは自分の都合だけでペットを捨てようとしている、とんでもない野郎なのだ。


 今すぐにでも人間になれるのなら、斉藤を殴りたい。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ