19 一番恐ろしいのは人間ということかもしれない。
聞き覚えのある能天気な声。紛れもない斉藤である。
「面白いものが見られるかもしれないって、教授が言うから、いてもたってもいられず戻ってきた。で、どうなった? ねぇねぇ」
さすが、空気を読まない男。
いいところだったのに。黙れ、斉藤。
博士と着物女が同時に、責めるような目をして、教授の方をちらりと見る。
「すまぬ。うっかり電話してしまった。まぁ観客は多いほうが盛り上がるかと思ってな」
「何をしてるんですか、教授」
「何をしてくれてるんですか、教授」
博士と着物女の返事がシンクロした。私も同じ気持ちだ。
よりによって、一番呼んではいけないタイプの男を召喚することはないだろうに。斉藤はスマートフォンを取り出して、自慢げに見せびらかした。
「教授、俺の調査能力、役に立ったんでしょ。あのボンクラ社長は、派手に遊んでたみたいだから、空接待、空出張の裏取りは簡単でしたよ。SNSの写真ひとつで、一瞬でバレるのに。使い慣れてないお偉い人には、それがわからんのですよ」
どうやらSNSを駆使して、アイドルのおっかけをやっている日々の鍛錬が、少しは社会の役に立ったということなのだろうか。
着物女が教授を見た。
「資金援助の件だけじゃなく、脱税案件のほうも、教授の仕業だったのですか」
「査察部の知り合いに、少し情報を提供しただけだがね。あの会社の会長、小学生の頃にワシをいじめておった嫌な奴でな。昔のことだしワシは水に流していたつもりだったんだが、最近ワシの孫をいじめているのが、その会長の孫息子らしいことがわかってな。さすがに我慢できんと、いつか借りを返してやろうと思っていたから、ちょうど良かったよ」
教授は孫娘の頭を優しく撫でる。
「問い詰めたら、ヒヨコを送りつけて、うちの孫をいじめていた少年は、どうやら好意の裏返しだったと白状したようだが、時すでに遅しというやつだ。自分でやったこと報いは、必ず返ってくる。因果応報というやつだな。うっかり、あんな男やその孫と、親戚にならずにすんで良かったよ」
教授は無表情のまま、声だけで「はははは」と怪しい笑いを披露する。顔と声があってない。不気味すぎるにもほどがあるのではないだろうか。
いくら因果応報といえども、こんな理由で大企業が失脚して良いのだろうか。一番恐ろしいのは人間ということかもしれない。
「前もって、ちょっといろいろ仕込みをしていたんだがね、最後の細かい裏取りは、彼に少々手伝ってもらったのだよ。この手のことは一番向いているだろうから」
「教授、成功報酬をくださいっ」
斉藤はおねだりをするみたいに、両手を差し出した。
「たぶんそこの二人が、払ってくれるはずだと思われるが」
斉藤はおねだりの矛先を、博士と着物女に向けた。
「俺は、先輩を政略結婚から救った、大恩人だぞ。新しいカメラ欲しかったんだよな」
斉藤はチラッチラと博士たちに視線を飛ばす。なかなかにうざい。しぶしぶといった感じで博士が答える。
「……今度、なんかおごるよ」
「消えものかよ。なら、焼肉か寿司でいいぞ」
「はいはい」
どうせ博士に比べたら大したこともしてないくせに。まことに現金な男である。ムカついたので、斉藤の頭まで飛んで、高速でつついておいた。
「いででで、なんだよ。お前には焼肉も寿司もやらないぞ」
だれもそんなことは望んでない。いや本当はちょっと久しぶりに食べてみたいけども。どうせそんな夢は叶わない。望んでも虚しいだけだ。
ひとしきり斉藤をつついて満足していたら、教授の孫娘が泣きそうな顔をしていたから、彼女の手のひらに戻ることにした。
「シロちゃん、勝手にどっか行っちゃ、やだっ」
しょうがない。泣く子には誰だって勝てない。わかったというつもりで、チチッと鳴いておいた。私が飛んでいくのを見守っていた博士が、斉藤に聞く。
「そう言えば、シロってオス、メスどっち?」
「オスじゃないかな。買った時にプレートに書いてあった気がする。よく知らないけど」
やっぱりこの男はよく知りもしないで、私にお見合いさせたのか。このポンコツ野郎め。おかげでこっちは、とんでもなく気まずい思いをしたんだぞ。
「なら発情期の心配はいらなさそうだな」
そう言った着物女が、ハンカチを出して顔を拭っている。夏場に着物は、やはり暑いのだろう。
「忘れてたっ」
斉藤が紙袋を差し出した。
「必要になるかと思って、教授に頼まれてたやつです。駆け落ちするなら、着替えたほうがいいんじゃないかって」
「……助かったよ。だが、駆け落ちは余計だ」
斉藤にしては、珍しく気が効くことをしたようである。
だが、着物女は受け取った紙袋の中身を、ちらりと確認してから、少し嫌そうな顔をした。
着物女が取り出したのは、やたらと可愛らしい感じの白いワンピースのようだ。あの猫宮という女子高生が着ていた服に似ている気がするが、気のせいだろうか。
「私にこれを着ろというのか」
「それ、結衣ちゃんが、この前SNSにあげてた服とお揃いっす。可愛いでしょ」
結衣ちゃんというのは、斉藤がお熱を上げているアイドルのことだ。
「たまには先輩も、黒以外の服を着てもいいんじゃないっすか」
「どう考えても似合いそうにないのだが」
怪訝そうにしている着物女に向かって、博士が優しく微笑みかける。
「黒い服を着てる先輩は、桜文鳥みたいにシュッとしてて格好いいですけど、白い服を着てる先輩は、きっとシロみたいで可愛いと思いますよ」
急に関係ないところで私が褒められた。嬉しくて舞い上がりそうになる。
「シロみたいって……ふざけているのか」
「どちらかというと褒めてるつもりなんですが」
「鳥に例えられて喜ぶ女がいると思ってるのか。せめて例えるなら花とかだろ」
おい、ちょっと待て。その言い方は、ちょっとあんまりなのでは。私に失礼だぞ。
「その指摘の意味がよくわかりません。花は綺麗かもしれませんが、鳥だって綺麗ですし、可愛さという意味では、鳥の方がよっぽど可愛いですし。先輩の可愛さを表現するには、花より鳥の方が最適かと」
そうだ。もっと言ってやれ。鳥は可愛いのだっ。
「うるさい。何回も可愛いとかいうな。恥ずかしいだろ」
「どうしてですか。先輩は可愛いですよ」
「あーもう。ほんと博士は面倒臭いな。いいかげん黙れよ」
「黙れと言われても、いつまでか期限を決めてもらわないと困ります」
「いつまでって、そんなことは自分で考えろ」
「なら黙りません。先輩はきっと白い服も似合います。だから安心して着替えてきてください」
博士はにっこりと笑った。その笑顔に釘付けになっているように、着物女は博士を見つめていた。
いかん、このままでは博士の一番は、着物女になってしまうではないか。私は必死に羽ばたいて、二人の間に割り込んだ。
「あっ、シロちゃん」
教授の孫娘が、私を追いかけてくる。すまないが私はそれどころではないのだ。今日知り合ったばかりの少女より、失うわけにはいかない大事な人間のために、私は戦わねばならぬのだ。
博士の手のひらに乗って、何度もくちばしで突いて、チチッと鳴いてアピールした。私のことを忘れるんじゃない。博士に捨てられたら、私はもう行くところがないのだぞ。
「い、痛いから。シロも可愛いから」
危なかった。うっかり博士が口にする可愛いという言葉を、着物女に全部取られるところだった。
「……まったく君という男は」
着物女が小さく息を吐いてから、少し笑った。
「背に腹を変えられぬというのは、このことか。ずっと着物を着ているわけにもいかないし。仕方あるまい」
斉藤をちらりと見て、何かを言いかけて飲み込んだ着物女は、そのまま研究室のあるほうへと去っていった。




