表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
文鳥は斉藤を殴りたい。  作者: 入口トロ
17/29

17 私だってびっくりした。思わず博士の頭を連続で突いてしまうぐらいには。

 大学病院の裏には、ちょうど散歩するにはうってつけの場所があった。私が初めてこの大学の研究室に来る時に、通り過ぎたあの場所だ。


 ゲリラ豪雨に見舞われたとは思えないほど、空は晴れ渡っている。照りつける日差しで、地面のほとんどが乾いていた。


 吹き抜ける風が緑の木々を撫でると、地面の影が小さく揺れる。いつまでもそこにいたいと思うような、爽やかで優しい空間だった。思わず気持ち良くなって、私は飛び上がっていた。


「あんまり遠くに行ったらだめだよ」


 着物女に注意されて、私は少し小枝の間を飛び移っていたが、すぐに博士の頭の上に戻ってきた。着物女が私を見て、クスッと笑う。


「よっぽどそこが気に入ったのかな」

「天パのウイッグだから、もじゃもじゃ具合が、鳥の巣っぽいのかも」

「なるほど。そういうことか」


 確かにツルツルの黒髪ロン毛な、着物女の頭よりは、止まりやすいかもしれない。


「そういえば、初号機の時から髪型はそのままだったな。いくらでも変更することはできるが、どうする。モヒカンやパンチパーマだってできるぞ」

「いや、このままでいいです」


 二人がベンチに座ると、つないでいた手をようやく離した。お互いを見ようとはせず、風に揺れる木々を眺めているようだ。


 しばらく続いた沈黙を壊すように、着物女が博士に向かって言った。


「博士、さっきはいつになく、よくしゃべったな」

「……着物姿の先輩が、想像以上に綺麗だったので、少し喋りすぎてしまいました」


 着物女は動揺したのか、急に咳き込んでいる。


「接続が切れた時に倒れて、どこか頭でも打ったんじゃないのか。普段とキャラが違っているぞ」


「やっぱり変ですかね。実は接続が切れたのも、先輩の結納が今日で、いずれ大学を辞めるという話を教授から電話で聞いて、思った以上に動揺してしまった時だったので」

「そう……だったのか」


 着物女は少し頬を染めている。これはひょっとして、ひょっとするのかもしれない。


「僕は義体が制御できなくなってからずっと、動かない体の中で、ぐるぐると考え続けていたら、やっと義体が復帰して。こんなに義体に戻れないのは久しぶりで。もしかしたら、もう二度と、この世界には戻ってこられないのかもしれないと、そう思って絶望の淵を覗いてきたので、ちょっと普段と違う感じになっているのは、そのせいかもしれません」


「……とにかく、無事で良かったよ」

「というか、今頃になって怖くなってきました。とんでもないことを、しでかしてしまったような気が」

「もう遅いよ」


 着物女は小さく笑った。


「さっき教授に電話で聞いたんだが。大学の研究室とは別に、知らない間に企業を立ち上げて、ほかにもいくつか開発したアプリの売り上げを、プールしていたそうじゃないか。黒幕がどうのと言ってたのは、これのことだったんだな」


「詳しくは聞かされていなかったんです。ただ教授が、いずれお金が必要になるかもしれないから、準備をしておきなさいとだけ」


 着物女は笑い出した。


「まったく君という人間は。私を翻弄させたら世界一だな」

「お誉めにあずかって光栄です」


「褒めてない。私は怒ってるんだ」

「どうしてですか」


「勝手なことばかりして……一つ質問してもいいか」

「なんでしょうか」


「あんなことを言った、君の真意はなんだ」

「質問の意味がわからないです」


 博士は首を傾げている。


「なんであんなことをした」

「なんでと言われても。いやその、別に、先輩が困っていると思ったのでつい。迷惑だったでしょうか」


 着物女は呆れたような顔をしている。


「それだけなのか」

「なにかおかしいですか」


「私はてっきり、君がプロポーズでもするつもりなのかと」

「ぷ、プロポーズ?」


 博士は真っ赤になって、首を振っている。


「どう考えても、結納の席から女を奪い返すということは、普通はそういう流れになることを期待すると思うが」


「そ、そういうことは、まったく考えてなかったというか。とにかく自分を犠牲にしようとしている先輩を助けなくてはと、そればっかりで頭がいっぱいだったので」


「まぁいい。ありがとう。助かったよ。悔しいけれど、格好良かったよ、博士。これはお礼だ」


 着物女は、博士の頬にキスをした。博士は驚いたように目を見開いている。


 私だってびっくりした。

 思わず博士の頭を連続で突いてしまうぐらいには。


「いででで」


 それを見て噴き出した着物女は、自分がやったことに今頃になって恥ずかしくなったのか、少し頬を染めた気がした。


 そんなに照れなくてもいいのに。ここで見ているのは私だけだ。あったとしても吹き抜ける風の視線ぐらいだろう。


「いや、こ、これはだな、欧米式のただの挨拶のようなものだ。深い意味はない」


 着物女は慌てている心をごまかすように、コホンと小さく咳をした。 


「なんなら実験の一環ということで、人生初のラブホテルにでも行って、そのまま続きでもするか? そういうことができるような機能もつけてあるぞ。もちろん、この着物は一度脱いだら、自力で着付けは無理だがな」


「とととんでもないっ」


「遠慮するなよ。前もって普通の服を買ってから行けば問題ない」

「遠慮とかではなくてですね」


「ならなんだ」

「そういうことは……本物の体でやりたいです」

「……なるほど。それも一理ある。良い実験になるかと思ったがしょうがない」


 この女はどうしようもないほどに、研究バカのようだ。先が思いやられる。


「じゃあどうするんだ。結納を阻止されたのはいいが、あれだけ啖呵を切って、私は帰る場所がないぞ。しばらく博士の家にでも泊めてくれるのか」


「そ、それは、若干スペース的に問題があるといいますか」


「冗談だよ。ほとぼりが冷めるまで、研究室で寝泊まりするさ。そのあとは人生初の一人暮らし用の部屋でも借りるかな。実は、不動産屋さんは行ったことがないんだが」


「ずっと実家住まいの人は、そうかもしれませんね」

「やはり釣り広告というのは多いものなのか。内見というのは、わざと悪い条件のものから見せて、あとから普通のものを、さも良い部屋のように見せるという荒技を使われるものなのか」


「それはまた、おいおい説明します。なんなら実際に探すときは、ご一緒しましょうか」

「そのほうが安全かもしれんな」


 この程度の知識で、本当に一人暮らしなどできるのだろうか。心配しかない。きっと博士がなんとかしてくれることを期待するしかない。


 急に騒がしくなったなと思ったら、近くの大木から飛んできた小さな鳥が、博士の背後にあるベンチの背もたれに止まったようだ。


 メジロというやつだろうか。抹茶みたいな体の色と、目の周りが白いのが特徴的なやつだ。


 最初の一羽に続くように、次々とメジロが飛んでくる。二羽、四羽、六羽と集まってきて、それぞれつがいなのか、まったりとくつろいでいる。


 こら、ここはお前たちの休憩所じゃないんだぞ。気安く博士に近づくな。


 そう思いながらチチッと抗議をしたが、このメジロたちは愛を囁くことに必死なのか、チィー、チチチチッと鳴いてばかりで、こちらには見向きもしてくれない。どうもヨウムと違って、こいつらには話は通じないようである。


 博士が微笑ましそうに柔らかな目線を飛ばす。


「目白押しというやつですね」


 博士の周りに群がるメジロを見て、着物女が感心した様子で言う。


「メジロは警戒心が強いから、普通はここまで近づいてこないものなのだが」

「僕が人間じゃないと見抜かれてるのかもしれませんね」


 博士は苦笑する。この私が見抜けなかったことを、あんな色ボケをしたメジロに見抜けるなんてありえない。そう抗議したかったが、私には無理だった。


「野生の勘というやつか。かもしれないな。でもそうやって鳥がそばにやってくるというのは……まるで『Close To You』みたいだな」


 博士はスマートフォンを取り出して検索したようだ。


「カーペンターズ……ですか。先輩、結構古い曲を知ってるんですね」

「亡くなった父が好きな曲だったんだ。もちろん母も好きみたいだよ。でも私が一番好きなのは、『Top Of The World』かな」


 そう言って微笑んだ着物女は幸せそうで、それでいて少しだけ寂しそうな表情を見せた。


「どちらも素敵な曲ですね」


 博士はスマートフォンから、流れる曲に耳を澄ましている。


「両親が初めて出会った時に、今の君みたいに、父もベンチに座っていたらしいんだ。居眠りをしているうちに、いつの間にか、父の周りには鳥がいっぱい集まってきていて、それがまるで『Close To You』みたいだって、母は言ったんだそうだ。でも、金髪碧眼の天使みたいな姿をしている父が、こってこての関西弁でしゃべり出したから、幻滅したって、母にキレられたんだってさ」


「それはまた理不尽な」


「でも父も悪いんだよ。第一声が『何を見とんじゃ、われ』だったらしいから」

「確かにそれは、感じが悪いかもしれない」


 博士は困ったように笑う。どこかで聞いたような話だなと思ったが。まさか……あの温室にいたヨウムって。


 でも、いやいやいや、きっと気のせいだ。そうに違いない。


 だが、『わいが愛してるんは、嫁はんだけやからな』って言っていたし、もしかしたら、死んでからもなお、愛しの嫁と娘を、そっと見守っていたのだろうか。


「おかげで、母にとって、父との出会いは、最高で最悪だったらしい。運命の出会いには程遠いよね」


 着物女は噴き出すように笑う。


「それでも結婚しちゃうんだから、不思議だよな、人間って」

「そうですね。僕みたいなのが、まだこうして生活できているんですから。なんでもありですよ」

「まったくだ」


 着物女は空を見上げる。


「父は、教授の教え子だったそうだ。私を授かった母のために、責任を取る形で、父は婿養子になった。母の言うように、父の決断は間違っていなかったのかもしれない。けれど私には、父が大学での研究を諦めたことを、心のどこかで後悔しているように思えてしょうがない。やはりそれは、私が研究者の立場だからだろうか」


「そうですね。でもどちらかが、正しいわけではなく、どちらの気持ちも、本当だったのだと思いますよ」


 博士は優しい声で続ける。


「人は一つの人生しか歩めません。選べなかった未来を知ることは叶わない。けれど、少なくとも、自分で決めた道であるならば、その未来に責任を取ることができるのは、本人だけですから」

「そうだな」


 何かを決心したような着物女の瞳は、力強く澄んでいた。


「だからこそ、私は決めたんだ。もう諦めない。博士が目覚める、その時まで」


 風が強く吹いた。


 メジロたちは、十分にイチャついて満足したのだろうか。木々を揺らした風に乗るように飛び立った。その行方を目で追っていると、公園の中を人影が近づいてくるのが見えた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ