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文鳥は斉藤を殴りたい。  作者: 入口トロ
15/29

15 どこにいるの。返事をしなさいよ。

 正面玄関が開いた瞬間を狙って、私は大学病院の中に侵入した。廊下を飛び回って、博士の姿を探す。どこにいるの。返事をしなさいよ。


「どうしてこんなところに」


 私に声をかけたのは、ホールで電話をかけ終わったばかりの女だった。博士の先輩である着物女ではないか。


 ちょうどいいところに。博士の居場所をこの女なら知っているはずだ。私は着物女の指に止まり、チチッと鳴いた。


「あの子と同じことするなんて。無茶なんだから」


 着物女は少し泣きそうな顔をして、私の頭を撫でた。


「ちょっとしばらく大人しくしててね」


 着物女は、私をそっと着物の懐に隠すと、廊下を歩き出す。暖かくて柔らかい胸元が思いの外、居心地が良くて、うっかり寝てしまいそうになる。なんとか意識を保とうと努力をしているうちに、着物女は足を止めた。目的の場所に到着したようだ。


 私を懐から出して、肩にのせた。


「まだ眠ってるけど、命には別状はなかったから、安心してね」


 着物女が案内してくれた部屋には、博士が二人いた。


 正確には一人と一体というやつかもしれない。チューブや機械につながれている病人のような博士が一人。


 上半身裸で、胸の部分がぱっくり開いて機械みたいなものが見えている博士の偽物が一体。それぞれ違うベッドに横たわっている。


「びっくりしたでしょ。君と今まで一緒にいたのは、こっちの博士」


 着物女が指し示したのは、機械のような博士のほうだった。


「去年の事故で、本物の博士はずっとこのままでね。でも脳波はしっかりしてるから、私の開発したこの義体を動かせるか、いろいろと実験してたんだ」


 アラームの音とともに「リブートが終わりました」というアナウンスが流れてくる。着物女が胸の蓋を閉じると、普通の人間にしか見えない。


「今回は、少しだけ遠隔操作のシステムに不具合があって、止まったみたいでね。良かったよ、ただの機械側の故障で。教授から連絡があったときは、博士本人の病状が悪化したのかもって、心配してたから」


 着物女が、博士の耳裏にそっと触れると、スイッチが入ったような、ピッという電子音がしたあとで、偽物の博士はゆっくりと目を開いた。


「おはよう。気分はどう」

「……ちょっとぼんやりしますが、大丈夫です」


 偽物の博士は体を起こすと、部屋の中をあちこち見回して確認しているようだ。


「君のことが心配で、シロがうちから逃げ出したみたいなんだ。よっぽど君のことを慕っているみたいだね」


 着物女の言葉を聞いて、偽博士は私のほうを見た。


「やぁシロ。こんなところまで来てくれたのか。大変だったろ」


 大変なのは博士のほうだろう。そう思いながら、私はチチッと鳴いてから、着物女の肩から飛び立った。


 どちらの博士に止まるべきか少し悩んだが、結局は偽博士の手元に飛ぶ。人間ではなさそうだが、私がずっと一緒にいたのは、こちらの偽博士だ。


「……無事でよかった」


 偽博士が私を撫でる指は、少しひんやりとしていて、相変わらず気持ちが良い。間違いなく私が飼い主と認めた博士だ。だから偽物ではない。これが本当の博士だと思うことにした。


 部屋のドアがノックされる。扉を開けて入ってきたのは、運転手をしていた男だった。


「お嬢様、結納のお時間が近づいております。もうそろそろお戻りになりませんと」


 背後には母親が立っていた。険しい顔で娘を睨んでいる。


「もうすぐあなたは、別の殿方に嫁ぐ身ですよ。いつまでこのような、お遊びをしているつもりですか」

「……お遊びではありません。私の大事な研究です」


 着物女は母親を睨み返す。きっとこの場にボールペンがあったら、投げていたのではないかというぐらい、ピリピリとした空気が張り詰めている。


「どうせ来月には、大学も辞めるのに。そんな研究をしても意味がないでしょう」


 母親は博士のことを、まるで粗大ゴミを見るような目で見つめている。また最初に出会った頃のような、怖い人に逆戻りだ。


 私は怖くなって、うっかり敵意が刺さらないように、小さく身を潜めた。


「もういいですよ、先輩。これまで十分楽しめましたから」


 そう言った博士は、穏やかな笑みを浮かべている。


「本当なら、もう二度と外の世界を見ることができなかったかもしれない僕に、この体を作ってくれて、本当に感謝しています。ですが、先輩の負担になっているのなら、もうやめましょう。立つ鳥跡を濁さずというやつでしょうか。今が潮時だと思います」


「負担なんかじゃない。私がやりたいからやっているだけだ。むしろ君を実験道具として利用していたのは、私のほうだ」

「実験道具……ですか。なら好都合です」


 苦笑いを浮かべた博士は、チューブにつながれた本物の体をじっと見つめて言う。


「ずっと考えていました。このまま僕の体が目覚めることがないのなら、こんな悪あがきはやめて、素直に死んだほうが、周りの人にも迷惑をかけずにすむんじゃないかとか」

「……なんでそんなことを言うんだ」


「実際に何度かこの病室に来て、生命維持装置を止めようとしたこともあります」

「ふざけるなっ。君は私の実験道具だぞ。勝手に死ぬなんてことは許さない。この世界に存在したくないのか、君はっ!」


 着物女の目から涙がこぼれ落ちた。何度拭っても涙は止まらないようだ。涙で濡れて化粧が流れ落ちている。


 静かに近づいてきた運転手は、そっとハンカチを差し出した。


「お嬢様、本当に言いたいのは、そのような言葉ではないのではありませんか。たまには素直になったほうがよろしいかと」

「うるさい、お前は黙っていろ。これは私と博士の問題だ」


 着物女が手を払って、ハンカチが床に落ちる。博士がベッドから降りると、ハンカチを拾い、着物女に手渡して、にっこりと笑った。


「僕なんかのために、もう泣かなくてもいいですよ。これで問題も解決です。一石二鳥ですね」


 博士が本物の体に近づいて、じっと自分の体を見下ろしてから、生命維持装置とつながっている電源ケーブルに手をかけた。


 まさかこの男は。

 私は必死に、博士の手を突いてみるが、まったく効果がない。


「やめろっ!」


 着物女が博士の手を掴んだ。博士は着物女を優しく見下ろしている。


「先輩、もし僕が殺して欲しいとお願いしたら、どうしますか。実験道具なら、できますよね」




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