14 褒められるのは嬉しいが、食べ物に例えるのはやめろ。私は食い物じゃない。
温室のガラス戸が開いた音で目がさめた。
ずっと変な夢を見ていたようだ。私が巨大ロボットになって、斉藤を殴りまくってるへんてこな夢だ。
ヨウムはまだ寝ているようである。変態ヨウムのせいでストレスが溜まって、変な夢を見たじゃないか。
こんな夏場に、正夢も何もないだろうが、もし本当に斉藤を殴る未来があるのなら、ぜひ実現してもらいたいものである。
それにしても、てっきり昨晩は、ヨウムが恐ろしくて、もしかしたら眠れないかもしれないと思っていたが、案外眠れた。
あまり認めたくはないが、図太さは斉藤に似てきたのかもしれない。慣れとは恐ろしいものである。
温室に入ってきたのは、昨日黒服女と口喧嘩をしていた母親のようだ。まさか腹いせに、私をいじめに来たんじゃあるまいな。
少し身構えたが杞憂に終わった。母親はホースを手にして、温室の中の植物に水をやりだしたからだ。
「あら、ここにいたの」
私を見て少し微笑んだような気がする。笑うと少し柔らかい表情になるのは、やはり黒服女と親子だからだろうか。
二人ともずっと笑っていればいいのに。そう思いながら私がチチッと鳴いたら、母親がこちらを見た。
「逃げたあの子と違って、あなたは真っ白なのね。大福みたいに可愛らしいお客様ね」
また大福に例えられた。変態ヨウムのことを思い出してゾゾゾッとする。母親から離れるように鳥カゴの隅っこに逃げた。
褒められるのは嬉しいが、食べ物に例えるのはやめろ。私は食い物じゃない。私に嫌われたと思ったのか、母親は悲しそうな顔をして言った。
「あの人が生きてたら、きっとあなたも、すぐに懐いてたんでしょうね。ただそこにいるだけで、まるで『Close To You』の歌みたいに、鳥も人も、みんな集まってくる人だったから。私とは大違い」
私がカラばっかりの餌を食べた時みたいに、虚ろな目をした母親は、ボソっと呟いた。
「どうして人間は言葉が喋れるのに、こんなに心が伝わらないのかしらね」
最近の私は文鳥になってからも、いろいろと大変なことに見舞われているが、どうやら人間のみなさんも、相変わらずなかなか大変そうである。
「もしかして、あの人みたいに、関西弁でもしゃべったら、少しはあの子も、本音を話してくれたりするのかもね」
母親は遠くを見ているような表情をした。もしかして亡くなった主人が関西弁だったから、ヨウムはあんな喋り方だったのだろうか。
「じゃあ、ごゆっくり。真っ白なお客様」
温室を出て行こうとした母親と、鉢合わせをするような形で女が入ってきた。服装が違うから一瞬、誰だかわからなかったが、博士の先輩のようだ。
いつもの黒服とは違って、きらびやかな着物を着ている。これでは黒服女ではなく、着物女ではないか。
二人は何も言葉を交わさず、すれ違って離れた。
着物女は濡れた葉っぱを確かめて、小さな消え入りそうな声で言う。
「……私が忘れた時に、ちゃんと水やりしてくれてたのはお母様だったのか」
思ったより悪い人間じゃなさそうだったぞと言うつもりで、私はチチッと鳴いたが、もちろん伝わっていない。
ふいにスマートフォンの着信バイブが聞こえてきた。着物女が電話に出る。
「どうしたんですか教授。電話なんて珍しいですね。……博士ですか。合宿に行ってるはずですが。……倒れて動かない? わかりました。うちの大学病院に連絡して、そちらに搬送してください。私もすぐに向かいます」
電話を切った着物女が、慌てて温室を出て行った。どういうことだ。博士が倒れたって。
「なんや騒がしいね。どないしたん」
目を覚ましたらしき変態ヨウムが、鳥カゴの近くの枝まで飛んできた。
「もしかして、倒れたっていうんは、わいの愛しのお嬢ちゃんの飼い主さんなんか」
あんたの物になったつもりはないなんて、ツッコミをする気力すらない。
黒塗りの車に乗ったときのことを思い出していた。なんだか嫌な予感がしたのだ。もう博士に二度と会えなくなるんじゃないかって。
「大学病院ってのは、前に入院してたところやね」
「前に入院?」
ヨウムは少し慌てたように、羽をばたつかせる。
「いや、あれや。この家の主人が入院しててん」
黒服女の父親がということか。
「それからずっと、この家には戻ってきとらんでな。ほやから痺れを切らして、桜文鳥は直接会いに外に行ってしもうたみたいやけどね」
そうか。いなくなった桜文鳥というのは、入院した飼い主に会いに行くために、この温室から逃げ出したのか。
「もし会いに行きたいんやったら、協力してやってもええよ。わいはカゴを開けるのは得意やから」
「そんなことできるの」
ヨウムはカゴの前に飛び降りた。小さな出入り口部分の扉を、大きなクチバシで器用に開ける。
「ほら簡単やろ」
得意げに甲高い声で鳴いた。
「誰かが温室の扉を開けた瞬間に、うまい具合に外に出ればええよ」
「でも病院がどこにあるかわからない」
「あの子の通ってる大学には、行ったことあるんか」
「つい昨日行ったばかりだけど」
「そのすぐ裏やで。何度かペットセラピーのボランティアとして、あの病院には行ったこともあるんや。大きな白い建物やから、すぐにわかるはずやで」
大学の近くなら、なんとかなるかもしれない。道もぼんやりだが覚えている。
「あの子の慌てようだと、ちょっと心配やけど。ほなけど外は危険やで。お前さん自身が戻ってこられるかどうかわからんし。無理なら、やめといたほうがええよ」
一人で外に行ったことなんてない。私みたいなちっさな文鳥が、カゴを出てうろちょろして大丈夫なのだろうか。
「どないする。必要ないなら、扉は閉めるし」
「……会いに行く。ここから出る」
きっと行かなかったら、後悔するかもしれない。せっかく出会えた、まともな飼い主を失いたくはなかった。
ちょうど使用人が、温室に近づいてくるのが見えた。
「ほな、気ぃつけてな。もう一度会えるかわからんから言うておく。お嬢ちゃんはむっちゃ可愛いで。わいの愛人ならぬ、愛鳥になってくれへんか」
「ばかじゃないの。なるわけないでしょ」
「なんや、本気にしたんかいな。冗談に決まっとるがな。わいが愛してるんは、嫁はんだけやからな。すまんな」
「あんたのノロケに付き合ってる暇はないから。でもカゴを開けてくれてありがとう」
私はキレ気味に答えると、使用人が温室の扉を開けた瞬間を狙って、飛び出した。
外に出てしばらくすると、まるで台風みたいな、土砂降りの雨が降ってきた。
強風が吹き荒れている。まるで私の後ろに、ブラックホールみたいな、黒い穴が広がっているみたいだ。夏の猛烈な暑さを冷ますために、空の上で誰かがバケツをひっくり返したのかもしれない。
こんなに急激に天候が変わるなんて、お天気担当の神様の、ご乱心でもあったのだろうか。よりによって、今でなくてもいいだろうに。
降りそそぐ雨で、羽が濡れて重くなる。何度も風に吹き飛ばされそうになった。どうしてこんな馬鹿なことを、やろうと決意してしまったのだろう。私は筋金入りの馬鹿かもしれない。
くじけそうになっていた時、まるで道案内をするように、前を飛ぶ桜文鳥の姿が見えた。
私と同じような小さな桜文鳥が飛べるのだ。私にだってできないわけはない。必死にあとを追うように飛び続けて、目的の白い建物を見つけた。
すでに、私の体はヘトヘトだった。目の前にある、大きな木のうろで、しばらく羽を休めることにした。雨風をしのぐには、ちょうど良い大きさだ。
だがそこには桜文鳥の死骸があった。ギョッとしたが、もしかしたら、さきほど道案内をしてくれたのは、この桜文鳥の幽霊か何かだったのだろうか。
うろから外を見ると、ちょうど大学病院の病室が見えた。ずっと、ここから飼い主を見守っていたのかもしれない。
私もこの桜文鳥のように、野垂れ死をする羽目になるのだろうか。
いや、そんなのは絶対に嫌だ。何が何でも博士に再会するのだ。いずれ人間になった暁には、斉藤を殴るという大事な夢もある。こんなところで死んでいる場合ではない。
少し雨と風がおさまってきた。羽を休めたおかげで、少し体力も回復している。
私は桜文鳥の亡骸に、案内してくれてありがとうの意味を込めて、チチッと鳴いてから、うろの外へ飛び出した。




