表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
文鳥は斉藤を殴りたい。  作者: 入口トロ
14/29

14 褒められるのは嬉しいが、食べ物に例えるのはやめろ。私は食い物じゃない。

 温室のガラス戸が開いた音で目がさめた。


 ずっと変な夢を見ていたようだ。私が巨大ロボットになって、斉藤を殴りまくってるへんてこな夢だ。


 ヨウムはまだ寝ているようである。変態ヨウムのせいでストレスが溜まって、変な夢を見たじゃないか。


 こんな夏場に、正夢も何もないだろうが、もし本当に斉藤を殴る未来があるのなら、ぜひ実現してもらいたいものである。


 それにしても、てっきり昨晩は、ヨウムが恐ろしくて、もしかしたら眠れないかもしれないと思っていたが、案外眠れた。


 あまり認めたくはないが、図太さは斉藤に似てきたのかもしれない。慣れとは恐ろしいものである。


 温室に入ってきたのは、昨日黒服女と口喧嘩をしていた母親のようだ。まさか腹いせに、私をいじめに来たんじゃあるまいな。


 少し身構えたが杞憂に終わった。母親はホースを手にして、温室の中の植物に水をやりだしたからだ。


「あら、ここにいたの」


 私を見て少し微笑んだような気がする。笑うと少し柔らかい表情になるのは、やはり黒服女と親子だからだろうか。


 二人ともずっと笑っていればいいのに。そう思いながら私がチチッと鳴いたら、母親がこちらを見た。


「逃げたあの子と違って、あなたは真っ白なのね。大福みたいに可愛らしいお客様ね」


 また大福に例えられた。変態ヨウムのことを思い出してゾゾゾッとする。母親から離れるように鳥カゴの隅っこに逃げた。


 褒められるのは嬉しいが、食べ物に例えるのはやめろ。私は食い物じゃない。私に嫌われたと思ったのか、母親は悲しそうな顔をして言った。


「あの人が生きてたら、きっとあなたも、すぐに懐いてたんでしょうね。ただそこにいるだけで、まるで『Close To You』の歌みたいに、鳥も人も、みんな集まってくる人だったから。私とは大違い」


 私がカラばっかりの餌を食べた時みたいに、虚ろな目をした母親は、ボソっと呟いた。


「どうして人間は言葉が喋れるのに、こんなに心が伝わらないのかしらね」


 最近の私は文鳥になってからも、いろいろと大変なことに見舞われているが、どうやら人間のみなさんも、相変わらずなかなか大変そうである。


「もしかして、あの人みたいに、関西弁でもしゃべったら、少しはあの子も、本音を話してくれたりするのかもね」


 母親は遠くを見ているような表情をした。もしかして亡くなった主人が関西弁だったから、ヨウムはあんな喋り方だったのだろうか。


「じゃあ、ごゆっくり。真っ白なお客様」


 温室を出て行こうとした母親と、鉢合わせをするような形で女が入ってきた。服装が違うから一瞬、誰だかわからなかったが、博士の先輩のようだ。


 いつもの黒服とは違って、きらびやかな着物を着ている。これでは黒服女ではなく、着物女ではないか。


 二人は何も言葉を交わさず、すれ違って離れた。

 着物女は濡れた葉っぱを確かめて、小さな消え入りそうな声で言う。


「……私が忘れた時に、ちゃんと水やりしてくれてたのはお母様だったのか」


 思ったより悪い人間じゃなさそうだったぞと言うつもりで、私はチチッと鳴いたが、もちろん伝わっていない。


 ふいにスマートフォンの着信バイブが聞こえてきた。着物女が電話に出る。


「どうしたんですか教授。電話なんて珍しいですね。……博士ですか。合宿に行ってるはずですが。……倒れて動かない? わかりました。うちの大学病院に連絡して、そちらに搬送してください。私もすぐに向かいます」


 電話を切った着物女が、慌てて温室を出て行った。どういうことだ。博士が倒れたって。


「なんや騒がしいね。どないしたん」


 目を覚ましたらしき変態ヨウムが、鳥カゴの近くの枝まで飛んできた。


「もしかして、倒れたっていうんは、わいの愛しのお嬢ちゃんの飼い主さんなんか」


 あんたの物になったつもりはないなんて、ツッコミをする気力すらない。


 黒塗りの車に乗ったときのことを思い出していた。なんだか嫌な予感がしたのだ。もう博士に二度と会えなくなるんじゃないかって。


「大学病院ってのは、前に入院してたところやね」

「前に入院?」


 ヨウムは少し慌てたように、羽をばたつかせる。


「いや、あれや。この家の主人が入院しててん」


 黒服女の父親がということか。


「それからずっと、この家には戻ってきとらんでな。ほやから痺れを切らして、桜文鳥は直接会いに外に行ってしもうたみたいやけどね」


 そうか。いなくなった桜文鳥というのは、入院した飼い主に会いに行くために、この温室から逃げ出したのか。


「もし会いに行きたいんやったら、協力してやってもええよ。わいはカゴを開けるのは得意やから」

「そんなことできるの」


 ヨウムはカゴの前に飛び降りた。小さな出入り口部分の扉を、大きなクチバシで器用に開ける。


「ほら簡単やろ」


 得意げに甲高い声で鳴いた。


「誰かが温室の扉を開けた瞬間に、うまい具合に外に出ればええよ」

「でも病院がどこにあるかわからない」


「あの子の通ってる大学には、行ったことあるんか」

「つい昨日行ったばかりだけど」


「そのすぐ裏やで。何度かペットセラピーのボランティアとして、あの病院には行ったこともあるんや。大きな白い建物やから、すぐにわかるはずやで」


 大学の近くなら、なんとかなるかもしれない。道もぼんやりだが覚えている。


「あの子の慌てようだと、ちょっと心配やけど。ほなけど外は危険やで。お前さん自身が戻ってこられるかどうかわからんし。無理なら、やめといたほうがええよ」


 一人で外に行ったことなんてない。私みたいなちっさな文鳥が、カゴを出てうろちょろして大丈夫なのだろうか。


「どないする。必要ないなら、扉は閉めるし」

「……会いに行く。ここから出る」


 きっと行かなかったら、後悔するかもしれない。せっかく出会えた、まともな飼い主を失いたくはなかった。


 ちょうど使用人が、温室に近づいてくるのが見えた。


「ほな、気ぃつけてな。もう一度会えるかわからんから言うておく。お嬢ちゃんはむっちゃ可愛いで。わいの愛人ならぬ、愛鳥になってくれへんか」

「ばかじゃないの。なるわけないでしょ」


「なんや、本気にしたんかいな。冗談に決まっとるがな。わいが愛してるんは、嫁はんだけやからな。すまんな」

「あんたのノロケに付き合ってる暇はないから。でもカゴを開けてくれてありがとう」


 私はキレ気味に答えると、使用人が温室の扉を開けた瞬間を狙って、飛び出した。





 外に出てしばらくすると、まるで台風みたいな、土砂降りの雨が降ってきた。


 強風が吹き荒れている。まるで私の後ろに、ブラックホールみたいな、黒い穴が広がっているみたいだ。夏の猛烈な暑さを冷ますために、空の上で誰かがバケツをひっくり返したのかもしれない。


 こんなに急激に天候が変わるなんて、お天気担当の神様の、ご乱心でもあったのだろうか。よりによって、今でなくてもいいだろうに。


 降りそそぐ雨で、羽が濡れて重くなる。何度も風に吹き飛ばされそうになった。どうしてこんな馬鹿なことを、やろうと決意してしまったのだろう。私は筋金入りの馬鹿かもしれない。


 くじけそうになっていた時、まるで道案内をするように、前を飛ぶ桜文鳥の姿が見えた。


 私と同じような小さな桜文鳥が飛べるのだ。私にだってできないわけはない。必死にあとを追うように飛び続けて、目的の白い建物を見つけた。


 すでに、私の体はヘトヘトだった。目の前にある、大きな木のうろで、しばらく羽を休めることにした。雨風をしのぐには、ちょうど良い大きさだ。


 だがそこには桜文鳥の死骸があった。ギョッとしたが、もしかしたら、さきほど道案内をしてくれたのは、この桜文鳥の幽霊か何かだったのだろうか。


 うろから外を見ると、ちょうど大学病院の病室が見えた。ずっと、ここから飼い主を見守っていたのかもしれない。


 私もこの桜文鳥のように、野垂れ死をする羽目になるのだろうか。


 いや、そんなのは絶対に嫌だ。何が何でも博士に再会するのだ。いずれ人間になった暁には、斉藤を殴るという大事な夢もある。こんなところで死んでいる場合ではない。


 少し雨と風がおさまってきた。羽を休めたおかげで、少し体力も回復している。


 私は桜文鳥の亡骸に、案内してくれてありがとうの意味を込めて、チチッと鳴いてから、うろの外へ飛び出した。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ