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文鳥は斉藤を殴りたい。  作者: 入口トロ
13/29

13 やっぱり私は、カゴの中で飼われているペットなのだなと自覚した。

 黒塗りの車で運ばれてきたのは、純和風のお屋敷だった。いわゆる豪邸というやつだ。


 長い廊下から見える中庭には、大きな池があった。錦鯉が泳いでいる。いかにも日本庭園らしい、丸みを帯びた形に切りそろえられた植木と、無駄に大きな岩が、非対称に配置されていた。どこから写真を撮っても絵になりそうだ。


 博士の住んでいるアパートとは大違いである。池の部分だけでも、すでにアパート全体の広さを上回っているかもしれない。同じ人間の住む場所とは思えない。


「遅かったですね」


 長い廊下を歩いて角を曲がった先に、着物姿の貴婦人が待ち構えていた。怖い顔でこちらを睨んでいる。黒服女は足を止めて、まるでいたずらを見つかった子供のように、少し拗ねた表情を見せた。


「お母様、何かご用でも」


 どうやら着物の女性は、黒服女の母親のようだ。


「お客様はもう帰られてしまいましたよ」

「本日は急用がありましたので。会えない旨は、先方にご連絡差し上げたはずですが。別にお話しするようなこともありませんし」


 黒服女の言う急用というのが、博士を尾行していたことだとしたら、そんなことで約束を反故にしてもいいのだろうか。金持ちの世界では許される、謎のルールがあるのかもしれない。母親は黒服女をじっと見た。


「いつまで男物のスーツを着ているのですか。まさか結納の席にまで、そのようなふざけた服を着てくるつもりじゃないでしょうね」


 結納とはどういうことだ。この女はもうすぐ誰かと結婚するということなのだろうか。だとしたら博士のことを尾行していたのは、一体なぜなのだろう。よくわからない。


 黒服女は小さく笑った。


「意外ですね。お母様は資金さえ入れば、ほかはどうでも良いのかと思っていましたので。きっとお相手も伝統というお飾りが欲しいだけなのでしょうから、今さら私の服装ごときなど、気にされないとは思いますが」


「あなたが恥をかくだけですよ」

「恥をかきたくないのは、お母様のほうでは」


 母親が何か言いたげに、黒服女を睨みつけた。


「どうせ歴史という名の化石で押しつぶされそうな、この家を守るために、今度は私を生贄にするのでしょう。お父様を婿養子にして、未来を潰したみたいに」


 負けじと黒服女も見返している。


「ご安心ください。一日ぐらいなら、お母様が用意された、派手で見栄っ張りな着物を身につけて、従順なお人形のように座っていることぐらいは、私にもできますから」


 黒服女は会釈をして通り過ぎる。見た目は豪華な屋敷だが、中に住んでいる人の関係は、凍えそうなほどギスギスしていそうである。


 こんなところにあまり長居をしたくはないが、博士が合宿から戻って来るまでの辛抱である。我慢するしかない。





 黒服女は廊下の角を曲がると、突き当りの勝手口を開けた。


 どうやら裏庭に通じているようだ。ガラス張りの建物がある。純和風な中庭と違って、洋風のデザインになっていた。


 扉を開けて温室に入ると、棚の上に私の入った鳥カゴを置いた。


 天井が高い。一部のガラスはステンドグラスになっている。壁に張り巡らされた樹木の隙間から光が差し込んでいた。変わった形をした花や植物で溢れている。テレビでしか見たことがないような、鮮やかで煌めいた空間だった。


 私はうずうずしていた。飛びたい。この中を飛び回りたい。

 チチッと鳴くと、黒服女は鳥カゴの小さな扉を開けてくれた。


「シロ、好きに遊んでていいよ。餌と水は変えておくから」


 私はカゴから飛び出した。上へ。もっと上へ。何度も羽ばたいて高みを目指す。

 気持ちいい。こんなに広い空間を飛んだのは初めてだ。


「ヨウムがいるから。喧嘩しないようにね」


 黒服女が心配そうに私を見上げている。私は飛び回ることに夢中で、近づいてくる影に気づいていなかった。


『こんばんは』


 私の何倍も大きな鳥が目の前に現れた。グレーの体に黒いくちばし、赤い尻尾。これが黒服女が言っていたヨウムなのか。思わずびっくりしすぎて、枝から落ちそうになった。


『お嬢ちゃん、可愛いね』


 ぐっと足で掴まれそうになる。怖い。食われる。助けて。私は暴れるように羽ばたいて逃げ出した。


『いい子、いい子』


 逃げても逃げても追いかけてくる。私は逃げるように、木々の間を飛び回った。


 黒服女は、私の鳥カゴから餌箱と水入れを取り出して、手入れをしている最中のようだ。こちらをちらりと見上げて言う。


「グレイ、その子は大事なお客様なんだから。いじめたらダメだよ」


 どうやらそのヨウムの名前は、グレイというらしい。ようやく私を追い回すのをやめてくれたようだ。今のうちに遠くに逃げないと。


 ちょうど入れるぐらいの小さなうろがある。私はその中に隠れた。なんだか安心する。私にとってはこんな小さな穴が、ささやかな空の城のようなものだ。


 広いところに出られて嬉しかったけれど、やっぱり私は、カゴの中で飼われているペットなのだなと自覚した。


 ずっとカゴの中にいたら、あんな大きな鳥に追いかけられて、怖い思いをすることなんてなかった。


 こんな思いをするぐらいなら、ずっとカゴの中にいたほうがいい。そう思えてしまう私は、まごう事なきカゴの中の鳥だったのかもしれない。


「シロ、戻っておいで。カゴの掃除も終わったよ」


 黒服女のところまで飛んで、カゴの前に着地する。新しい餌が器に入っているのを見つけて、迷わず中に入り、私はがっついた。いっぱい空を飛んで、腹が減っていたのだ。


「シロ、おとなしく待っててね」


 夢中で食べているうちに、黒服女はカゴを閉めて出て行ってしまったようだ。温室には私とヨウムとの二羽だけが残された。またさっきのように襲われたらかなわないが、カゴの中に入っていれば、体の大きなヨウムは手を出せまい。


 ヨウムは私のことをじっと見ている。なぜだかわからないが、背筋がゾゾゾッとした。恐怖しか感じない。


 ヨウムは人間の声真似ではなく、普通に鳥の鳴き声を出して、私に話しかけてきた。


 鳥の種類は違えども、どうやら言葉はちゃんと通じるみたいである。だがそのくちばしから出てきた言葉は、聞きたくない種類の残念な内容だった。


「なんやあんた、大福みたいやな。白うて、もっちりとして、口ばしはサクランボみたいにピンクで、めっちゃ可愛らしいやんけ。食べてしまいたいぐらいやね」


 なんだかセクハラおっさんに言い寄られてるみたいで、嫌悪感しかない。だいたいなんで鳥語だけ、そんなに訛ってるんだ。意味がわからない。


「私はあなたの食料じゃないですから」


 ヨウムは目を見開いて、雄叫びをあげた。


「お嬢ちゃん、わいの言葉がわかるんかっ」


 羽をだらりと下げたヨウムが、やけに切なげな声を出し始めた。カゴを噛むようにしながら吐き戻しを繰り返す。


 まさかこれは私を食いたいという、猛烈なアピールなのか。いやもしかすると求愛されているのかもしれない。


「すまん、すまん。久しぶりにおっちゃん、まともに話が通じて、ドキドキしすぎてしもうたわ」


 なるべくヨウムから離れるように、宿り木の隅っこまで逃げる。ここは危険だ。変態ヨウムにやられてしまう。こんな目に遭うのは、やっぱり斉藤のせいだ。


 斉藤が私のことを捨てさえしなければ、こんなことにはならなかったのに。あの野郎。もう一度会ったら、華麗なる十六連打をかまして、つつき倒してやる。もし人間になれたら、絶対に殴ってやるからな。


「声も可愛らしいな。目もまん丸で最高やな。なんや若い時の嫁はんを思い出すわ。初めて会った時も、そないな感じで、わいが関西弁で『何を見とんじゃ、われ』言うたら、信じられへんみたいな顔で、見とったのを思い出したわ。それはもう、えらいべっぴんさんでな。ほなけど、お嬢ちゃんも、負けんぐらい、可愛らしいで」


 あれやれこやとヨウムは独り言のように、褒め言葉を言いつづけている。これで口説いているつもりなのだろうか。


 いくら言い寄られても、こんなでかいヨウムと交尾なんかできるわけないだろう。そもそも種族が違うわけで。さっさと諦めてください。っていうか、嫁さんがいるなら、別の鳥を口説くな、エロヨウムめ。


 あー早くお家に帰りたい。もちろん斉藤の家のことではなく、博士の家のほうである。


 だがあの家には今、女子高生の猫宮がいるはずだし、博士の合宿が終わるまで、戻ることもできない。結局、私には居場所なんてないのかもしれない。


 うっかりヨウム襲われたらどうしようと、ずっと警戒しながらビクビクしていたが、しばらくすると夜が更けて、ヨウムのしゃべりがピタリと止まった。どうやら喋りすぎて疲れたのか、ヨウムは船を漕ぎ出したようだ。


 温室の中は静かになった。ひとりぼっちだ。見上げると黒い空が浮かんでいる。


 無数の星が瞬かせている光は、私の目に入った時点で、何億光年も前に、名もなき星が光っていたものでしかない。もしかしたらその星はもうすでにないかもしれないと、何かの授業で習った気がする。


 私の目には見えているけど、本当は存在しないかもしれないなんて。私も同じようなものではないのだろうか。


 文鳥としてここには存在しているけれど、人間だった頃の私はもういない。いるのにいない存在。私ってなんだろう。


 空なんて見上げるから悪いのだ。星空は、自分たちのちっぽけさを思い知らせてくれる。お前たちの一生なんて、星の一生に比べたら、一瞬のまばたきにすらなっていないのだと、そう突きつけられるような気がする。


 ふいに自分が死んだ時のことを思い出した。みんなどうしているんだろう。


 今も楽しく人間をやっているのだろうか。お父さんも、お母さんも、いっぱい泣いたりしたのかな。それとも勝手に先に死ぬなんて、とんでもない親不孝者だって怒ってるかな。学校の友達もみんな、お葬式で泣いてくれたりしたんだろうか。


 幼馴染の花音は、他の友達よりは、たっぷり泣いてくれたと思うけど、三日ぐらい泣いたら案外ケロっとして、バスケ部の部長とあの後、付き合うことになって、よろしくやっていたりするのかもしれない。


 花音が部長と一緒に映画に行ったり、カフェで食事をしたり。部長が大学に進学したら、一人暮らしを始めた部屋に、初めて呼ばれた花音が、いかにもな手料理を作って。


 食後にお笑い番組なんかをまったりと見て、ひとしきり笑ったあとに、ふと訪れた静寂の中で、二人は顔を近づけて……なんて、想像しただけでムカついてきた。


 なのにどうしようもないぐらいに、心の中で閑古鳥が鳴いて、寂しくて泣きそうになった。


 けれど文鳥は涙なんて出ないらしい。普通の文鳥は、こんなことをグジグジと悩んで、悲しくなったりすることはないのだろう。


 結局、私はこの世界でも一人のままなのだろうか。惨めで格好悪い。


 ずっと一人で、寂しく死んでいくのだろうか。考えても答えなんて出てこない。私の今の脳みそは、ちっこいのだ。私は疲れのあまりウトウトとし始めた。




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