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文鳥は斉藤を殴りたい。  作者: 入口トロ
11/29

11 ここまでくるとある意味、名人芸である。

「どうとは、どういう定義のこと?」


 ピンときていない様子の博士に向かって、猫宮は不機嫌そうな口調で言う。


「その先輩のこと……好きなんですか」

「好きだよ」


 さらりと博士が言う。猫宮の目が見開いた。


「とても尊敬してるよ。先輩がいなければ、今の研究室には入ってないかもしれないし、本格的に記憶の研究をしようとは思わなかっただろうね」

「そういうことではなくて」


「ではなくて?」

「いえ、もういいです」


 博士は鈍い。この流れで聞いたら、男女の好きに決まってるだろう。定義ってなんだよ。論文じゃないんだから。


 猫宮がいくら博士を絡めとろうと企んでも、鰻のようにヌルヌルと逃れていく様を見ていると、可哀相になってきた。ここまでくるとある意味、名人芸である。


 しばらくの間、沈黙が訪れた。


 玄関の扉がノックされる。クーラーの修理業者が来たようだ。


 工具箱と脚立を持った中年男性が入ってきた。毛布のような敷物を置いてから、脚立をのせると、業者の男はクーラーのカバーを外して、点検をし始める。


「内部の基板が少しイカれちゃってますね。でもこれなら部品交換でなんとかなりますよ」


 直すべきところを手際よく修理していく。その様子を博士と猫宮は、じっと見つめていた。業者の男がちらりと猫宮の姿と、スーパーの袋に目をやってから言った。


「大変だね。せっかく彼女さんを、部屋に呼んだのに」


 猫宮の顔が赤くなったような気がする。博士が言った。


「いえ、彼女ではありません。家庭教師をしていた生徒さんです」

「そうなの? これから晩ご飯、一緒に食べるんじゃないのかい」


「相談したいことがあるそうなので、修理が終わるのを、待ってもらっているだけです」


 博士にも業者の男にも悪気はないようだが、猫宮のこれからやろうとしていたことが、無残にブロックされているようで、なんだかいたたまれない。


 漂う不穏な雰囲気に気づいたのか、業者の男は作業を終えて、工具や脚立を片付けながら言った。


「てっきりおじさん、二人はアベックなのかと思ってたよ」


 それを聞いた博士は、独り言のような問いかけをする。


「アベックってなんでしたっけ。教授が前に言ってたような」

「さ、さあ、なんでしょうね」


 猫宮は苦笑いをしながら目を泳がせた。明らかに知っているのに、知らないふりをしたようだ。


「邪魔して悪かったね。じゃあ頑張って」


 業者の男は博士から金を受け取ると、申し訳なさそうに猫宮を見てから、部屋を出て行った。


 女子高生に対してアシストしたつもりだったのだろうが、まったくフォローになっていない。博士の鈍感バリアの防御力は、凄まじいものがある。生半可な攻撃では、ビクともしないらしい。


 博士がリモコンで温度調節をすると、部屋に涼しい風が吹いてくる。無事にエアコンは直ったようである。ある程度、部屋の空気が冷え始めたところで、博士は窓を閉めた。


 博士がちゃぶ台の前に座り、じっと猫宮を見た。


「それで、猫宮さん。相談したいことというのは、なんでしょうか」


 真面目か。

 博士に鈍感力をギフトとして与えた神様、今すぐ出てこい。いろいろ説教してやる。


 猫宮は言い出しにくそうにしていたが、決意を固めたのかようやく口を開いた。


「先生、お願いです。今日はここに泊めていただきたいんです」

「ここに、ですか」


 何を言い出すかと思えば、思った以上にこの女、大胆である。自ら乗り込んできただけではなく、いきなりお泊まり要望とは。


 さすがの博士も猫宮の思いに気づいたのだろうか。真剣な顔をしてしばらく考え込んでいた。カレンダーとスーパーのレジ袋をちらりと見てから、博士は言った。


「なるほど、そのための食料だったんだね。わかった。そんなに泊まりたいというのなら、いいよ」

「え?」


 まさかあっさり受諾されるとは思っていなかったのか、猫宮の口が開いたままだ。びっくりしすぎである。私だって驚いている。うっかり宿り木から落ちそうになるぐらいには。


「ちょうど明日から合宿だから、帰るときはポストに入れておいてください」


 博士はキーホルダーから鍵を取り外して、猫宮の前に差し出した。


「え、あの先生、これ」


 博士は大きめのボストンバッグを出して、シャツやタオル、シューズなどを詰めていく。


「家出したくなる時ってあるよね。わかる。僕も兄弟と喧嘩して気まずくなって、山に行って木の上や洞窟に秘密基地を作って、一晩過ごしたりしたし。さすがに夏とはいえ、女の子に野宿は危険だろうから。いいよ。この部屋使ってくれて」


 博士はわかっていなかったようだ。博士の鈍感力を見くびっていた。まさかの斜め上の解釈に脱帽だ。


「いえ、そうじゃなくて、ちょ、ちょっと待ってください」


 猫宮は鍵を手にしたまま慌てている。


「よかった。合宿で家を開ける間、クーラーも直ったし餌を多めに入れとけば、一日か二日ぐらいなら、大丈夫かなと思ったんだけど、猫宮さんがこの部屋にいてくれるなら安心だ。できればシロの相手をしてもらえると助かるよ」

「え、いやその、それはちょっと困るというか」


 博士がしょんぼりと肩を落とした。


「そっか。急に言われても無理か。だよね。猫宮さんは猫のほうが好きだっけ」

「えっと、そういう意味ではなくて」


「変なこと言ってごめん。シロは連れて行くから、気にしないで。この部屋は好きに使っていいから」


 荷物をすべて詰め終えて、立ち上がった博士は、鳥カゴを手に取り覗き込む。


「ごめんな、シロ。またお出かけだ」


 鳥カゴと荷物を持った博士が、玄関に向かうが、猫宮は足がしびれているのか、うまく立ち上がれないようだ。


「先生、待って」

「帰りは明後日になるけど、猫宮さんも早めに家に戻った方がいいと思うよ。いくら気まずくても、ご両親に電話ぐらいはしときなさいね。それじゃ、行ってきます」


 博士は荷物と鳥カゴを持って、自宅を出て行った。


 行ってきます、じゃねーだろ。爽やかな笑顔でなんという鬼畜な。

 これが教授の言っていた、天然のフラグ崩壊王というやつか。


 一人で部屋に残された、猫宮のことを考えるといたたまれない。いろんな意味でどうしてこうなったと感じているにちがいない。猫宮という女子高生の人生で、何かが始まる前に、終わったようだ。どんまい猫宮。さよなら女子高生の淡いひと夏の片思い。


 これほどの鈍感力を見せつけられて、彼女が立ち直れるかどうかは定かではないが、ぜひ力強く生きていってもらいたいものである。


 なんて人の心配をしている場合ではなかった。これから博士が合宿で、那須塩原に行くということは、私は一体どうなるのか。また路頭に迷うことになるのだろうか。




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