1 私の鳥生がピンチを迎えている。
文鳥になったことがある人はいるだろうか。
そんなやつがいたら、ただの嘘つきだ。少し前の私なら、そう思っていただろう。だって私は、半年前までは、まぎれもなく女子高生だったのだから。
目が覚めると、私はカゴの中にいた。
サイズ感がなにやらおかしい。私、こんなに小さかったっけ。
隣のカゴには、桜文鳥やインコなど、いろんな小鳥が入っている。
壁際の小さな鏡に映った姿を見て、目を疑った。そこに映っているのは、桜色のくちばしと、真っ白な羽を持つ白文鳥だった。
店員さんらしき男の声が聞こえてくる。
「知ってますか。白文鳥って、日本で明治時代に、突然変異で生まれた種類なんですよ」
くちばしで自分の足をつついてみたが、かなり痛い。夢じゃなく現実っぽい。
もしかして、もしかするのか。もしかしちゃうのかもしれない。
「愛知県弥富市ってところですね。だから海外では『Japanese Rice Bird』なんて呼ばれてます」
どうやら私は、本当に文鳥に転生したらしい。
ありえない。なんで私がこんな目に。
まったくもって、ありえない。
「こちらの白文鳥、お安くなってますよ」
しかもお安くなってるって、どういうことだ。
店員がカゴの前に立ち止まる客に、いろいろ説明を続けている。
だが、さっきから、同じ言葉を繰り返していた。動きも同じで、やけに表情が変わらない。マニュアル人間というやつなのかもしれないが、もしかしたら、最近流行りの人間そっくりに動く、店員ロボなのだろうか。
「白文鳥は一般的に丈夫ですね。だいたい文鳥は七年から八年ぐらいは生きるみたいですけど。最近は十年以上、生きる子も増えてますよ」
そうか。私、死んだんだよな。
ふいに、死んだ瞬間のことが、頭の中に蘇ってきた。思い出しただけでも、ムカムカしてくる。
バレンタインデーの日。先輩にチョコを渡せないまま、家に帰ろうとしていた時だ。
交差点の向こう側に、先輩の姿を見つけた。その隣に並んできた女子高生は、私の幼馴染の花音だった。
信号待ちをしている男性のほとんどが、彼女の方をちらりと見ている。そのぐらい美貌に恵まれた美少女だった。
勉強もできて、バスケ部ではまだ一年なのに、レギュラーに抜擢されるぐらいには運動神経も抜群だ。何もかもが普通の私とは違う。何をやっても敵わない。小さい頃から自慢の親友だった。
並んで信号待ちをしている二人は、とても仲が良さそうに話していた。男子バスケ部部長のイケメンな先輩と、カースト最上位の美人は、あまりにお似合いだった。
涙がこぼれそうになるのを、必死にこらえた。でも、涙はどんどん溢れてきて、止まらなくなった。
信号が青になる。私は交差点を歩き出した。楽しそうに話をしている二人とすれ違う。
結局、いつもこうだ。何かを望んでも、いつも幼馴染の花音に、目の前で持って行かれる。そういう運命なのだと、諦めるしかないのかもしれない。
ばかみたいだ。なんで生きてるんだろう、私。死んじゃえばいいのに。
そう思った瞬間、ブレーキとアクセルを踏み間違えて、交差点に突っ込んできた暴走自動車に跳ねられて、私は死んでいた。はずだった。
なのに今の私は、ペットショップで売られている真っ最中らしい。
確かに、死んじゃえばいいのにとは思った。思ったけども。だからって、文鳥でなくてもいいだろう。
どうしてこうなった。
「公式記録じゃないですが、十八歳まで生きた子がいたとかいないとか」
どうやら私はまた、短い人生ならぬ、鳥生を過ごす羽目になりそうだ。
いろんな人間が、じっとカゴの中を見てくる。ほかの小鳥たちが買われていく中、私はずっと取り残されていた。
何日かして、ようやく私を購入しようとする人間が現れた。それが斉藤という大学生だったのだ。
「一番安いのこれっすか。じゃあ、これで」
入店して三分で、さくっとお買い上げをされた。
「すっげー白いなー。なら、シロでいっか」
雑な感じに名前をつけられた。もう少し考えろよ。
私の初めての飼い主は、なんだかやけにアホっぽい。ちょっと嫌な予感しかしない。今になって思えば、その予感は正しかったわけだ。
だが、その斉藤という男は、少し先輩に顔が似ていた。結構なイケメンである。
だから、ちょっとばかし、新しい生活に期待していたのだ。
もしかしたら、若くして死んだ私を不憫に思った神様が、大好きだった先輩に似ているイケメンと暮らせる生活を、わざわざ用意してくれたのかもしれない。なんてことを思っていた。
だがそれが間違いだったと気づくには、そう時間はかからなかった。
斉藤はやけに人懐っこく、人たらしの部類らしく、友達や知り合いが多かった。
だが、その反面、チャラくて嘘つきで、どうしようもないクズ男だった。友達や知り合いとの約束は、すぐに破るし、自分が追っかけをしているアイドルのためなら、何度でもドタキャンをするような、ただのアイドル好きの残念な男だった。
「わりぃ、忘れてた。今日は文鳥を病院に連れて行かなきゃ。だからパスな」
電話を切った斉藤は、チケットをニヤニヤと眺めている。
また誰かに嘘をついている。いつものことだ。
最近は文鳥の世話を、言い訳にすることが多いが、全部嘘である。本当の理由は、アイドルのライブや握手会があるからだ。今回もプラチナチケットをゲットして、ドタキャンすることに決めたのだろう。
鳥をダシに使うな。
いや、一瞬それはそれで、なかなかいい味が出そうだな、とか思った自分が悲しい。羽をむしられ、茹でられている姿を想像して、ゾッとしてしまった。
この家につれてこられて、たった数ヶ月でも、すっかり文鳥が身についてきているのが、なんだか泣けてくる。
「俺、そんなこと言ったっけ。いやー覚えてないな。今日は、文鳥のお見合いがあるからなー。やっぱ無理だわー」
斉藤はかかってきた別の電話にも、また嘘を重ねているようだ。
お見合いをしたことは実際にあるが、すでに失敗に終わっている。少なくとも今の時点で、別の文鳥が連れてこられた形跡がない以上、斉藤が電話の相手に説明している言葉は、ただの嘘である。
アイドル命の斉藤を、熱心な信者だと言えば聞こえはいいが、ライブがある日にバイトや約束が重なれば、必ずライブを優先するだけの、ただのクズである。おかげでいつも、誰かに嘘をついて怒られている。
なのに本人は反省するつもりはないらしい。それでもなぜかいつも許されている。斉藤の周辺にいる人間との信頼関係というのは、一体どうなっているのか。理解できない。
こんないい加減なやつが、先輩の顔と似ているというのが許せない。男にはギャップが大事なんていうけれど、こんなギャップなら必要ない。期待させただけ、さらに罪深い。あまりに理不尽だ。
それどころか飼い主としても、この斉藤という男は、ろくでもない。しょっちゅう餌を忘れるし、水の入れ替えもろくにしない。何度かひもじくて死にそうになった。まったくもってろくでもない。
こんなことなら斉藤という男のペットになんか、ならなければ良かった。いや、なりたくてなったわけではないし、気が付いたらなっていたのだから、単なる事故のようなものである。私は事故に遭遇しすぎではなかろうか。
いつだって私の人生ならぬ鳥生は、ろくでもないルートしか用意されていないらしい。人間だった時だけじゃなく、鳥になってもこんな運命なのか。納得がいかない。
だいたい文鳥に転生することすら、自分で選べなかっただけでも腹立たしいのに、なぜペットには飼い主を選ぶ権利がないのか。不条理である。
私が真っ白だからって、シロなんていうありがちな名前をつけられた時点で、なんだか嫌な予感はしていた。犬や猫だと思われそうな平凡極まりない名前を、私はあまり気に入っていない。
もっとあるだろう。その、あの、なんかいい感じのやつっ。思いつかないけども。
だが、抗議しようにも、私は人間の言葉をしゃべれるタイプの鳥ではない。だから仕方なく黙って受け入れていた。
いろいろ文句はあるとはいえ、どうせ訴えたところで伝わりはしない。
だから私はそれなりにペットとしてすべてを受け入れて、半年ほどはつつましく暮らしていた。……はずだった。なのにどうしてこんなことに。
青空を見上げると、真っ白な入道雲が広がっていた。
今日は朝から、諸悪の根源である斉藤に、カゴごと持ち出され、太陽の照りつける灼熱地獄の中を延々と連れまわされている。
ずっとカゴの中で過ごしている文鳥の私にとって、空というのは未知の領域だ。時々カゴから出してもらえて羽を広げたとしても、それは部屋の中という限られた空間でしか飛んだことがない。
せっかく鳥に転生したというのに、これでは羽の持ち腐れだ。
いつかあの青空の下、空を飛べたらいいなと思ったことは何度もある。それが無理でもせめてカゴごと、散歩で外に連れ出してもらえたら嬉しいのに、そんなことを考えたこともあった。
だからって、こんな日に外出なんてしたくなかった。
暑い。夏だから当たり前だが、どうしようもなく暑い。
世間では夏休みに入ったらしく、普段なら学校に行っているはずの子供達が、道端ではしゃいでいる。楽しそうでなによりである。
けれど、私は楽しくない。
なぜなら、私の平和な日常が、突然終わりを告げようとしていたからだ。乗り物酔いというのだろうか。だんだん気持ちが悪くなってきて、私はぐったりしている最中だ。
完全なる厄日である。
てっきり願いが叶って、飼い主が初めて散歩に連れ出してくれたのだ、などと勘違いして喜んでいた、数時間前の愚かな自分を叱ってやりたい。
もちろん人間に飼われているペットに、運命を選択する力なんてないことなど、重々承知している。飼い主次第で人生ならぬ、鳥生は変わってしまうのだ。
今まさに私の鳥生がピンチを迎えている。
果たして私は生きたまま、元の家に戻ることはできるのだろうか。たぶん無理だろう。そんな予感しかしない。