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剣 ~勇者のいないその後の物語のその後の世界で~  作者: .
はじまりの始まり ―終焉の森編―
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7ー1、「助けて」

ソラ       ・・・男。過去の事を覚えていない。名前は仮称。人。

アイリス・コーエン・・・獣耳と尻尾がある少女。

神無月イヨ    ・・・日ノ国の巫女。人。


百鬼       ………魔の王の復活を目的としている集団らしい。

獣人       ………人と同じ二本足で立ち、衣服を来た獣姿の存在。


………………ココ、は?


 視界に広がっていたのは、黒一色の光景だった。何ひとつ見えない。見えているという感覚すら不確かだった。

 それはまるで世界が終わった後のようで、すべてのはじまりを告げているような。


「……死んだのか? それとも夢……?」


 声は出ているらしく聞こえる。

 目覚めたときから立っているという感覚もある、けれど確かめる方法のない実感すら曖昧になる黒一色の世界。そんな場所に身動きがとれずにいると、突然。


「こんばんは♪」


 背後から、柔らかな女性の声が聞こえた。

 驚いて振り返ると、そこに立っていたのはイヨと同じくらいの年頃の黒髪の女性だった。どこかの異国風の服をまとい、首と手先からわかる華奢な体格と、素朴とも可憐とも言えるその容姿。

 光も何もないこの黒一色の世界において、なぜかはっきりと見えた。


「……誰だ?」


「こんばんは」


「……ここは?」


「こんばんは」


 ……これは、挨拶を返さなければ答えないつもりだろうか。


「こんばんは」


「うん、こんばんは♪」


 にっこりと微笑む彼女。俺より頭ひとつは小さいのに、まったく物怖じせずに見上げながら、この顔、この体を確かめるようにぐるりと一周して、また笑う。


「久しぶりね。どう? この制服、似合ってる?」


「あ、ああ……」


 なんなんだ、こいつは。


 彼女は手を広げてくるりと回る。

 そして、彼女が微笑んだ瞬間、視界が一変した。黒一色だった世界が川に囲まれた中洲と青空に変わっていた。

 突然の色の変化に瞬きこそしたが、明るさの変化からくる眩しさはない。


「ついて来て」


 驚きに立ち尽くす俺に向かって、彼女は顎元に手を当ててクスッと笑い、もう片方の手で手招きする。

 言われるがままに歩くと、満開の梅の木に囲まれた場所に辿り着いた。そこには三つの椅子とひとつのテーブル。

 彼女は自らポットを手に取り、二つのティーカップに液体を注ぐと、席に座ってその一つを手に取り一口飲んだ。


「座らないの?」


「あ、ああ……」


 促されて座ると、俺の前にもティーカップが差し出された。

 中には、茶色く濁った液体。


「さあ、飲んで」


「あ、ああ……」


 カップを唇に当てると、香ばしい匂いが漂った。だが、ここがどこかも分からず、名前も知らない相手からの飲み物。素直に口にする気にはなれない。

 彼女が見つめる中、飲んだフリをして、唾と空気だけを喉に流す。そして、ティーカップをテーブルに置いた。


「さて、何から話そうかな」


 彼女は目の前で片肘をつきながら微笑む。

 その笑みは崩さないまま、何かを思案するように俺を見つめていた。


「それなら」


「しーっ」


 口元に人差し指を立て、俺の言葉を遮る。

 そして両肘をテーブルにつき、両手を頬に当てた。


「ねぇ。……約束を、覚えてる?」


 約束。その一言で初めてペンダントを眺めて呟いた時に映った姿と目の前の彼女が一致した。


 ……どうして気づかなかったのか。彼女こそ約束した相手だったのに。


 だが、思い出せたのはそこまでだった。名前も、関係も、肝心の約束の内容すら、なにも思い出せない。


「……すまない。過去のことは、何も覚えていないんだ」


「……覚えてない? なにも?」


 無意識に歯を食いしばって頷くと、彼女の笑顔がピタリと止まった。

 姿勢を正し、両手を静かに下ろす。


「……そっかぁ」


 口角が下がり、大きく息を吐く。目が笑っていない、作り笑い。


「せっかくだからいろいろ話したかったのだけれど……。仕方ないよね」


 含みある言葉の終わりと同時に、彼女の口元がわずかに歪んだ。


「!」


 彼女が動いた瞬間、椅子から転がるように身を引いた。

 次の瞬間、俺の首があったはずの位置を、彼女の刀が切り裂いた姿があった。


「何をする!」


「あら、初見殺しだったのに。もしかして、飲んでなかったの? 騙されちゃった」


 やはり、あの飲み物には何か入っていたのか。

 彼女はフフッと、楽しそうに笑う。


「覚えていないなら、教えてあげる。ソラにとって私は敵。そして、私にとってもソラは敵。私たちは、そういう関係なんだよ」


「貴様が……敵?」


「貴様かぁ……。そっか。私の名前も、忘れちゃったんだね」


 彼女は再び刀を構え直した。俺も咄嗟に腰元に手を伸ばす。


 剣は、ある。


 ただ、ここは突然、景色が変わるような場所。手元の剣が使い物になると信じていいかもわからない。


「約束の話は、もういいのか」


「私のことすら忘れてるのに? それに、その約束が、もしあなたが私に殺されることだったとしたら、信じられる?」


 本当のことを言っているのか、嘘をついているのか。答えを聞いたところで、俺には確かめる手段がない。


「……たしかに信じられないな。だが、俺を殺そうとするなら、お前も殺される覚悟はあるんだろうな?」


 その言葉に、彼女は楽しそうに笑い出した。


「もちろん。それに、今ココで私を殺さなければ、アイリスが死ぬだけ」


 なぜアイリスを知っている?


 その言葉は、まるで脅しに聞こえた。同時に、アイリスがまだ生きていること。ここが死後の世界ではないことをも示していた。


「そんなことは、させない」


「ふふっ。それは約束だから? それとも彼女だから? 彼女は今、世界中の人々から死を望まれているのに?」


 そうだとして、だから何だというのだ。


「そんな人々のことなど、俺には関係ない。ただ約束を守る。それだけだ」


「ふふっ。相変わらずね。助ける力があるせいで約束してしまう。それがたとえ、世界を敵に回すことになったとしても。

 あなたは、これまでもこれからも、そうやって約束して、誰かを守ろうとしてしまうのね。……でもね、今のソラじゃ今回も無理」


 そう言って、彼女が視線を向けた先に浮かび上がる、円形の周囲を装飾された鏡に似たもの。そこに映っていたのは、暗く深い森を、泣きそうな顔を必死にこらえながら逃げるアイリスの姿だった。

 そして、その背後からは追いかけるように黒紫の不気味な霧がすべてを飲み込もうとしていた。


「アイリス!」


 言葉が自然と出ていた。ふつふつと湧き上がる抑えがたい感情。それに呼応するように、握った手に力がこもる。


 たしかの目の前の彼女の言うとおりなのかもしれない。

 ただ、そうだとしても……。いや、そう思っていたとしてもアイリスが必死に逃げる姿を眺め、俺に楽しそうな顔を見せていたことが理解できなかった。


「私が憎い? あなたから私を殺したいって気持ちが、よく伝わってくる」


「お前が霧を操って襲ってくるのか?」


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。だってアイリスは最初からこうなる運命なの」



――カチリ。


 剣を抜き放ち、我に返ったときにはそのまま斬りかかった後だった。だが、たしかに斬ったはずのその身体は、音もなく霧散した。

 次の瞬間、世界が闇に飲まれ、高笑いが響き渡る。


「わかる……その怒り、その焦り。私を憎むその心。もっともっと私を憎んで。あなたの心を、すべて憎悪で満たして。その本能の赴くままに。ねえ、感じる? 見える? 聞こえる?

 早くその憎しみの刃で私を殺さないとあの子との約束は守れなくなるよ。

 あぁ、可哀そうに。あなたのその鈍らな剣じゃ、私を殺せない」


「それでも殺してみせる」


「ふふ、それまで……あの子、もつかしら?」


「助けて」


 どこかから、息を切らしたアイリスの声が、微かに届いた。

 その一言に気を取られた瞬間、本能的に身体が動く。殺気と共に空を切る音。直感で身を逸らし、即座に反撃を仕掛けるも虚しく空を斬るだけ。


 落ち着け。挑発に乗るな。見えないなら、気配で感じ、音で確かめろ。


 

 だが、この闇の中では五感を頼りに攻撃を回避しても、こちらから斬りかかろうにも相手の居場所すらわからない。気配を察して斬っても空振り。

 四方八方から響き続けるバカにしたような笑い声が神経を逆撫でする。


「せめて居る場所がわかれば……」


 真っ暗では見渡しても意味がない。

 その焦りさえも見透かすように、隙を狙って刃が襲いかかってくる。はやくなんとかしなければという想いが焦りが隙を生む。


「このままでは……っ」


 何度目かもわからない一撃をかわして呟く。


 ……負けるかもしれない。


 諦めにも似た感覚に身体から力が抜けようとしたそのとき。あの夜の光景が脳裏に差し込む。


『ソラはね。私を助けてくれる。……そう信じてもいいんだよね?』


 ……あぁ。そうだった。俺はアイリスと、約束したんだ。信じて助けを求める者がいるのに。


 この胸に湧き上がる感情。もし名をあるとすれば、それを勇気と呼ぶのだろう。


「……俺は約束は必ず守る。それが俺の矜持であり、生きる意味」


 そう呟いた瞬間だった。その覚悟さえも察したかのように、正面から殺気が迫る。

 それに対して避ける選択肢を捨て、真っ向からの一撃に捨て身で応じる。


 幸い約束には、俺が生きていることは条件に含まれていない。ならこれでいい。


「なっ……バカなの!?」


 彼女の叫びと共に、俺の剣は彼女の体を斬った。わずかに遅れて斬りかかる彼女の刀は勢いそのままに俺の胸へと迫る。

 だが当たろうとしたその刹那、刀も彼女の姿も掻き消えた。

1/8 誤字修正

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